意向

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P8

 

「優しき我が愛よ、あなたが望まれる私の身体の全ての動きと、私が行いたいと思う他の全てのそれを、ただあなたを喜ばせ、あなたの光栄のためにお捧げいたします。私のまぶた、私の唇、そして私自身のすべての動きも、あなたのみをお喜ばせする目的のためになされるものであることを望みます。ああよきイエスよ、私の全ての骨と神経がお互いの間で響き合い、それらも私の愛をあなたに証す、明らかな声となりますように。」

 

すると主は私に言われました。

 

「私を喜ばせるということのみを目的として行う全てのことは、私の神性の眼差しを魅きつけるために十分な輝きをおびる。それは非常に私を喜ばせるので、それがたとえまつげを動かすだけのことであったとしても、私は、それが私によってなされたかのような価値を与えよう。その代わり、たとえその行為はよいもの、または偉大なことであっても、私のためのみという意向で行われないとき、それはあたかも錆に汚れた金のようなものとなるので、輝くこともなく、私はそれを投げ眺めることすらしないであろう。」

 

「主よ、私たちの行いをほこりが汚すのはなんと易しいことでしょうか!」 主は、

 

「ほこりは払い落とすことができるから気にしないでよいが、注意しなくてはならないのは意向である。」

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P96

 

そのとき私は、イエスのおん胸に小さな真珠が光っているのを見ました。それは主のご人性の非常に輝く光を放っていました。私はその意味を分かりたいと思い、その真珠は何でしょうかとイエスにお尋ねしました。それは非常に小さいにもかかわらず、たくさんの光を放っていました。イエスはおっしゃいました。

 

「それはあなたの苦しみの純粋性である。これは小さくても、あなたが私の愛のためにのみ苦しみ、もし私が許したなら、あなたはもっと苦しむ用意があるので、それがこの豊かな光の原因となっている。我が娘よ、人が行動するときに抱く意向の純粋性とは非常に偉大なものなので、ただ私を喜ばせるためにだけ行動する人は、その人の働きすべてに光を送る以外のことをしない。正しい意向をもって働かない人は、たとえそれが善であろうとも、闇を広げるだけである。」