星
1.善と真理の知識
2.流星・・・誤謬
恒星・・・真理
3.惑星
4.善い真のもの、天使たち、天使たちの社会
5.多くの星が薙ぎ倒される
6.救う信仰
1.善と真理の知識
天界の秘義2845
創世記22章17節「わたしはあなたを祝しに祝し、あなたの裔を、天の星のように、海岸にある砂のようにふやしにふやし、あなたの裔はあまたの敵の門を嗣ぐであろう」。『わたしはあなたを祝しに祝し』は真理の情愛から実を結ぶことを意味し、『わたしはふやしにふやそう』は、そこから真理が派生してくることを意味し、『あなたの裔』は、信仰の善の中にいて主の人間的なものにより救われるところの霊的な者たちを意味し、『天の星のように』は善と真理にかかわる夥しい知識を意味し、『海岸に在る砂のように』はそれに相応している夥しい記憶知を意味し、『あなたの裔はあなたの敵の門を嗣ぐでしょう』は、仁慈と信仰が、以前悪と誤謬が在った所に入って来るにちがいないことを意味している。
天界の秘義2849
「天の星」のように、これは善と真理とにかかわるおびただしい知識を意味することは、『星』の意義が善と真理にかかわる知識であることから明白である(1808、2495番参照)。霊的な者たちは聖言の色々な所に星にたとえられている者たちであるが、そのことはかれらが持っている善と真理とに関わる知識に起因している、しかし天的な者たちがそのように譬えられていないのは、かれらは血sキリストを持たないで、認識を持っているためであり、さらに星は夜を明るくして、霊的な者たちは、天的な者たちがその中に宿っている日中の光に較べて、(月と星から発しているような)夜の光を持っているためである。(霊的な者たちが比較的明確でないものおもっていることは、前の1043、2708番の始めに見ることができよう、2715番)。
スウェーデンボルグ/天界の秘義4060
「陽は暗くなり、月はその光を放たないであろう」(マタイ24・29)
は、『陽(太陽)』であるところの主への愛と、『月』であるところの隣人に対する仁慈を意味している。『暗くなって、その光を放たないこと』は、それらが現れないで、かくて消え去ってしまうであろうということを意味している。
「星は天から落ちるであろう」(マタイ同)
は、善と真理のいくたの知識は死滅するであろうということを意味している。
2.流星・・・誤謬
恒星・・・真理
天界の秘義1527
主が良しとされる時は、善良な霊はその仁慈と信仰の性質に応じてきらめき輝いた星として、他の者の前に、また互に他の者に現れてくるが、悪霊は炭火の小さな玉のように現れている。
天界の秘義1808
それらが天使たちをまたは天使たちの社会を意味しているときは、それらは恒星であるが、しかし悪霊とその団体を意味しているときは、遊星であって、そのことはわたしが見たところである。
天界の秘義5566
周囲に流星が現れ、黒い雲のように見える者が一人わたしの方へやってきた。流星が他生に現れるときは、それは誤謬を意味しているが、恒星は真理を意味している。
3.惑星
マリア・ワルトルタ111・3
主が船頭のソロモンに:
「主よ、その時とは何ですか?」と、弟子たちと船頭が尋ねる。
「闇が勝利する時です」。
「あなたは世の終りまで生きておられるのでしょう?」
「いいえ。その時消えた星々の、またすべての人間たちと共に死んだわたしたちの惑星のそれよりも恐ろしい闇となるでしょう。それは人間たちが、わたしという光を吹き消す時でしょう。多くの人びとのうちで犯罪はすでに行われました。ソロモン、さようなら」。
4.善い真のもの、天使たち、天使たちの社会
天界の秘義1808
「星を数えなさい」。これは星宿の心的視野の中で善い真のものを表象するものを意味していることは今し方言ったことから明白であり、また星の表象と意義とが善い真のものであることからも明白である。『星』は聖言にしばしば記されていて、あらゆるところで、善い、真のものを意味しており、またその反対の意義では悪い、誤ったものを意味しており、またはそれと同一のことではあるが、それらは天使たちをまたは天使たちのいくたの社会を意味しており、またその反対の意義では悪霊らとその団体を意味している。それらが天使たちをまたは天使たちの社会を意味しているときは、それらは恒星であるが、しかし悪霊とその団体を意味しているときは、遊星であって、そのことはわたしが見たところである。
5.多くの星が薙ぎ倒される
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P61
‘43年7月23日
イエズスは言われる。
「時が到来するであろうとき、打ち勝つためには、霊魂の光を減少させる必要があるルシフェルのとぐろによって、多くの星が薙ぎ倒されるだろう。
それは起きうるだろう。なぜなら一般信徒だけではなく聖職者たちも、神の光の圏内にとどまるために必要な、信仰、愛徳、力、純粋さ、現世の誘惑からの離脱などの毅然さを失ったし、ますます失いつつあるからだ。
わたしがここで語る星が誰を意味しているか、貴女は理解しているだろうか? それはわたしが地の塩として、世の光として定義づけたもの、すなわちわたしの奉仕者たちだ。
サタンの鋭い悪意の計画は、これらの星を薙ぎ倒すことによって、大衆にわたしの光を反射する光であるこの無数の灯火を消すことである。司祭的教会はまだ多くの光を放ちつづけているが、霊魂たちはますます闇のなかに沈みこもうとしており、わたしの空から数多くの星が消え去るであろうとき、どんな闇が大衆を押し砕くか容易に理解できる。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P133
‘00・10・16
繊細なる娘よ 秘密をうち明けよう、もうすぐ龍が 自らのしっぽを食らうようにさせる、間もなく天より命を下す。 私は 本気で我が家を回復するつもりでいる。 私の現存を奪われた家(*)に 我が聖体をふたたび打ち立て そこは聖なる場所となる。 あなた(*1)は至高なる私から奪い去られ、龍によって地に倒された、それでも、言っておく、皆に言っておく、「我が霊は 地上に注がれ 天の露を豊かに滴らせる すると地上の草は青さを増し加え、木々は花を咲かせて その枝葉は美しく たわわな実をつける、そう! たわわに、今に 見ているがよい!
「いつまでも永らえると、誰が言ったか?(*2) もう十分長く 鷲のように舞い上がり、星々(*3)の間に巣くい 刺となった。さあ、戦いに出てきて 私と顔を合わせなさい。 顔を合わす相手は アベルでない。 おまえの剣を 叩き落す。 おまえは我が家を荒し、最も尊いものを そこから盗んだ。 心ゆくまで盗み取った。 我が民の門を通過し 民の目を見えなくさせた。 その闇の王国を広げ 私の民を誤った道に連れ込めるとまだ信じてはいるが、今や、おまえの時は終わった。 もうやめよ。今にも 義は水のように流れ出し 我が霊は 止めどない流れのように 溢れ出す・・・」
「ああ、今は何とよい時か・・・」と感嘆する時が 近づいている。 来なさい、新しい力を得るよう 休ませてあげよう。 私のメッセージを生きて あなたのために踏み固めた小道を辿りなさい・・・ic
*主は教会のことを仰っています。
*1主はその教会を仰っています。
*2主は突然 悪霊(龍)のほうを向いてこれらの言葉を仰いました。
*3同時に「信徒」とも聞こえました。
6.救う信仰
真の基督教348
今や人の信仰を形作るには三つの手段があること、即ちそれは主に近づくこと、聖言より真理を学ぶこと、而してその真理に従って生活することであるということが明白である。この三つは区別される故それらは分離され得ることが推論される。例えば、人は主に近づいても神と主とに関し歴史的な真理以外には何物をも知らないかもしれない。また他の者は聖言から豊富に真理を知るかもしれないが、しかもそれに従って生活しないかもしれない。然し、この三つの物が分離している人には、即ち一つが他のものなしに存在している人には、救う信仰は存在しない。救う信仰はこの三つが結合する時生まれ、而して、それは結合の性質に従って変化する。効果の無い信仰と、救う信仰との間には、地面に播かれはしたが腐敗して塵になって了う無益な種子と成長して果を結ぶ木になる種子との間のような、或は不妊の卵と美しい鳥を生む卵との間のような、或は、煮られた魚または蟹の眼と澄明な眼との間のような、或は、黒い石の上に黒色で描かれた絵と透明な水晶の上に美しい色で描かれた絵との間のような相違がある。効果の無い信仰の光は夜間の旅人の手に在る燃木のそれに似ているが、然し、救う信仰の光は途の一歩一歩を照らす燃ゆる松明のそれに似ている。真理のない信仰は野生の実を結ぶ葡萄に似、真理を持った信仰は美味な葡萄酒を作る実を結ぶ葡萄に似ている。主に対する信仰は、真理を伴わないならば、大空から徐々に色褪せてゆく新しい星に譬えることが出来ようが、真理とともなる主に対する信仰は永久に存続する恒星に譬えることが出来よう。真理は信仰の本質である。それ故真理の如何が信仰の如何である。真理のない信仰は不安定な信仰であるが然し真理を持った信仰は不変であり、天界ではこのような信仰は星の如く輝くのである。