一ヶ月

 

 

天界の秘義3814

 

「かれはかれのもとに一ヶ月の日の間住んだ」。これは生命の新しい状態を意味していることは以下から明白である、すなわち『住むこと』の意義は生命であり(1293、3384、3613番を参照)、『一ヶ月の日の間』の意義は新しい状態である(『時間』はすべて状態を意味していることについては、前の1274、1382、2625、2788、2837、3254、3356、3404番を参照、それで『年』と『月』と『日』も同じことを意味しているが、しかし意味されている状態の性質は附加されている数字から明白である)。しかし『年』が、『月』が、または『日』が単数で言われているときは、それは状態の全部を意味しており、かくて前の解説に遍く示されたように、先行している状態の終りとそれにつづいている状態の初まりとを意味している。それでここでは『一ヶ月』により、聖言の他の部分においてもまたそうであるゆおに、先行している状態の終りとそれに続いている状態の初まりとが意味され、かくて新しい状態が意味されているのである。例えばイザヤ書には―

 

 ついには月から月へ、安息日から安息日へと、肉はことごとくわたしの前へ来て、身をかがめるようになるであろう、とエホバは言われる(イザヤ16・23)。

 

 ヨハネの書には―

 

かれは神の、また小羊の王座から流れ出ている、水晶のように澄んだ生命の水の純粋な川をわたしに示した。その街路の真中に、また川の真中に、こちら側にも向う側にも生命の木が在って、十二の果実を結び、月毎にその果を結んだ(黙示録22・1、2)。

 

 『月毎に果を結ぶこと』は、善を受け入れて、そこから生まれてくる実践の方面の、絶えず新しい状態を意味している。