平和主義
1.聖書
2.ヴァッスーラ
3.聖母から司祭へ
1.聖書
エレミヤ6・13−15
「身分の低い者から高い者に至るまで
皆、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して
平和がないのに、『平和、平和』と言う。
彼らは忌むべきことをして恥をさらした。
しかも、恥ずかしいとは思わず
嘲られていることに気づかない。
それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ
わたしが彼らを罰するとき
彼らはつまずく」と主は言われる。
エゼキエル13・10
平和がないのに、彼らが『平和だ』と言ってわたしの民を惑わすのは、壁を築くときに漆喰を上塗りするようなものだ。漆喰を上塗りする者に言いなさい。『それは、はがれ落ちる』と。
2.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P208
‘89・7・17
♡ 我が子よ、私の言葉を聞いて書きなさい ♡ 私は我が群れの大いなる牧者。 群れの番をするように羊飼いたちを訓練した、しかし仲間たちの多くはこの仕事の道具として不適格で、迷子の羊を放っておき、道に迷った羊を群れに連れ戻そうとしない。 一番の友が最大の悲しみをもたらしている、私のからだに最も深い傷を負わせているのは 私自身の手で杖を与えた者たちだ。 彼らは一番の親友、しかし彼ら自身の手で 見分けのつかないほど私は深傷(ふかで)を負い、我が背中は絶え間なく鞭打たれている。 全身が痛みで打ち震え、唇はカラカラに渇いてけいれんする、彼らは怖れなく平和を叫ぶが、平和はなく、合理主義、不従順と虚栄心に魅せられ捕えられている。 彼らは何という悲しみを与えているか なんと私を傷つけていることか!
主よ? どうして人によっては、これほど難しいのですか?
ひとたび偽りの笏を握るなら手放すのは難しい、人間的な教義や決まりを捨てるのは難しい、自らの欲望に死ぬのは難しい、自らを−卑しめる−衣を纏(まと)うのは難しい、こうした者たちに対してはこう言う: 吠えたけるように、羊飼いたちよ、地面にころがり、わめきなさい、群れの主たちよ、屠殺される日が到来し、肥えた雄羊のように一人ずつ倒されるであろうから。 私は友人の中でも最も美しい遺産を与えた、正しい者たちと肩を並べさせ、私の家督を、任せた、しかしあなた方は我が掟を護らないで、教えを棄て、私が悪と見なすことを行った、私は声をかけた、だが聞こうとしないで、私に従わなかった(*)・・・
*非常に苦い思いが込められていました。
3.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1990.3.13
サンパウロ市(ブラジル)
人の子が帰るとき
あなたたちは、福音書の中で次のことばを読んでいます、「人の子が来るとき、地上に信仰をみい出すだろうか」(ルカ18・8)と。
わたしの子イエズスが言われたみことばを黙想するように、今日わたしはすすめます。
厳格なことばです。また反省させることばで、今あなたたちが生きているこの時代を理解させることができるみことばです。
まず第一に、なぜイエズスがこのみことばを言われたかを考えることができます。それは、ご自分の第二の来臨を準備させて、光栄のうちに戻ってこられる時が近いことを示す一つの事態をあなたたちに知らせるためです。
この事態というのは、信仰を失うということです。
聖書の他の所にも、つまり―テサロニケ人への聖パウロの第二の手紙(2・3)においても、キリストが光栄のうちにお戻りになる以前に大きな棄教があるということが明らかに示されています。
信仰を失うことは、本当の棄教です。
したがって、棄教が広がっていくのは、主の第二の来臨が近いことを示すしるしです。
―ファティマで、わたしは、いつかまことの信仰が失われる時が来るだろうと予告しました。
その時とは今です。
あなたたちの、これらの日々には、聖書によって予告されたこの悲しむべき意味ぶかい事態によるしるしがあります。すなわち、まことの信仰がわたしの子らの中からますます多く消えていくということです。
信仰を失う理由を次にかかげましょう。
(1)謬説が広がること。これらの謬説は宣伝され、多くの場合、神学校において、神学校の先生たちから、また、カトリックの学校においても教えられています。それで、ある程度まで本当らしいもの、正当化されたものとして考えられています。
(2)教会の真正な教導職、とくに教皇の教導職に対するはっきりした公の反対。でも教皇は教会全体をカトリック的な信仰の真理のうちに守る役割をキリストからうけているのです。
(3)世間の精神に完全に服従した牧者たちの悪い手本。この牧者たちは、キリストと、その福音をのべ伝えるかわりに、政治的な、社会
的なイデオロギーを宣伝するものとなっています。こうしてかれらは、「全世界に行って、すべての人に福音をのべ伝えよ」というキリストから受けた使命を忘れています。
こうして、あなたたちのこれらの日々において、わたしの沢山のかわいそうな子らのうちにも棄教は日増しに広がってきます。