反キリスト
ヨハネ1・2・18
子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
ヨハネ1・2・22
偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。
ヨハネ1・4・1−3
愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは、反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。
ヨハネの手紙2・7
このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。
マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/P62
‘43年7月23日
教会は草創期において、またその最良の子たちにおいて、迫害されもし超自然的な力によって養われもしてきたが、同様に、最後の時が到来するとき教会はその最良の子たちと共に、サタン的大波に対して、また反キリストと教会の最良の子たちとの戦いに対して存在し、生き残り、抵抗するだろう。それは苦痛に満ちた、公正な淘汰だ。
多くの霊的な光が死滅する世界においては、キリストが父から生まれたのと同じようにサタンから生まれた反キリストの短いが恐ろしい王国が、明白に創始されるのは当然だ。父の息子キリストは愛によって純潔をもって生まれた。サタンの息子反キリストは、三重の不浄をもって憎しみから生まれた。
搾油場の挽き臼で潰されるオリーヴのように、キリストの子たちは貪欲な獣によって迫害され、絞り取られ、粉砕されるだろう。しかし血は霊において腐敗することを許さないだろうから呑みこまれることはない。最初の子たちと同じように、最後の子たちも最後の迫害にさいして、麦の穂の束のように鎌で刈り取られ、大地は彼らの血を飲むだろう。だが主への忠実のうちに死ぬ人々は、その忍耐づよさによって永遠に幸いなる者となるだろう。
天使館/天使のパン15号P37
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1971年5月7日早朝の主の御言葉
背信が国全体を脅かしているとしても、背信の時代であっても、心配したり、勇気をくじかれてはならない。
私は反キリストの時代が始まったことを告げよう。反キリストはサタンでもなく、一人の人間でもない。反キリストとは神から自ら離れ、私の福音から離れた組織である世俗的教会のことである。つまり、世俗に自らを与えて、十字架についても、恩寵についても知ろうとは望まない人たちによる反教会のことである。
真のキリスト信者が私を彼らの神および救い主として私を知り、崇敬し、愛するのと同じように、神を信じない人々は世俗と人間を崇拝する。こうした神無き人々のアイドルはサタンではなく、自らを神としている人間である。反キリストとは神から離れた世界のことなのである。
私の最も大きな悲しみは、自らキリスト信者と称している非常に多くの人たちが私を捨て、さらに多くの司祭たちが神の福音に不忠実になり、司祭服を投げ捨てたばかりでなく、誓願までも捨てたことである。子供たちをキリストへ導く代りに、このような司祭が子供たちの心に少しずつ不信仰の毒を投入している。司祭職のために準備している若者たちを十字架、恩寵、祈りによって教え、心を燃え立たせる代りに、無神論的な教えや、偽りの自由、官能などの雑草で若者たちの心を満たしている。
聖福音を説教し、神の掟への道を示し、私の贖いの恩寵を若者たちに教える代りに、このような司祭たちは、偽りの預言者たちの空しい知恵や思い込みによる偽りの傲慢について若者たちに語っている。こうした全てが生ける反キリストであり、真のキリストである私とその教会とは反対の立場に立っている。しかし最後には、ルシファーとその手下たちは永遠の地獄で終りを迎えるであろう。