変容

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P210

 

 霊魂にその真理を獲得させるために主が用いられる第三番目の方法は、ご自身の本質そのものに霊魂を参加おさせになるということです。私にとって、その時にはちょうど神が無から世界を創造なさった時と同じようなことが起こるのではないかと思われます。あの時、神のたった一つのお言葉で全てのものが存在しました。そしてもう一つの全能なる神のお言葉によって、全ての被造物は神からすでに永遠に定められたとおりに、その秩序に従ってそれぞれおかれました。イエスの永遠の命のお言葉を受けた霊魂にもこのようなことが起こります。主はその真理を伝えられるというその動作そのものをもって創造なさいます。そして霊魂がご自分の美しさを愛するようにとお望みになっておっしゃいます。「わたしがどのくらい美しいか知りたいですか? あなたの目が地上と天のあちこちにちりばめられた美しさの全てを見ることができたとしても、わたしの美しさと同じようなものは決して見出すことができないでしょう。」

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P

 

 このようにイエスがおっしゃるのを聞きますと、霊魂は自分のうちになにかある神的なものが入ってくるのを感じ、全ての美しさを超えた美しさであられるイエスに引きつけられ、主にしっかりと執着するのをおぼえます。それと同時に、この地上の美しいもの全てへのあらゆる関心を失います。なぜならそれらがどんなに美しく、貴重であろうとも、イエスの美しさと比較するなら無限の相違があることに気づくからです。それゆえ霊魂はすっかりこの美しさにとらわれ、愛におちいれ、それに溺れ、変容させられますので、このことをいつも考え、それについて絶えず話したいと願います。さらにもしイエスが奇跡を行って下さらなかったら、霊魂がイエスの美しさを見る時、その心は純粋な愛のために破裂し、天上でその美を楽しむために主のもとへとそうそうに飛び去ってしまうことでしょう。私自身全てこのような感情を経験いたしましたが、イエスのあの美しさの魅力についてどう言い表せばよいのかまったく分かりません。どうか多くの失言をしたとお思い下さい。けれども以上のようなことを私が推測できるだけのなんらかの超自然的な印象が、私のうちにまだ残されたということを主張できます。愛するイエスの美しさに比べれば、全ての地上的な美は太陽の出現によって満天の星が隠されてしまうようなものですので、被造物の美は、私には取るに足らない物、子供だましのように思えます。