天界の秘義1803

 

「しかしあなたの腹から出る者」。これは主に対する愛と隣人に対する愛の中にいる者たちを意味していることは『腹』と『腹から生まれること』の意義から明白であり、それは生まれることであり、ここではそれは主から生まれつつある者たちを意味している。主から生まれつつある者たちは、すなわち、再生しつつある者は主の生命を受けるのである。主の生命は、前に言ったように、神的な愛であr、すなわち全人類に対する愛であり、またはその全ての者を、またはすべての人間を、できることなら、永遠に救おうと欲する意志である。主の愛を持たない者は、すなわち、自分自身のように隣人を愛さない者は決して主の生命を持っていない、それで決して主から生まれてはいない、すなわち、『主の腹から生まれ』ていないのであり、それでかれらは主の王国の嗣子[相続人]となることはできないのである。

 

[2]このことから『腹から出ること』により、その内意では、主に対する愛と隣人に対する愛の中にいる者たちがここに意味されていることが明白である。イザヤ書にも同じく―

 

  あなたのあがない主、イスラエルの聖者はこのように言われた、わたしはあなたの神エホバであり、あなたに利を得ることを教え、あなたの歩まねばならない道にあなたを導く者である。ああ、あなたがわたしの戒めに耳を傾けて、あなたの平安が川のようになったらよかったのに、あなたの義が、海の波のようになり、あなたの裔が砂のように、あなたの腹から出る者がその砂利のようになったらよかったのに(イザヤ48・17−19)。

 

 『砂のような裔』は善を意味し、『砂利のような腹から出る者』は真理を意味し、かくて愛を持った者たちを意味している、なぜならこれらの者のみが善と真理を求める愛の中にいるからである。

 

[3]さらに聖言には『腹』は以下の理由から愛または慈悲を意味している、すなわち、子供を生み出す腹は、とくに母の胎は貞潔な婚姻愛を、またそこから派生してくる子供たちに対する愛を表象し、かくてそれを意味しているのである。たとえばイザヤ書には―

 

  わたしに向ってかきたてられるあなたの腹も、あなたのあわれみも抑えられてしまいました(イザヤ63・15)。

 

 エレミア記には―

 

  エフライムはわたしにはいとしい息子ではないか。かれは歓ばしい子供ではないか。そのためわたしの腹はかれのためにかき乱されている。わたしはかれを憐れみ、また憐れもう(エレミア31・20)。

 

「4」このことから、主の愛それ自身が、または人類に対する慈悲そのものが、憐みが、『腹』により、また『腹から出ること』によりその内意に意味されており、したがって『腹から出る者[腹から生まれる者]』により愛を持っている者たちが意味されていることが明白である。(主の王国は相互愛であることは前の548、549、684、693、694番に見ることができよう)。