ひざまづく

 

 

天界の秘義3054

 

「かれはそのらくだをひざまづかせた」。これは全般的な記憶知を聖く処理することを意味していることは以下から明白である、すなわち『ひざまづかせること』の意義は自らを聖いものに向って処理することであり、『らくだ』の意義は全般的な記憶知である(前の3048番を参照)。

 

 

天界の秘義5323

 

「かれらはかれの前にアブレヒと叫んだ」。これは信仰を通して承認し、崇拝することを意味していることは以下から明白である、すなわち、『叫ぶこと』の意義は信仰を通して承認することであり(そのことについては後に述べよう)、『アブレヒ』の意義は崇拝である、なぜなら原語では『アブレヒ』は『ひざをまげよ』を意味し、ひざをまげることは崇拝であるからである。なぜなら意志のものであり、かくて愛または情愛のものであり、従って生命のものである内的な努力はすべてそれに相応した外的な行為または動作を持っており、その行為または動作は外なる物の内なる物との相応そのものから流れ出ているのである。聖い恐怖はそこから生まれてくる卑下とともに(それゆえ崇拝とともに)、それ自身に相応した行為または動作を伴っている、すなわち、ひざをまげること、ひざの上に倒れること、また身体を地面にまでもひれふさせることを伴っているのである。この状態にあっては、もしその崇拝が純粋な卑下から発しているなら、またはその卑下が純粋な聖い恐怖から発しているなら、意気が阻喪し、そこから、霊的なものが自然的なものと連結し、かくてひざが在る境目または中間の領域で、関節がゆるむのである、なぜなら下の部分は自然的な物に相応し、上の部分は霊的な物に相応しているからである。そこからひざをまげることは崇拝を表象するしるしとなっている。天的な人間にあってはこの行為は自発的なものであるが、霊的な人間にあっては意志の結果である。