羊飼いのイザク
マリア・ワルトルタ/復活/P202
「おお! 主よ、私はあなたなくしてこの世に残さないでください。私はあなたの誕生から死に至るまで、そして死から復活に至るまで、いつも・・・。それなのにもうあなたが私たちと一緒にいないと知ったら何と悲しい。あなたはエリゼオの父の願いを聞かれた。多くの人々の願いを聞かれました。主よ、私の願いも聞いてください」
イザクはひざまずいて手を差し伸べて頼む。
「あなたは、私の宣教を、それに私のために殉教するのを今、恐れているのか?」
「主よ! 私の光栄はあなたに従いたいという事だけです。私は貧しく、愚かな者です。けれども私は、私をあなたにささげた。すべて善意をもってささげた。今、これだけを望んでいます。あなたについて行く事。そしてあなたのみ旨どおりになりますように、今も、いつも」
イエズスは、イザクの頭の上に手を置き、撫で続けながら皆に向って言う。
「私に質問したい事はないか? これは最後の訓戒である。あなたたちの先生に話しなさい。・・・この小さい子が私に対してどんなに信頼しているか見なさい」
今日もマルジアムは、イエズスの体に自分の頭をもたげている。イザクも自分の望みを話すのに躊躇しなかった。
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 下/P44
「イザク、私には全イスラエルに福音を述べる使命があります。私がここに残れないにしても、おまえはいつでも私に使え、また従うことができます。イザク、私の弟子になりたいですか」
「何と! でも私みたいな者にはできません」
「私がここにいることを、おまえはいまから宣言できますか。いかなる嘲笑や脅迫にもたじろがず、それを告白できますか。おまえを送るのは私です。そのために私はやってきたのですよ」
「あなたがお望みでなくても、それなら言えます。でも先生、それだけでは先生に従うとは言えません。口はばったいことを言うのをお許しください」
イエズスは笑みをふくむ。
「そうしさえすれば、おまえも弟子の役割を果せるのが分かりましたか」
「それだけのことでしたら! 私はもっと難しいと思っていました。ラビの中のラビのあなたに仕えるためには他のラビたちの学校に通わなくてはだめかと思っていたので・・・この年で学校へ行くなんて、とてもと・・・」
イザクはどう見ても五十歳にはなっている。
「イザク、あなたはもうちゃんと学校へ通いました」
「私が? いいえ、そんな」
「おまえは信じて、愛しました。神と隣人とを敬い、祝福し、ねたまず、他人の物を望まず、不利になる場合でも本当のことを言い続けたではないか。おまえが不遇をかこっていたこの三十年もの間、それをしてきたではないか」
「そうです、先生。そのとおりです」
「では、見たとおり、学校はきちんと終えています。これからは、私がこの世にいることを語り伝えていけばよい。これ以上のことは何もしなくてよいのです」
「主イエズス! 私は、もうあなたを語り伝えてきました。足が不自由でしたが、この村でパン一切れを得るために、羊毛を刈ったり、チーズを作ったりしていた間、家にやってくる子供たちにあなたの話をしました。病気が進んで腰がしびれて動けなくなったときも、寝床を取り囲む子供たち―その当時の子供たちと、その子供たち―に話したものです。子供たちは善い心をもっていたので、いつも信じた・・・あなたが生まれた時のこと・・・天使たちのこと・・・あの星と博士たちのこと・・・あなたのお母様のこと・・・。そうだ! お母様はまだ生きておられますか」
「はい、生きていますよ。おまえにあいさつを送ると言っていました。おまえたちのことをよく話してくれたものです」
「お会いしたい!」
「会えますとも。いつか私の家にいらっしゃい。母は喜んで友人のおまえを迎えますよ」
「マリア・・・そうだ! その名を口にすると蜜を含んだように甘くなる・・・。ユッタにはせんだって四人の子供の母になったばかりの者がいます。幼なじみの一人ですが、自分の子供にマリア、ヨゼフと名づけ、三番目は遠慮してイエズスでなくエマヌエルとし、いま六日前に生まれた子供の名前を考えているところです。私の病気が治ったこと、あなたがここにおられることをあの人が知ったら!・・・。サラは母親の作ったパンのように善い人だし夫のヨアキムも善い人です。その親戚も同じです。私はあの人たちのおかげで生きてこられたのです。私にいつも宿と力をかしてくれました」
「では、日中の暑さからかくまってもらうためと、その人たちの愛徳に報いるために、祝福をもってその家に行きましょう」
マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P52
ケリオットのユダ:「おまえはこの話をまだ続けるつもりなのか」
羊飼いのイザク:「そう。きょうも明日もあさっても。だれかが聞いてくれる」
ユダ:「こんなやっかいな仕事をどれくらい続ければいいのだろうか」
イザク:「それは分らないが、私のことばを信じてほしい。前も後も見ないで続けること、一日一日積み重ねればよいのだ。夕方になって何か成果があれば“神様ありがとう”なければ“明日のためにあなたの助けを望みます”と言うだけで十分なのだ」