1.歯

2.歯ぎしり、歯がみ

3.歯痛

 

 

 

 

1.歯

 

天界の秘義5565

 

 歯のような、さらに固い骨に関係している若干の霊もまたいるが、しかしわたしはかれらについては多くを知ることは許されず、ただかれらは霊的な生命をほとんど残されていないため、天界の光の中で目に示されると、いかような顔ももたないで、ただ顔の代わりに歯のみをもって現われることを知ったのである、なぜなら顔は人間の内部を表象し、かくてかれの霊的な天的なものを、すなわち、信仰と仁慈とのものを表象するからである。それで身体の生命の中でこの生命を自分自身で何ら得なかった者らはこのように現れるのである。

 

 

 

 

2.歯ぎしり、歯がみ

 

 

マタイ8・11、12

 

「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」

 

 

 

マルコ9・18

 

霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。

 

 

 

黙示録講解556ハ

 

この霊は真理に反抗する決意をもち、またそのことに頑強であり、誤謬を確認していたため、弟子たちはかれを追い出すことはできなかったのである、なぜなら弟子たちは未だ適当な状態に達していなかったため、かれが擁護して、そのために戦った誤謬を未だ放逐することはできなかったからであり、弟子たちが主から叱責されたのはまたこのことのためでもあったのである。

 

 

 

黙示録講解556ハ

 

地獄における『歯がみ』は相互に真理に反抗して誤謬について絶えず論じ、争うことであり、かくて誤謬の中にいる者らの絶え間のない議論と論争であり、それに他の者に対する侮辱、敵意、嘲笑、愚弄、冒瀆が加わり、またこれらの者は互に他の者らを八つ裂きにしようと企てている、なぜなら各々の者は自己を、学殖を、名声を求める愛からその者自身の誤謬のために戦うからである。こうした議論と争いとは歯がみとしてこれらの地獄の外側には聞え、また真理が天界から外へ流れ入るときは、歯がみに変化するのである。(しかしこの主題についてはさらに多くのことが「天界と地獄」の中に見ることができよう、575番)。

 

 

 

天界と地獄575

 

歯がみは、誤謬の相互の、従って誤謬にいる者ら相互の絶え間もない論争と争闘であって、それにはまた他の者に対する軽蔑、敵意、愚弄、冒涜が結びつき、そうした悪も同じく色々な種類の口論となってばく発している。なぜなら各々は自分自身の誤謬のために戦って、それを真理と呼んでいるから。こうした論争と闘争とは地獄の外では歯がみのように聞え、また天界から真理が彼らの間へ流れ入るときも同じく歯がみに変化する。そうした地獄には自然を承認して、神的なもの[]を否認した凡ての者がおり、深い地獄にはそうした否認を確認した者らがいる。これらの者は、天界から光りを全く受けることはできず、そこから自分自身の内部に何物も認めることができないため、その大半の者は形体的な感覚的な霊となって、目で見、手で触れるものをのぞいては何一つ信じていない。そこから感覚の妄想はすべて彼らには真理であり、そこからまた彼らは論じている。これが彼らの論争が歯がみのように聞える理由である。なぜなら霊界では誤謬は凡て軋り音を発し、歯は自然の最も外なる物に相応し、また人間の最も外なる物である形体的な、感覚的なものに相応しているからである。地獄には歯がみがあることは、マタイ伝に見ることができよう(8・12、13.42、50、22・13、24・51、25・30、ルカ13・28)。

 

注・・歯の相応については、5565−68.単に感覚的なものであって、霊的な光りをほとんど何一つ持っていない者は歯に相応している、5565。聖言の歯は人間の生命の最も外なるものである感覚的なものを意味している。9052、9062。他生における歯がみは、自然は一切の物であって、神的なもの[]は無であると信じている者らから起っている、5568.

 

 

 

天界の秘義5568

 

 歯ぎしりをする者らが時々わたしとともにいたことがある。かれらは悪い生活を送ったのみでなく、神的なものを否認し、凡ゆる物を自然に帰した者らのいる地獄から来ていた。これらの者は話すときは歯ぎしりをするが、それを聞くと恐怖におそわれる。

 

 

 

 

3.歯痛

 

 

霊界日記4591

 

 こうした地獄から来ている霊らは病人のもとにはいないが、しかしそうした熱からは、全般的なスフィアが、また全般的な流入が起っており、それがすぐさまその病気そのものによりその病気のものとされてしまうのである。そうした地獄そのものから来ている霊らがわたしと共にいたが、それはそうした霊らが何処から来ているかをわたしが教えられるためであったのであり、またその霊らはその場所と交流していたのである、すなわち、かれらが身を引くに応じて、その病はおだやかになり、近づくに応じて、それはさらに激しくなったのである。熱、冷寒、歯痛、こめかみ、頭、尻、種々の関節の痛みはこうしたものである。