生ける聖櫃

 

 

 

1.聖母

2.私たち

 

 

 

 

1.聖母

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩/上P214

 

彼女こそご聖体を運ぶもの、彼女は生きる聖体の器である。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩/上P159

 

私はいつもイエズスを運ぶものです。イエズスは私の胎内に顕示台の中の“ホスチア”のようにおられ、私に来る人は“彼”を見つけます。私にもたれる人は、イエズスに触れ、私に向かって話す人は、彼と話すのです。私は彼の“服”で、彼は私の魂です。私の胎内に成長しつつあったその九ヶ月の間よりも、今、私の子は自分の母と一つになっています。ですから、私に来て頭を私の胸にもたれる人は、すべての苦しみが治まり、すべての希望に花咲くのです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P272

 

「それなら、神がマリアをあらかじめ救ったとヨアキムはどうして言えるのですか。このことばは、罪に対してマリアが受けた特権を暗示しているではないですか」

「そのとおり、暗示しています。しかし、ヨアキムはすべての預言者たちと同じように、神の口を通して話していました。ヨアキムも聖霊が自分の口に言わせた超自然の崇高な真理は分りませんでした。というのは、ヨアキムはマリアの父となるにふさわしい義人で、謙虚な人だったからなのです。実際、傲慢のあるところに“義”はあり得ません。ヨアキムは義人で謙虚で、父の愛をもって娘を慰めました。神の聖櫃の後見人でしたから、司祭の知恵をもって娘を教えました。また、司祭として、マリアを最も甘美な称号“汚れのない者”に聖別しました。いつの日か、もう一人の白髪の大司祭が、全世界に『マリアは汚れのない者として懐胎された』と告げるはずです。このことによって、異端と悪徳との霧の中にずぶずぶと沈んでいくその時代の世界に、神の最も美しいもの、星の冠をいただき月光をまとうマリアを、信仰の世界に反駁できないまことを与えました」

「では、ヨアキムは予言者だったのですか」

「義人でした。ヨアキムが、神に愛されていた魂に、神が現わしたことをこだまのように伝えたのです」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P158

 

アロンのマリアのように聖櫃の前にも後にもついては行かない。自分自身が聖櫃だからである。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/9卷中P163/583・8

 

常に、羊飼いたちの助言や命令に従い、彼らに仕えなさい。彼らの伝道や働きを支えて、彼らの姉妹のようでありなさい。今日ここにいない人たちに伝えなさい。これから来る人たちに伝えなさい。そして、今もいつも、わたしの娘のようでありなさい。彼女は、すべてにおいて、あなた方を導くでしょう。

 彼女は、処女たちも、未亡人たちも、人妻も、母親も導くことができます。どの条件についても、彼女は、自身の経験と、超自然的知恵によって、それがどういうことであるかを知っていますから。互いに愛し合い、マリアの中のわたしを愛してください。あなた方は裏切られることはありません。なぜなら、彼女命の木、生ける神の櫃(ひつ)であり、となったが、そこに恵みを置かれたのですから。

 

 

 

 

聖母から司祭へ/1987.8.21

 

世界中のすべての聖ひつのそばに、母としての私の現存もあります。

わたしのこの現存は、わたしの子イエズスの孤独な現存のために、愛にみちた新しい聖ひつとなっているのです。

 

 

マリア・ワルトルタ30・11/天使館1巻P257

 

イエズスは言われる。

きょうはわたしが語る。あなたはとても疲れているが、もう少しの辛抱です。

聖体の祝日の前日です。あなたに、聖心(みこころ)の使徒であった聖人たちについて語ったように、この度はあなたに聖体について、またこの信心の使徒となった聖人たちについて語ることもできよう。しかし、もう一つのこと、わたしのに対する崇拝の先駆者たちである、わたしのの礼拝者たち一群についてあなたに語りたい。それはあの羊飼いたちです。となったロゴスを、最初に礼拝した人たちです。

 

一度、わたしはあなたに言ったことがあり、わたしの教会も言っていることだが、あの聖なる無辜の幼子たちは、キリストの最初の殉教者たちです。今、わたしはあなたに言う。あの羊飼いたちは、神の体の最初の礼拝者たちである、と。彼らには、わたしのの礼拝者として要求されるすべての資格、聖体を礼拝するにふさわしい魂があります。

 

確実な信仰。彼らはあの天使を即時に、盲目的に信じます。

懐の深さ。彼らは自分たちのすべての富を主に捧げます。

謙遜。人間的にいえば、彼らは自分たちよりも貧しい人びとに近づき、相手に恥をかかせない慎みをもって、自分たちは彼らのしもべである、と言い切ります。

熱望。自分たちが与えられないものを、使徒職と労働によって得ようと全力を尽くします。

機敏な従順。マリアがザカリアにイエズスの誕生を知らせたいと望んでいることを知るや、エリヤは逸早くヘブロンへと出発します。先送りすることなく。

愛。最後に彼らは洞窟を立ち去り難く思う。あなたは彼らの思いを『後ろ髪を引かれる思い』と表現したがその通りです。

 

それはともかく、わたしのこの秘跡に対しても、そうあるべきではないだろうか?

それからもう一つ、これはあなただけに言います。あの天使は、誰にまず自分を現わし、マリアの愛情の吐露を聞くに値したのは誰であったか、よく観察しなさい。それは牧童レビです。

 

子供のような純真さをもつ者に、はご自分を現わし、その神秘を明かし、自分とマリアの言葉をお聞かせになる。子供のような純真さをもつ者は、『イエズスの産衣に接吻させてください』と言うレビの聖なる大胆さを持つ。彼はそれをマリアに言う。それもそのはず、あなたたちにイエズスを与えるのは、常にマリアだからです。聖体を運ぶ人は常に彼女なのです。生きた聖体容器(チボリウム)は常に彼女なのです。

 

マリアのもとへ行く者は、そこにわたしを見つけます。わたし彼女に求め願う者は、彼女からわたしを受けます。わたしの微笑は、『もっと愛するためにイエズスをわたしにください』と誰かが言うとき、諸天を喜びの、同じく幸せの強烈な輝きで青ざめさせるのです。

 

だから『イエズスの産衣に接吻させてください。その御傷に接吻させてください』とわたしに言いなさい。さらに大胆に言いなさい。『あなたのイエズスの聖心の上にわたしの頭を凭(もた)れさせてください。至福を味わうために』と。

おいで。そして憩いなさい。イエズスとマリアの間に置かれた揺り籠で。イエズスのように」。

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/P320

 

 めでたしマリア、神の生ける聖櫃。

 永遠の知恵イエズスはそこにかくれて天使からも人からも、

 礼拝されることを望んでおいでになります。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P242

‘91・10・25

 

我が霊は働きつづけ 兄弟たちの間に平和を回復し 我が十字架と傷を通して皆を一つのからだに一致させよう そして

              ただ唯一の聖櫃

を囲んで私をほめ讃えさせよう こうしてあなた方を離ればなれにしている壁は壊される。

 

 

2.私たち

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・7巻P233

‘95・2・8

 

そしてあなたは、娘よ、我が家の執り成しをしなさい、私の利益を世話してくれるように 私もあなたの世話をする。 我が掟を適用しながら、義を愛し 遠くから私の息子や娘たちを連れてくるようにと 私の霊を与えた。 私のこだまとなり 彼らの心に我が王国をすえるように あなたを教え弟子の舌を与えた。 目には、パラスケヴィ(*)、私の光を与えた。

霊魂のうちには 復活の香りする息を吐き出した、ミルラの香りを吐き出し、我がひとり子の聖櫃(*1)を、香のかおり(*2)で満たした・・・・

 *神は私を中間名で呼ばれましたが、目を癒す聖人として知られている、聖パラスケヴィに母が誓いを立てた後に、この名をもらいました。

 *1「我がひとり子の聖櫃」とは、私たち、を意味します。ご聖体をいただく時、イエスは私ども皆の王となられます。私どもは皆、生ける聖櫃となるように召されています。

 *2香りはサタンを追い払います。清められ、もっとも完全な状態でみ子を受けられるよう、神は私に香のかおりを下さる必要があったのです。