天界の秘義34[]

 

 ここから愛にいる者はまた信仰におり、そのことにより天界的な生命にいるが、自分は信仰にいると言いはするが、愛の生命にいない者は信仰にも天界的な生命にもいないことが明らかである。愛のない信仰の生命は、何物も成長しないで、凡ての物が麻痺し、死んでしまう冬の時のよう熱の無い太陽の光に似ているが、それに反し愛から発した信仰は、太陽の実を結ばせる熱のために凡ての物が成長し、繁茂する春の時の太陽の光に似ている。霊的な天界的なものも正確に類似しており、それは普通聖言では世と地との面に在る物により表象されている。主がマルコ伝で代の終末[終結]を予告されている所では、無信仰と愛の無い信仰もまた主により冬にたとえられている―

 

あなたたちの逃げることが冬起らないように祈りなさい、その日は苦悶の日であるからである(マルコ13・18,19)。

 

『逃げること』は最後の時を、また人各々が死ぬ最後の時は意味している。『冬』は愛の欠如した生命であり、『苦悶の日』は他生における人間の悲惨な状態である。 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P124

 

「霊魂にとって何かが欠乏するということは、ちょうど植物にとって冬が有益であるように、霊魂にとっても有益であるということを、あなたは知っているか? 植物は冬のあいだにもっと深く根をはり、強化され、それから緑になり、五月に花をつける。」