本当の幸せ
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P108
農夫:「今も、わしは神がどんな境遇にお置きになろうと、幸せに生きようと努めている。ずっとそうするつもりじゃ。心に神の平和が宿っている人間こそが祝福されている。そうでなければ、金持ちも貧民も、物乞いも王も、同じことじゃやよ」
王:「王があなたを宮殿に迎え入れるといったら、あなたは幸せを感じますか。どんな場所でなら、今以上に幸せになれますか」
農夫:「王様の宮殿より、わしの小屋の方があるかによいよ。宮殿にいるからといって、死や悲しみから逃れられるわけでもあるまい。宮殿の贅沢な生活からは、まる一日労苦して粗末な食物をとり、楽しいわが家に帰ってきたときほどの喜びは得られない、とわしは思う。わしは、神様がお与えになるどんな境遇にあっても幸せじゃ。実際、わしは苦しみを通して、前には知り得なかった沢山のことを学ばせられた。息子たちの死は耐え難いものじゃったが、それさえ一時のことじゃ。わしもいつかは三途の川を渡らねばならぬ。わしは今日、小麦の種子を蒔くためにきたが、何日かすればこの種子も死ぬ。だが、新しい命がそこから芽を吹く。同じように、人間の体もいつかは死ぬが、そこに住む霊魂は不滅の新しい生き物へとさらに形を変える。例えば、麦は蒔いたのと同じものが生えてくるようにみえるが、本当は違う。古いものは死に、そこから新しい麦が生まれるのじゃ。同じように、わしらの体も死んで朽ちるが、魂は創造主の元に帰りそこで永遠に生きる。そこには死も悲しみもなく、叫びも苦しみもない」
王:「わたしに助けられたと思いなさるな。わたしの方があなたのお話から何倍も助けられるところがありました。感謝しています。いったい、このような神の知識をどこで得られましたか」
農夫:「わしが悲しみに打ちひしがれていた頃、一人のクリスチャンがよく訪ねてくれた。そのお人は、同情するたけでなく、わしを霊的に慰め、神の真理を教えてくれたのじゃ。このような話じゃった。われらが王様は姿を変えて各地を歩かれ民を助けておられる。それと同じように、王の王が人の形をとって天から地上にお下りになった。こんおお方は人間の有様を知り、人々を教え助けただけでなく、全世界のために十字架上で命を捨てることによって計り知れぬ愛を表し、罪人を救う計画を完成なさり、信じる者が一人も滅びず永遠の生命を得られるように天国の門をお開きになった。それがイエス・キリストじゃ。以来、わしはキリストを信じて新しい生命を得ることができたのじゃ。」
青年:「ぼくたちは、神様に感謝して、御心に沿った生き方をしなくちゃならないと思う。強くそう感じる。二人に新しい人生を与えて、こうしてまた引き合わせてくださっとのだからね。言葉だけじゃなく、本当に心から感謝しなくては。ぼくが苦しかったときに訪ねて励ましてくれた先生がいるんだ。行ってみようよ。ぼくの心が傷ついたとき、先生は優しい言葉をかけてくださったけれど、まるで傷口に塗った軟膏のようだったよ。先生はこうおっしゃった。『造り手の愛がなければ、造られた者の愛は不完全なままだ。神から離れていれば、不安と悲しみが生まれてくるからだ。だが、神はわたしたちをお見捨てにはならない。神はいつも、わたしたちとともにいる。神は変わることがなく、時間にも場所にも制限されない。だから、本当の幸せは、どんな場所にいようと境遇にいようと、神との交わりの中にしかない』とね。行こう。あの先生なら、きっとわかってくださる。」
娘:「どこにだって喜んでついていきます。あなたにあは本当に心から尽くしたいのです。神様とあなたには命も投げ出すわ。インドの女は、死んだ夫が火葬されるとき、火の中に飛び込むことさえ厭(いと)いません。神様と、神様にお仕えするあなたのために命を惜しむようなら女の恥です。ただ一つ、わたしが低いカーストの女であることだけが気がかりです。ご両親はとても怒ってらっしゃるから、一緒になってもわたしを受け入れてくださらないのではないかしら」
青年:「家柄のことなど考えていたら、君を愛したりするものか。カーストは呪いだ。自分のことしか考えない者たちが人と人とを引き離すために作ったものなのだ。ぼくたちはみな同じ神の子だよ。神は人を“自らの形に、自らに似せて”お造りになったのだからね。家で受け入れてもらえなければ、二人でどこか他の所に移り、働いて生活すればいい。神がつながれたものを、人が切り離していいはずがない。神様をただ信じよう。きっと、どんなときにも守ってくださるから」
こうして、二人は祈りの人の元へ行き、すべてを打ち明けた。彼は喜んで二人の挙式を執り行い、熱心に教えを説いて祝福し、激励の言葉とともに送り出した。二人は町に戻って小さな一軒家を借り、生計を立てるため一生懸命働き、大富豪が贅沢品に囲まれ豪邸に住んでいても得られないほどの平和と愛と幸福の中に生きた。二人がこれほどに幸せだったのは、人の愛とともに神の愛にも満たされていたからである。
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P137
真の幸福の鍵はどのような風土にも国にもなく、神との正しい関係をもち、神の御心に従うことにこそあることを、彼は知った。どのような場所にあっても、境遇にあっても、時代にあっても、それは変わることはない。人がかりに、外の苦しみや逆境から解放されたとしても、内に潜む罪から何一つ解かれていなければ、それはカゴから解き放たれて、大喜びで自由に空に羽ばたいた小鳥のようなものである。小鳥の脚には糸がからまっていた。やがて、糸は高い枝に引っかかり、いくら羽ばたいても羽ばたいても糸はほどけず、ついに努力も空しく小鳥は死んでしまった。これは解放ではない。囚われの身から死への転落である。