誤謬の信念

 

 

 

 

天界の秘義798

 

「十五キュビットも高く水ははびこって、山々をおおた。」これは仁慈が何一つ残らなかったことを意味し、『十五』はほとんどいかようなものも存在していない程にも僅かしかないことを意味していることは、『五』の数の意義から明白であり(この数については前の6章の15節を参照)、そこには以下のことが示されたのである、すなわち、聖言の文体では、または内意では、『五』は僅かなものを意味しており、『十五』の数は僅かなものを意味している『五』と(前の63節に示されたように)残りのものを意味している十とから成っているため、『十五』はこの人々のもとにはほとんど存在しなくなった残りのものを意味しているのである。なぜなら誤謬の信念は善をことごとく消滅させてしまったほどにもそれはおびただしかったからである。人間のもとにある残りのものについては、事実は、既に述べたように、誤謬の諸原理は、ましてや洪水以前の人々の許に在ったような誤謬の信念は、その残りのものをそれが持ち出されることができないほどに、また持ち出されても、直ぐに誤謬化されてしまったほどにも全く閉じ込め、隠し去ってしまったということである。なぜならそれが信念の生命であって、それは凡ゆる真理を斥けて、誤謬をことごとく吸引するのみでなく、近づいてくる真理をことごとく歪曲してしまうからである。