御絵・聖骸布
1.主のお顔・聖骸布のご絵
2.聖母のご絵・ご像
3.苦しみの極みにあるイエスの肖像が現れました。御眼は血が溢れ、固まってその周りにこびりついています・・・
1.主のお顔・聖骸布のご絵
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P233
‘87.6.6
イエス?
私です。 神の顔を覗き込むなら 愛を見たことになる。
私は主の写真、聖骸布を見ていました。
私にすっかり支配されたいか ヴァッスーラ?
はい、わが神よ、お望みでしたら、そうしていただきたいのです。
では 私を自由にし、決して邪魔をしないように、私のために生きなさい。
主よ、どうやって私は邪魔をしていますか? どうぞ主を妨害することのないように、お教え下さい。
罪が邪魔となる、罪です ヴァッスーラ。 本当に私の望むように あなたのうちにさせてもらえるか?
はい、わが神よ。私が罪を犯さないように、禁じて下さい。私の罪をお赦し下さい。私のうちに、お望み通りなさって下さい。私の臆病をどうぞご覧にならないで下さい。それを気にしないで下さい。必要とあれば、私を引きずってでも、どうぞ自由に扱って下さい。そして主の御わざをなさって下さい。私は、どんな遅れの原因ともなりたくありません。あなたの御わざの邪魔になりたくありません。ですから、私の弱さを気にとめないで下さい。お望みのままになさって下さい。
娘よ あなたの言葉を喜んでいる、さあ 私のわざを続けよう ♡
‘87.6.6(つづき)
私の意志のとおり自由にするに任せなさい、さあ、私がどのように働くかを明かそう ♡ 多くの恵みを与えてきた ヴァッスーラ、しかし与えた恵みをあなたに認めてほしい。 私を悦ばせてもっと信じるように。
もし主のお気に召さないならこれらの恵みを取り上げてしまわれるのでは、と怖れています。
どうして我が恵みを取り上げようか?
もし私がよくならず従わないなら、そのうちにそれらを取り上げてしまわれるかもしれません。
いや、決して!
お気に召さないとなれば、取り上げてしまわれても正しいことのように思えます。
あなたの目には正しいと思えても、子よ、救いに来るまでは、養いつづける、あなたを何年も切望していたものを、決して私の食物を差し控えたりはしない、心に深く抱きしめて、愛するのを何年も待っていた、いまあなたから私の食物を取り上げるであろうか? さあ、望むだけ私に依りかかっていなさい、忘れないように、私は愛、無償で与え 与えるものを取り上げたりはしない ♡ 私のやり方を常に思い出させよう ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P236
‘87.6.7
ヴァッスーラ、そうです、私の顔を覗き込むように ♡ 私を見てくれたなら、慰められる、皆に話しなさい、こんなにも、私を慰めるのは簡単なのです ♡ 来て 私を愛し、讃えなさい ♡
前には聖骸布の写真がありました。そしてイエスが先のメッセージを書かれたとき、それを眺めていました。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P327
‘87.9.9
主: 私の顔のこの部分はすべて傷めつけられた、
(聖骸布の写真を見ていたところでした)
ヴァッスーラ:私の見ているところすべてですか、主よ?
主:そうです、すべて、彼らは私のひげをどこも抜き取って、右目も傷つけた。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P334
‘87.9.20
主:来なさい 小さな者よ 私を愛撫してほしい。
ヴァッスーラ:はい、主よ。(これによってイエスは、私の持っている聖骸布の、イエスの大きな像をそっと撫でるようにとおっしゃっています。しばしば黙想していたり、主と話をしているときに、手を伸ばして主の聖骸布の写しをそっと撫でる癖があるのです。それは滴る御血を拭き取って、主の痛みを和らげたいという思いがあるからのようです。私はこれを考えないでしています。なぜなら、黙想に没頭していますから。)
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P353
‘87.10.2
主: 私は、イエス、このことが知られるように、私、または御母の似姿はどのようなものでも尊ぶべきです、それは私を十字架が現しているように 私たちを表わしているからです。 私の聖骸布が確かに本物だと知るように、それは私を覆った布そのもの、そして私が祝福している、ヴァッスーラ、我が心の中に入りなさい、あなたをそこに隠させてもらいたい。 休みなさい、さあ、あなたの父親のもとに来なさい。
ヴァッスーラ:神様が私を包んで下さっているように感じました、主に包まれて幸せでした。
マリア・ワルトルタ/イエズスの受難P322
右手の釘づけ作業は終わり、左手に移る。今度は木の穴が手根骨に合わない。すると、執行人たちはひもで左手首を縛って、思い切り引っ張ったものだから、あちこちの関節が脱臼し(注12)、逮捕の際に縄ですりむけている皮膚を引き裂き、腱と筋肉とを伸ばす。
同P349(注12)解説
彫刻家で画家のフェッリは、また次のように書き残している。
“1949年、ローマの聖ペトロ聖堂の門のためのコンクールのときに、一人の神父を通じてマリア・ワルトルタ女史に会うことができた。もうずっと前からトリノの聖骸布の熱心な研究家で、われらの主イエズス・キリストのまことの姿を探して三十年間、キリストの顔の再現を志していたのが、ワルトルタ女史の助言でこれを果たしたばかりでなく、私の長年の研究の裏づけも得られたのである。一年後、主イエズスの体を再現するため私の研究を続けていると、左腕が右腕と比べて四センチも短いことが分かった。この異常にびっくりして有名な医学者と相談し、主イエズスには故意か偶然の脱臼があったという結論に達した。
ワルトルタ女史は私の質問にちょっとほほえみ、四年前に記述していま話した脱臼が詳細に書かれている自分の著作の一部を読み上げた。これに付け加えたいことは、ワルトルタ女史に出会っただけでなく、その友情や、その著作を何回となく繰り返し読んだことによって私の霊的生活が全く変わったということである。キリストに対する認識がどれほど深められたか。福音書がもっとはっきりし、その福音をできるだけ毎日の生活に生かすようになったのである”
天使館/マリア・ヴァルトルタ/自叙伝/P188
私は美術品や宗教用品を扱うあらゆる店で、夢で見たイエズスの顔を探しましたが、どうしても見つけられませんでした。顔の形が卵型でも、まなざしが違っていました。まなざしが同じでも、口が違いました。さらに別のものでは、口が同じでも、頬が違いました。人間の手では、あの顔を再現できないのだと思います・・・あの出来事の後、よくイエズスの夢を見ました。すると彼は、いつもあの顔、あの姿、あの手をしていました。ある時は、夢以上のものを見ました・・・そして、私が見るイエズスは、いつもあの顔、あの姿、あの手をしています。神父様、あなたがあの聖骸布についての本をくださったとき、私はびっくりしました。受難によって様変わりしていましたが、あの御顔だったのです。あの姿、あの手も・・・
2.聖母のご絵・ご像
デボラ/生ける神より明かされた英知/4巻上/P152
私は命じる。無数の像と御絵を作成して、それらが、まるで風が運ぶ種のように広められるように。無数の山々、谷間、木陰の間におん父の予言者、確認の泉である聖母の姿がかかげられるように。
恐れることはない。私が指示したことを告げなさい!
デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P27
聖母:私の聖なる絵姿に信頼を置くならば、大きな罪が原因となって引き寄せられた恐ろしい苦しみから、多くの人たちが解放されるでしょう。皆さんを抱擁し、毎日あなたがたを待っています。
聖母から司祭へ/1984.1.24
私のすべてのご像がわたしの現存のしるしとなって、あなたがたに天の母である私を思い出させます。わたしのご像を大切にし、もっとも尊敬をあらわしやすい場所に置くのは、理にかなっています。
愛する人なら、その人の写真を愛のこもったまなざしで見るでしょう。その写真が愛する人の思い出と姿をしのばせるからです。同じように、あなたがたの天の母のご絵やご像はすべて、愛の目で見なければなりません。なぜなら、わたしのことを考えさせるからです。それだけではありません。
それは、わたしがあなたがたのあいだにいることの特別な“しるし”となるからです。
最近しばしば見うけられることですが、わたしのご絵やご像が聖堂からとり除かれることがあります。こんなとき、わたしはどんなに悲しく感じていることでしょう。あるときは、聖堂の外の廊下に、ふつうの飾りでもあるかのように置かれます。また、あるときは、聖堂のいちばんうしろに置かれます。それは、わたしの子どもたちが、わたしを見ることも尊ぶこともできないようにするためです。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P20
‘87・10・26
24日の夜、神は、いとこに巨大な像としてお現れになった聖マリアのご出現の意味を、より深く理解できるように、光を下さいました。それは、ご自分の教会で、主や聖マリアの似姿を表す像を認め、お許しになっているのを確認するためです。それから25日の晩に、再び光を下さって、主を表す像や写真、絵などで教会を飾ることに主が同意し、許しておられることを理解させて下さいました、19日のメッセージによって(‘87・10・19)聖骸布の写真を三枚、そしてそこに映っているお姿を、ジェームズ神父とディビッドに送るように仰り、それらの絵を祝福されて。これは、他のキリスト教徒がいけないと言っていることを、許すという二つ目のメッセージでした。
♡ 我が教会で私の似姿をおくのは構わない ♡ 私から衣服を剥ぎ取らないでほしい、私を飾りなさい、美しく飾りなさい、今までのままでよい(*)♡
*カトリックやギリシャ正教で教会を飾っているように、との意味です。
3.苦しみの極みにあるイエスの肖像が現れました。御眼は血が溢れ、固まってその周りにこびりついています・・・
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P80
‘88・12・3
♡ 私を愛する者は 我が愛のうちに成長してゆき、一方彼らは私を愛するよう 他の者たちも連れて来れるようになる ♡ 我が聖心は愛の炎で燃え立ち その深淵に皆を引き入れようと切望している。 愛に渇く。 あなたに求めるのは愛のみ、愛は有徳の木の根だから。 来なさい、私と和解していないすべての者たち、来なさい、来て和解し 私自らの平和を受けなさい、来て 我が愛を共有しなさい、まだ私を理解していない者たちよ 来て、私と和解しなさい(ヨハネ14・27)、来て 愛と和解しなさい ♡ 私、あなたの主イエス・キリストは あなたに我が光の子となってほしいと願っている、そう、私を尊ぶ 平和と愛の弟子となって、
ああ 主よ! ほかのどの時代もそうですが、迫害されるでしょう!
分かっている 我が子よ、心がまだ閉じたまま 心ではなく頭で判断する人びとによって迫害を受ける者もあろう、しかし恵みにより、この人びとの多くも 我が聖心に引き寄せる。 小さな花たちよ、勇気を、傍らにいて 目をあなたに注いでいる、怖れないように、我が平和と愛のメッセージが北から南へ 東から西へと広がって行くのは 私の望み、私を信じなさい、秘かにあなたの時代のために それを準備してきた ♡ メッセージの中で 我が教会が一つになることを求めている、父と私が一つであるように、我が教会も一つとなり、皆が一致して一つの群れとなる必要があるためである。 守護者として 我が再臨まで真理のうちにあなた方を護るようにと ペトロを選んだ、しかし人びとは私に背き、分裂し、自分たち自身の規則を布告した。 真に言っておくが、我が−仔羊たちの−ペトロ、今はヨハネ・パウロ二世である、ペトロに反対する人びとに耳を傾けてはならない・・・ 私に選ばれ 我が霊魂に愛された者だからである、彼を貶める者たちの声を聞いてはならない、道を逸れてしまったからだ。 愛する者たちよ、あなた方が最近分裂した時は、私の一部が引き裂かれた、そう、我がからだの一部を引き裂いたとは知らずに、ああ 我が愛する者たちよ・・・ これは私にふさわしい仕打ちか? ・・・ なぜ我が心を引き裂くか?・・・ なぜ我が眼をさらに多くの血で満たすか?(*)・・・
* 苦しみの極みにあるイエスの肖像が現れました。御眼は血が溢れ、固まってその周りにこびりついています・・・
ちょうど、自らの友により不具となってしまった、乞食のようにして、懇願する、皆ペトロのもとに立ち帰り 一つとなりなさい、父と私が一つであるように ♡ 母を拒むすべての人にも呼びかける(*)、耳を開いて聞くように、母は天の元后、神の母と呼ばれている。 知らなかった人びとを非難してはいない、真理に連れ戻そうとしているだけだ。 この世の改心のためにも呼びかける、私の全能を忘れてしまった人びとは 私を自らと比較しないように(**)、皆に思い出させているが、あなた方は時の終わりに生きている それで我が印も増えてきた・・・ 聖書が成就されつつある・・・ 私は平和と愛、私、あなたの主イエスは 慈しみに満ち溢れ、そう、我が慈しみは偉大。 我が慈しみを信じなさい、それでもなお、私が義の神であるのを決して忘れないように。 私の送る浄めは、愛によってなされる。 これを誤解したり 解釈を誤って 神からの脅し とは呼ばないように、脅しからではなく、愛を込めて警告している。 子に注意を与え、道理を説いて、家に帰らそうとする父親のように、私も、道理を説き あなた方のある者たちが いかに誤っており 道を逸れているか、罪によって我が光を妨げ得るかを 示そうとしている。 多くが深い眠りに陥っているために、起こしに来た。 我が限りない慈しみを通して、死者を甦らせに 皆のもとを訪れよう、あなた方皆に抱く限りない愛ゆえに、悔い改め 生き方を変えて 聖となるようにと、来て頼んでいる、私は聖であるから、聖なる生き方をしなさい ♡ 私の平和を与える、あなたが平和のうちに留まり 兄弟にもこの平和を分け与えられるように ♡ さあ 来なさい、この一年の終わりに当たって 祈りのうちに気を落ちつかせていなさい、来て 主である私があなたを愛するように 互いに愛し合いなさい。 あなた方一人ひとりに 祝福を与える ♡
*プロテスタントの人びと **今日の神の御わざを理性で推し量ろうとする人びと。