不信
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P115
‘43年7月7日
霊に関わる請願を済ませたら、貧しく、肉の必要のさ中に生きるあなたたちは、空の鳥たちに食物を用意し、野の百合を装う御方にパンを願いなさい。『今日、我らに日用の糧(かて)を与えたまえ』と。
わたしはきょうと言い、パン(糧)と言った。わたしは余計なことは決して言わない。
きょう。その日その日、父に助けを求めなさい。それは慎重さ、正義、謙遜の尺度である。
慎重さ。もし一度に全部持てば夥(おびただ)しく消費するだろう。あなたたちはいつまでも子供で、かてて加えて我(わ)が儘(まま)ときている。神の賜物を浪費してはならない。それに何もかも持っていたなら、あなたたちは神を忘れてしまうだろう。
正義。わたしはその日その日に父の助けを得ていたというのに、なぜ、あなたたちが一度に全部を持たねばならないのか? 心の底で、人間的な気遣いをして、明日神は何も与えてくださらないかもしれないし、一寸先は闇なのだから、きょう神が全部をくださればいいのに、と考えるのは不正ではないか? あなたたちはそれについて反省していないが、不信は一つの罪である。神に対して不信を抱いてはならない。父は完全にあなたたちを愛しておられるのだ。超完全な父である。すべてを一度に求めるなら信頼を傷つけ父を侮辱する。
謙遜。その日その日乞い求めねばならないということが、あなたちの無、貧しさという条件と、一切であり富であるという神の概念が、あなたたちの心頭を新たにするように。