へりくだる

1.スウェーデンボルグ

2.聖母から司祭へ

 

 

1.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義4471

 

『かれらの言葉はハモルの目に良かった』は生命の方面でへりくだることを意味し、『ハモルの息子シケムの目に(良かった)』は、教義の方面で(へりくだることを)意味し、『で、その若者はその言葉を為すのにためらわなかった』は、受け入れようとの切望を意味し、

 

 

天界の秘義4472

 

「かれらの言葉はハモルの目に善かった」。これは生命の方面でへりくだったことを意味していることは以下から明白である、すなわち、『その言葉は善かった』の意義はへりくだったことであり、ハモルの表象は古代人の間の教会であり(4447番を参照)、ここでは生命である、なぜなら直ぐ後に記されているように教義は『シケム』である真理のものであるように、生命は善のものであるからである。ここではハモルにより生命が表象されて、善が表象されていない理由は、かれがヤコブの息子たちの外なる事柄に対しへりくだっていたということである。

 

 

天界の秘義4473

 

「ハモルの息子シケムの目にも」。これは教義の方面で、を意味していることは、シケムの表象から明白であり、それは古代人の間に在った教会の真理であり、それは『ハモル』である善から発しているのである(4454番)。しかしここでは『シケム』は直ぐ前に言われた理由から教義である(4472番)。

 

 

天界の秘義4474

 

「その若者はその言葉を為すのにためらわなかった」。これは受け入れようとする切望を意味されていることは、『言われたことを為すのにためらわないこと』の意義から明白であり、それはそれに対してへりくだり、かくてそれを受け入れようとする切望である。

 

 

天界の秘義4475

 

 「なぜならかれはヤコブの娘を非常に歓んだからである」。これはかの教会の宗教性[宗教]に関連して、を意味していることは、ここでは『ヤコブの娘』であるデナの表象から明白であり、それは古代教会の真理の情愛である、なぜならこの教会はヤコブにより表象されているからである(4439番)。この教会の真理の情愛と(または、それと同一のことではあるが、この教会と)連結しようとする切望が在ったが、しかしヤコブの子孫の間にはこの教会は(ここではそれはその息子たちにより表象されており、かれらはその父に代って語っているのである、4470番)たんに外なるものとなり、ハモルとシケムとはこの外なるものを受け入れることに同意したため、それで『ヤコブの娘』により今はこの教会の宗教性[宗教]が意味されているのである。

 

 

天界の秘義4478

 

「その町の男たちに語って、言った」。これは説得[確信]を意味していることは、『語る[話す]こと』の意義から明白であり、それは意志する[欲する]ことであり、また流れ入ることであり(2951、3037番を参照)、ここでは説得することである、なぜなら欲する者は確信をもっており、そこから流れ入る者は確信を伝えるからである。『町の男たち』は教義の真理の中にいる者たちであり、ここではシケムにより表象された真理に似た真理の中にいる者たちである。なぜなら古代では町[都]は一民族の一氏族以外の何ものでもなく、一つの氏族のものであった者たちが共に住むことが『町[都]』と呼ばれたからである。そして内意では理解されるものは氏族ではなくて、その氏族の生命と教義の方面の性質であるため、『町[都]』により教義の真理が意味され、そこに『住む者たち[住民]』により教義の善が意味されているのである(402、2268、2449、2451、2712、2943、3216番を参照)。しかし町に住んでいる者たちがその町の『男たち』と呼ばれていると、そのとき意味されているものは教義の善ではなくて、その真理である、なぜなら聖言では『男たち(viri)』は真理を意味しているからである(3134番)。

 

 

2.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1997.1.1

 

 わが子イエズスは、ご死去のま際に、あなたがたすべてに母としてわたしをお与えになりました。あなたがたにたいするわたしの母としての役割は、イエズスの、神としてのご人格(ペルソナ)の神秘を理解するようにとあなたがたを導くことです。

 

 イエズス・キリストは唯一の救い主です。

 

わたしたちと共にあられる神です。

 聖夜の神秘においてあなたがたは、神があなたがたみなと一つとなるために、どれほどへり下ったすがたをとられたかということを理解するでしょう。神は人間性をとられました。時間と空間の限界をご自分に課し、被造物とまったく変わらない姿で生まれ、かいば桶に寝かされ、すべての人間と同じリズムに従って生活されました。

 彼はあなたがたと同じように幼い子供でいらっしゃいました。少年、及び青年時代を過ごして成長し、あなたがたと同じ感情を経験されました。愛に敏感で、苦しみに傷つきました。友のために喜び、敵のために苦しまれました。