学問

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/4巻上/242/P129〜/

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P214

 

年老いたローマ人のエピキュリアンのクリスポ:

 

「私は人間の学問の中に真理を探しましたがそこで腐敗を見つけました。最もよい教えでも、いつでも何か良くないところがあるので、徐々に私は何のことに対しても嫌悪を感じ、他人に対しても反感を抱くような者になって、私にとって唯一の未来は、今、生きている時間だけになりました」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P215

 

 真理を見つけるためには理性を、愛に合わせて、そして物ごとを知恵者の目をもってだけではなく、よい目をもって見るべきである。なぜなら、善良さは知恵に勝るからである。愛する人は、いつでも真理への小道を見つける。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P215

 

 何の欠点もない教えは、神から来る教えしかない。すべてを教える神をもっていないならば、人間がどうして自分のすべての謎に答えられるか。宇宙のさまざまな秘密でも現わしうるのは、この宇宙を創られた最高の創り主でなければだれであろう。動物の完全さと同時に、霊魂の不滅の完全さをもっている人間という生きる不思議をどうして理解できるか。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P216

 

“学問がもし神に基づかないなら、人間を高めるよりも人間の品位を失わせる誤謬となる”神に基づいて知る知識を持っている人は、倒れることはない。自分の品位を感じ、自分の永遠の未来を信じているからである。しかし、現存の神を探すべきである。神ではなく霊的な無智で包まれている人間のうわ言にすぎない幻の神々ではなく、まことの神を探すべきである。そのような神々の宗教では知恵のかげもなく、その信仰には真理のかげもない。知恵者となるためには、どんな年でもよい。また、ヨブの書にこう言われている。

 

“あなたの生活は昼よりも輝き、

暗ささえも暁のように思えるだろう。

また希望に満ちて心安らかにおり、

守られて安全に住むことだろう”(ヨブ1・17〜18)

真理を見つけたいという善意さえあれば、遅かれ早かれ、その真理に出会う。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P216

 

 真理を見つけたいという善意さえあれば、遅かれ早かれ、その真理に出会う。

 

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/天使館/P41

 

 間違わない学問、すなわち、わたしの教えの中に含まれる学問を探し求めなさい。これは、天があなたたちのものになるようにあなたたちを導くことが出来るのだ。

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・2・4

 

 最も高尚で有益な学問は、ほんとうに自分というものを知ってこれを軽んずることである。

 自分をつまらぬ者と思い、他人を自分よりよい人偉い人と尊敬するのは、大きい知恵であり完全である。