火の洗礼

 

 

マタイ3・11−12

 

 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。

 

 

[Y]「洗礼の第三の最終の用は再生である。」

 

真の基督教684

 

 これは洗礼の主要なまた最終の用である。何故なら真の基督教徒は贖罪者であると共にまた再生者にて在す主イエス・キリストを知り、これを認めるからである(贖罪と再生とは一を為している。改良と再生に関する章の第三項を参照)。而して基督教徒はまた再生の手段、即ち、主に対する信仰と隣人への仁慈とを包含する聖言をもっている。これが「彼は聖霊と火とを以て汝らに洗礼を授けん」(マタイ3・11.マルコ1・8、ルカ3・16)の記事の意義である。聖霊は信仰の神的真理を、火は愛または仁慈の神的善を意味し、ともに主から発する(聖霊に関する章および「黙示録の啓示」(395、468番を参照)。信仰と仁慈とに由って主は凡ての再生を遂行し給うのである。主御自らヨハネによって洗礼を受け給ふた(マタイ3・13−17。マルコ1・9.ルカ3・21、22)それは単に主はその模範によって洗礼を制定し給う為のみではなく、さらに人間を再生し之を霊的なものに為し給う如く、自らの人間性を栄化し、これを神的なものに為し給うためであった。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P58

 

私の輝きは 決して衰えない。 神は火であると言っても、これは聖霊の火だと言っても どちらも正しい。 物質界の火に似て、あらゆるものを燃やして どの突破口をもくぐり抜け、触れるものを全て燃え立たせるゆえ。 神の火は愛の火 そしてあなたも、我がヴァッスーラ、それを免れなかった。 見よ、いかにあなたを焼き尽くしたか? 愛に焼き尽くされたのでなければ、ああ、どの被造物が、私どもに捧げた宗教的で 詩情豊かな祈りを書くであろう?

 

聖霊は、炎の洗礼による接吻の刻印を押したあと、あなたを燃え立たせ、その知性に分け入り、ご自分の神聖な炎で あなたの霊魂を結晶化された、ちょうど岩が 全くの炭素でありながら、極度の熱によって、結晶し、ダイヤモンドとなるように。 同じように聖霊の火も霊魂を浄め 水晶のように透明で ダイヤモンドのように混じり気のないものとする。 こうした聖霊の行為は やむなく苦しみを伴い、この魅惑的な炎に捕われた者は、火を点され、しかし愛をも点されて 苦しむ。 火が何度も 徹底的にあなたを捕らえ、翻弄し、あなたを岩からダイヤモンドに変容させるとき、聖霊は その魅惑的な行為を通して 神との出会いのためにあなたを整える。 こうは読まなかったか、「心の清い人は幸い、神を見よう」と? ひとたび神と見(まみ)えるなら、聖書にも書かれてあるように、霊魂はこう叫ぼう:

 

   「わが歓びよ! あなたを愛するのは 何とふさわしいことか!」

 

そして直ちに あなたは私どもを捕らえて所有する・・・そこで私は 雲間から降ってあなたを引き上げ翼にのせて空を舞う。 そして目には見えず 触れるを得ないものごとの由来を、観光ガイドのように、教えよう。 私はあなたに 我が栄えある玉座を示そう、その玉座から私は統治するが、あなたもまた傍らで、私どもと一緒に治め得ることを示そう。 ♡ ic

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/PXXIX

 

清め

 天使は依然としてとても深刻な表情で戻ってくると、私が神を大変悲しませた生涯のある行為を咎めました。また神の与えられた恵みを突き返し、全然ありがたいと思わなかったことも。

 

これを手始めに、まだ認めていない罪を次々と思い出させ、示しはじめました。あたかも画面に映っているように。その出来事と、どんなに神が悲しまれたかを。けれど一番大きい咎めは、神の恵みを拒んだことでした。恵みを拒んで無駄にすることは神に大きく背くことだと天使は言います。これらの罪は、私の目でなく神の目を通して見えたのです。ぞっとするほど醜く、自分を軽蔑するあまり激しく泣きました。あとで分かりましたが、こんな状態におかれたのは本当は神からの恵みで、心から悔い改めができるためなのです。罪がはっきりと示され、霊魂の内側が表にさらされ、まるで自分が裏表になったようでした。その時突然、アダムとエワが罪を犯した後、神が光の中を近づいて前に立たれたときの感じが分かりました。霊魂は覆いが除かれて見える状態になり、むきだしで、むかつくような醜い感じなのです。それで泣きながら、合間合間に天使に向って、こう言うしかないのでした。―こんなふうにどうしようもなく“わる”だから、私なんかまともな死に方にふさわしくない、死んでズタズタに裂かれてハイエナの餌食になっても仕方ない、と。

 

 この清めは一週間近く続いたに違いありません。ちょうど火にたとえられ、霊魂の内面を掃き浄める炎のようで、本当に辛い経験でした。