額
1.主は天使たちの額を眺められる
2.主御自身が流入されるのは人間の額の中へ、額からその顔全体へ流入される
黙示録講解427イ
顔全体は―そこには視覚、臭覚、聴覚、味覚の器官がおかれているが、それは―全般的に情愛とそこから発する思考とに相応しており、目は理解に、鼻は認識に、耳は聞き、従うことに、味覚は知って賢明になろうとする願望に相応しているが、しかし額は、凡てこうしたものが発してくる愛の善に相応しているのである、なぜならそれは顔の最高の部分を形作り、直接的には、人間の知性の居所である頭脳の前面の主要部分を包みこんでいるからである。そのことが主は天使たちの額を眺められ、天使たちは目を通して主を注視する理由であり、これがそのようになっているのは額は愛に相応し、愛から主は天使たちを眺められ、目は天使たちが主を注視する源泉である理解に相応しているためである、なぜなら主は御自身を天使たちの理解の中へ注がれる愛の流入を通して見られるようにさせておられるからである。(このことについては「天界と地獄」、145、151番を参照、天界全体はその全総合体においては一人の人間に相応し、そこから天界の凡ゆる物は人間の凡ゆる物に相応している、87−102番。)このことは『額に封印をされること』の意義を明らかにしており、すなわち、主から主に対する愛の全の中におり、そのことによりそうした愛の中にはいない者らから区別され、引き離されることである、なぜなら主はそうした者たちの額を眺められて、愛の善をかれらに満たされ、そこからかれらは情愛から発する思考により主を注視するからである。他の者らは主から額を眺められることはできない、なぜならかれらは主に顔をそむけ、自らを対立した愛に向け、その愛によりかれらは満たされもし、引きつけられもするからである。(霊界における各々の者は、また人間も同じくその霊については、その顔をその者を支配している愛に向けていることについては、「天界と地獄」を参照されたい、17、123、142−144、153、552番)。
(2)『封印されること』は封印されることを意味しないで、その性質が認められ、かくて同じような状態にいる者らと連結し、類似してはいない状態の中にいる者らからは分離してしまうような状態の中へ入れられることを意味している。(後略)
2.主御自身が流入されるのは人間の額の中へ、額からその顔全体へ流入される
天界と地獄251
主御自身が流入されるのは人間の額の中へ、額からその顔全体へ流入されるのである、なぜなら人間の額は愛に相応し、顔は人間の内部の凡てに相応しているからである。霊的天使が人間に流入するのはその頭の凡ゆるところであり、[即ち]大脳が宿っているところの、額とこめかみから凡ゆる部分にいたるところであるが―なぜなら頭のその領域は理知に相応しているから―天的天使が流入するのは、小脳が宿っていて、後頭部と呼ばれている頭の部分であり、[即ち]耳から首までにいたる周り全体である、なぜならその領域が知恵に相応しているからである。人間と話す天使たちの言葉は凡てこの道から人間の思考へ入っており、この方法により私は私と話した天使たちはいかような天使たちであったかを認めたのである。
霊界日記6110(39)
主は人間の額を眺められ、人間は主を通して眺めまつるため、善と真理との連結が生まれる。額は意志の愛、または善であり、目は理解であり、従って真理である。人間が智恵の中に愛を受け入れる者であり、または真理の中に善を受け入れる者であることはこうした理由からである。天使たちはことごとく主に顔を向けている。支配している愛がそれ自身に凡てのものはそれに従うのである。