私を反射する者となりなさい

 

1.ヴァッスーラ

2.サンダー・シング

3.聖母から司祭へ

 

 

 

1.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P86

‘90・1・9

 

私はあなたを最も愛する者です、私を愛し 私の意思を行って 我が好意のうちに留まっていなさい。 私のわざを完成させようと心に決めなさい。 このすべてを理解し 我が子よ あなたを用いるのを許してほしい。 愛している。 身を捧げなさい あなたを引き上げ 養い、我が聖血(ち)をあなたのうちに充満させよう、 愛をもって話し、愛をもって考え、あらゆる面で私を反射する者となりなさい。 あなたに求めるのは熱意、愛と真心だけです。 私を聖なる仲間、あなた方の間にいる一人として扱ってほしい、どれほど崇めているかをしばしば告げなさい、私は嫉妬深い神であり 絶え間ない祈りを求めている、分かったであろう? 花よ、私は我が庭園の寝ずの番をする園丁です 私はそれが放っておかれ 乾いているのを見い出したが、生き返らせて しかもすべてを私自身で行うと約束する。 あなた方皆に私の顔を顕し 多くはそれを認めて 犠牲と祈りをもって私を礼拝しよう、そう、多くの人は私のほうを向き 私を見て我が愛を理解し 私は彼らを癒そう。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P154

‘90・5・12

 

世代よ、悔い改めなさい・・・口を開いて話す前に よく考えなさい。 頭でなく 心で私を探し求めなさい。 あなたの神 私に倣い、我が足跡につき従いなさい。 話す前に自らこう問うてみるがよい: 「この場合キリストはどう仰しゃったであろう?」あるいは: 「この場合キリストはどうなさったであろう?」 口を開く前によく考え、口を破滅の原因とはさせないように、霊に過ちを犯させてはならない。 私を真似て 我が象りの全き反射となりなさい。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P190

‘90・7・19

 

祝された者よ、我が神聖の 見える象りとなってほしい、それは 私を熱心に愛し、我が掟をあくまで良心的に守ってそうなるのです、そして少しずつ、結果として、私に背いてあなたを迫害する者たちを 直してゆこう。 彼らがどう背教したかを思い出させよう。 悔い改める機会を与える。 勇気を! こう言っておく 娘よ: 耳ある人たちは聴くように。 聴く耳のない人たちは聴かなくてよい・・・

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P252

‘90・10・10

 

巡礼に訪れて祈る時 清い心で来ますか? 悪を行うのをやめたでしょうか? 隣人と和解していますか? 罪を告白し まことに悔い改めましたか? 敵を祝福し 赦しましたか? 悪を愛で返したでしょうか? 手によいわざをいっぱい携えて主にお会いする用意が 本当にできていますか? ― 迫害する者たちを祝福し、祈ってあげなさい、 裁かないように、祈り続けなさい、恨みを持ったまま、心で赦していないなら献げ物は何になるでしょう? あなたの聖性はどうなってしまうでしょう? 身を浄め 神の光と 神の愛のうちに生活なさい。 心の暖かさと光の輝きを通して 福音のまことに証人となりなさい。 主とともに十字架を担い イエスの証人となりなさい。 信仰を堅実に保ち キリストの代理者と一致し 教会の証し人となりなさい。 決して口をすべらさないように。 主が完全なお方であるように 完全な者となりなさい。 あなた方がまことに神の偉大な愛の初穂であることを にじみ出させなさい。 どの目もあなた方のよい行為を目撃し 至高者の子どもたちであるがゆえと分からせなさい。 あなた方の身にも 主の五つの傷跡が見られますように、そしてこれらが主の教え子 主が聖なる師であるのを示す 印となりますように。 私どものメッセージを生き ひろめる穀粒となりなさい。 地球上のあらゆるところ 世界の果てまであなた方の愛の叫びが届きますように。 一人ひとりを祝福します、時間を与えてくれてありがとう。 ♡ 平和のうちに行きなさい ♡

 

 

2.サンダー・シング

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P301

 

一方、真理すなわち神が宿っている人たちの善なる美しき生活の結果は、意識的にも無意識的にも感じとれる。

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P302

 

同じように、天の父とのつながりに感化された人の生活は、周囲の人たちの生活にも静かに影響を与える。生活の中に天の父の美徳と栄光を表わすことは、わたしたちにとってどれほど必要なことであろう。

 

 

フリードリッヒ・ハイラー著、金井為一郎訳『東洋及び西洋の使徒 聖サンダー・シング』

 

すべてのキリスト教徒は、男でも女でも、少年でも少女でも、富める者も貧しき者も、労働者も農夫も、著作家も祭司も、裁判官も官吏も、医者も法律家も、教師も生徒も、政府の官吏でも宣教師でも、彼が主のための証をなすという事を条件としてのみ彼はキリスト教徒である。主の証を立てんがためには、必ずしも我々が公開の席で説教をせねばならぬとか、説教壇から説教をせねばならぬとか聖書のクラスや日曜学校やキリスト教同盟やを指導せねばならぬとかいうのではない。否、これらは、それによってわれわれが証をすることの出来るいくつかの方法にすぎない。しかしすべてのキリスト教徒は、かれらがどこにあろうとも、主のために証をなすことの機会を持つのである。かれらはこの証を、かれらの正直な生活によって、欠点なき品性によって、行為の完全なることによって、言語による真面目さによって、おのが宗教に対する熱心と主に対する愛とによって、イエス・キリストに関して他人に語ることの出来るあらゆる機会を用いてなすことが出来る。

 

(同)

われわれインド人は教理を、宗教的教理をさえ欲しない。われわれはその種のものは十分かつ十分以上に持っている。われわれは教理に疲れている。われわれは活けるキリストを必要とするのである。インドは只に説教をしたり教えたりするところの人々のみでなく、またその全生活と性質とがイエス・キリストの啓示であるところの働き人を要求する。

 

 

3.聖母から司祭へ

 

聖母から司祭へ1975.10.24

 

 生活を通してお話しください。生活があなたがたの言葉であるように。そうすれば私自身が、あなたがたの中で、あなたがたの代わりにお話しします。その時、あなたがたの言葉は聞く人に理解され受け入れられるでしょう。

 現代は、全世界を迷わすために、私の敵によって言葉が使われている時なので、私は、この言葉に対して、沈黙で対抗するように願います。

 こうして聖霊が、あなたがたの中で語り、あなたがたの中に降り、あなたがたを通して、この世は聖霊によって全く刷新されるでしょう。