語学力
1.スウェーデンボルグ
2.ヴァッスーラ
3.サンダー・シング
1.スウェーデンボルグ
天界と地獄464
従って人間は死後は、世で言語と科学とに通じていた度に応じて合理的になるのではなく、その言語と科学により合理的になった度に応じて合理的となるのである。世ではヘブル語、ギリシャ語、ラテン語のような古代言語に精通しているために学者であると信じられはしたが、そこに書かれていることによって、己が合理的な能力を培わなかった多くの者と私は話したことがある。彼らの中にはそうした言語を何一つ知らない者のように単純な者もおり、愚鈍な者さえもいたが、しかも彼らには自分は他の者よりも賢明であるかのような誇りが残っていたのである。
天界の秘義2472
ここから人間は身体の中に生きている間は、発音される音声に、即ち、言葉に区別された言語によらなくては互いに話し合うことが出来ず、またこれらの言語に習熟していない限り互いに他を理解することも出来なくなっているが、それは彼らの言葉は外的な記憶から発生しているという理由のためである。それに反し霊たちは思考そのものに属している観念に区別されている普遍的な言語により互いに話し合っており、かくて、いかような霊とも、その霊が世にいた間はいかような言語を語り、また如何なる国家の者であったにしても、話し合う
ことが出来るのであるが、それは彼らの言葉は内的な記憶から発生しているという理由のためである。人間はたれでも死後直ぐにこの言語に入ってくるが、それは彼が前に言ったように彼の霊に特有なこの記憶の中に入ってくるからである(1637、1639、1757、1876番)。
天界の秘義2480
人間は死後内的な記憶の中にいる以上、この内的な記憶は彼らの合理的なものに属しているのであるが、そのため、世では幾多の言語にひときわ秀でていた者たちもその言語の一音節すらも呼び出してくることは出来ないのであり、幾多の科学にひときわ精通していた者もその知識のいかようなものも呼び出すことが出来ないで、ときとしては他の者以上に愚かなものとなるのである。しかし何であれ彼らが言語または科学により吸引したものがことごとく、それが彼らの合理的なものを形作っているため、持ち出して利用するのである。彼らがそのようにして得た合理的なものは、彼らが考えまた語りもする源泉である。言語と科学により誤謬を吸引して、それを確認した者は、誤謬以外の何ものからも論じはしないが、しかし真理を吸引して、それを確認した者は真理から語るのである。生命を与えるものは情愛であり、誤謬に生命を与えるものは悪の情愛であり、真理に生命を与えるものは善の情愛である。たれでも情愛から考えるのであって、たれ一人情愛が無くては考えはしない。
2.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P75
あなたに私の見分け方を教えた、ヴァッスーラ 私は どの言語もマスターできない人を選んだ、与えている言葉に頼る人を、あなたに聞くことを教え、耳を訓練しているのです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P80
‘91・2・25
(急に、ところどころの綴りや文法の間違いを思い出し、すでに亡くなった別の神秘家の、同じ悩みについて主の言われたことを思っていました。)
そう、あなたに届くため その文法のレベル、言葉の限られた知識にまで身を下げるように 私は余儀なくされている、ああ 実に! あなたは道具として 本当に不備な者、(イエスは微笑んでおられました)しかし不備ではあっても使うことができる、小さな者よ。 あなたのイエスは たび重なる祝福を浴びせて来た、そしてある日、ヴァッスーラ、ある日、私は光のうちに現れ 我が光の中に引き入れよう・・・しかし今はこのまま私とあなたで 今までのようにつづけてゆく ♡
3.サンダー・シング
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P203
5.また、わたしは、真摯な心でわたしを探し求める者たちに、わが言葉(聖書)をもって自らを現わしめている。わたしが人を救うために人の姿をとったように、霊であり命であるわが言葉もまた、人の言葉で書かれている。つまり、霊感的要素と人間的要素がそこで一つにされている。
だが、人はわたしを理解しないのと同じく、わたしの言葉を理解していない。ヘブライ語とギリシャ語の知識でそれを理解することが必要なのではない。必要なのは、預言者と使徒たちにそれを書かしめた聖霊との交わりである。聖書の言葉は、疑いもなく霊的であり、世の批判に通じている者であれただの子供であれ、聖霊によって生まれた者のみが、よくそれを感得しうるのである。霊的言語は人の母国語でもあるため容易に理解できるはずなのだ。だが、この世の知恵しかもたないものは、聖霊を受けていないため、それを理解することはできない。