ご聖体における主の現存
1.スウェーデンボルグ
2.聖母から司祭へ
3.トマス・ア・ケンピス
4.マリア・ワルトルタ
5.デボラ
1.スウェーデンボルグ
スウェーデンボルグ/真の基督教/716
主御自身の言葉によって明白であるように、主はその栄化し給うた人間性と主の人間性が由って以って発した神性をもって聖餐の中に全的に臨在し給う。
2.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ87.8.21
ご聖体の中にイエズスは、おん体と、おん血、魂と神性をもって、実際に現存しておられます。そうです、神のおん子イエズス・キリストは、実際に現存しておられます。
聖母から司祭へ87.8.21
愛する子らよ、イエズスが、ご聖体の中にいつも留まられるという“たまもの”をくださったのは、愛の奇跡であって、あなたたちは、この奇跡を天国ではじめて悟るでしょう。
聖母から司祭へ1993.11.21
キリストの光栄ある王国は、イエズスのご聖体の王国の勝利とともに実現するでしょう。
なぜなら、清められ、聖なるものとされ、愛によって完全に新たにされた世界において、イエズスは、特に、ご聖体におけるご自分の現存の神秘をもって、御自らをお現しになるからです。
ご聖体は、そのあらゆる神的力が発揮され、新たな光となって、人々の心と霊魂、そして個人に家庭に、また諸民族の生活にも、その輝かしい光線を反射させ、こうしてすべての人を、従順で柔和な唯一の羊檻(おり)の群れとなし、イエズスは、その唯一の牧者となられるでしょう。
おいでになる主を迎える準備をさせるために、こん日、世界各地からあなたたちを集めている天の母は、この新しい天と地にあなたたちを導きます。
3.トマス・ア・ケンピス
キリストに倣いて4・1・9
多くの人々は、いろいろなところに駆けつけて、聖人方の遺物を見、その行ったことを聞いて驚嘆します。またその聖堂の壮大な建築を仰ぎ見、絹や黄金に包まれているその聖骨に接吻します。
しかも見よ、私の神、聖中の聖、人類の創造主、諸天使のあるじである主は、私のすぐそば、この祭壇の上においでになるのであります。
前述のような物を見るのは、しばしば好奇心や目新しさに駆られたためでありまして、過ちを改め善に進む効果は、それによってほとんど得られません、人々が自分の罪をほんとうに痛悔もせずあちらこちら走りまわるときなどは、わけてもそうであります。
けれどもここの祭壇の秘跡中には、私の神であり人であるキリスト・イエズスが、そっくりそのままおいでになるのでありまして、主をふさわしく、信心をもって拝領するたびに、永遠の救いの効果も、豊かにいただかれるのであります。
そしてこれに私達が引きつけられるのは、軽率(かるはずみ)や、好奇心(ものずき)や、五官の欲によるのではなくて、固い信仰、熱烈な希望、心からの愛によるのであります。
4.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/受難の前日/P187
ヨハンナ、心を高く上げなさい。私はあなたたちの家の中にいます。忘れてはいけません、私が去ってもあなたたちを孤児として残すことは決してありません。私の家、私の教会を残し、そこには“善い訪れ”と私の言葉、私の愛が住みます。
最後に、偉大な賜物として聖体を与えます。それはあなたたちを養い、慰め、力づける私自身です。
5.デボラ
デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P120
娘よ、あなたが見ていることは、全ての聖体の祭儀の間に、目に見えない形で、実際に起こることである。
デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P89
あなたがたの不従順を浄めるために、無垢な者から流された血で濡れた私のからだ、すなわち聖体の秘跡が、それらの秘跡の中で太陽のように輝いている!あなたの食卓に私を受けるとき、私は本当にあなたのうちに現存するのである!私は昨日のように今日も、あなたがたの心の天国に座るために、私の天から戻ってくるのである!
デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P87
(ここで私は、一人の司祭が信徒たち全員の前で、両手を上げてご聖体を捧げ挙げている姿を見ました。)
さてこれこそ、聖なるミサ聖祭全体における荘厳な行為、もっとも偉大な和解の犠牲である!これがどれほど広大な奇跡的わざであるかを、あなたがたの誰が説明することができるだろうか?また聖体の祭儀とは太陽である。それは聖なる心、恩恵である。それは私の証である。それは、『私は常にあなたがたと共に在るであろう』という私のことばの忠実性を構成するものである。私は神の愛によって形成されてこねられた、その優しさと愛のすべてをもって、この住居の中に存在しているのである。
これを超越することができるほどの奇跡はこの地上には存在しない!その小ささのうちに、私の偉大さの全てが存在する!私が彼らを通して、私の霊をあなたがたの上に注いでいる私の司祭たちは、聖なる杯と一致して、この『すべて』を代表している。こうしてあなたがたは私の受難に参加し、その時ごとに『小さなホスティアの子』となるのである。ああ私の司祭たち、空中の黒い天使達は、この感嘆すべき愛と救いの行為を破壊したいと望んでいる。彼らはその偉大さについて自覚しているので、それを灰と化してしまいたいと欲しているのだ。しかしこのことについて、私の司祭たちは理解しているのだろうか?そう、或る者たちは分かっている。しかしその数はあまりにも少ない!聖体の秘義とは、その中で私の要素の全てが永遠に生きている炎であり、全てを聖化する私の聖霊が、終わることなくその中で燃えているのである。
これこそが私の教会を、世代を経ても誤まることのできないもの。勝利の教会とするのである。この無限の太陽の力と憐れみをもって、私は世の罪を超越し、後悔の念を与えるのである!自身を明らかに示すこのような輝きと、休むことなく更生されるこのような責め苦の前で、なぜ人間は感動しないのだろうか?
あなたに再び繰り返して言う、我が聖体の娘よ、これよりも大きな和解の犠牲は存在しない!
デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P94〜97
もし可能であれば、人は、私の聖職者の手から直接口に、捧げるべき尊敬の全てをもって、それにふさわしく私を受けるように。
そのあとにあなたがたの心の中で、私に正当な歓迎を与えなさい。私はあなたがたの間にいることを望むが、私はあなたがたのうちの一人ではない、ということを忘れてはならない。私は受肉した神であり、単に神聖化された人間ではないのである。多くの私の友が到達し得ず、触れることができず、洞察することのできない私の聖体のために、その命までも与えたという事実を思い起こしなさい。
第三番目は、ひざまずいて、出来るならひざまずいて私を受けることである!
あなたがたのうちの何びとといえども、このように神聖なる尊厳そのものを、立ったままで受けてはならない。少なくとも私を王として、そして救い主として敬うしるしとして、その前にいったん片膝をつくべきである。あなたは、少なくともあなたは、完全な生徒としてこの模範を示しなさい。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P219
時間があれば、聖餐に毎日でも与りたいと思う。わたしはそこから大きな益を受ける。パンとワインが実際にキリストの体と血に変化すると信じているのではないが、信じる人にとっては、まさに聖変化したと同じ効果を与えるのである。モーゼが荒野で掲げた青銅の蛇は、それ自体には何もなかったが、信じた人々は服従によって癒された。同じことが御聖体にもいえる。パンとワインとは、それ自体には何もない。しかし、戒めへの服従と信者のそれに対する態度が、全的変化を生むのである。