ふ入り・まだら

 

 

天界の秘義3993

 

「そこからふ入りの(まだらな)、斑点のある小さな家畜をことごとく取りよけましょう」。これは、主のものではあるが、(『ふ入り[まだら]』により意味されている)悪と(『斑点がある』により意味されている)誤謬が混合しているところの善と真理とはすべて分離されるであろうということを意味していることは以下から明白である、すなわち、『取りよけること』の意義は分離することであり、『家畜』(ここでは山羊と小羊との家畜)の意義は諸善と諸真理である(1824、3519番を参照)。

 

 

天界の秘義3993[12]

 

 さらに善いものを、たとえそれが隣人の善であれ、わたしたちの国の善であれ、または教会の善であれ、その目的としているところの擬装とこうかつ[狡知]とは熟慮[深慮、用心深いこと]であって、そうしたものが混入している悪はその目的からまたその目的のために、善と混合することができるのである。しかし悪をその目的としている擬装とこうかつとは熟慮ではなく、策謀と詐欺であって、それとは善は決して連結することはできないのである、なぜなら悪の目的となっている詐欺は人間の凡ゆる事柄の上にその全般的なものにも個別的なものにも奈落的なものを生み出しており、悪を真中におき、善を周辺に放逐してしまい、そうした秩序は奈落の秩序そのものであるからである。他の無数の場合も同じである。

 

 

天界の秘義3993[13]

 

 善と真理とが接合されることができるところの悪と誤謬とが存在していることは以下の単なる事実からでも認めることができよう、すなわち、極めて多くの異なった教理と教義があり、その多くのものは全く異端的なものではあるが、それでもその各々のものの中には救われる者たちがいるのであり、また主の教会は教会の外にいる異邦人たちの間にする存在しており、かれらは誤謬が存在しない限り、決してありえないのである。(中略)これらのことが『ふ入り[まだら]』のものと『斑点のあるもの』によりその内意に意味されている事柄である。