栄光

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.サンダー・シング

 

 

 

 

1.聖書

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

 

 

天界の秘義8427〔4〕

 

『エホバの栄光』は主の現存を意味していることはモーセの書に更に明らかである―

 

 モーセはエホバに言った、願わくは私にあなたの栄光を示して下さい。これにかれは言われた、わたしはわたしの善をすべてあなたの前に過ぎらせよう、わたしの栄光が過ぎる時、わたしはあなたを岩の裂け目に入れ、わたしが過ぎ去ってしまうまでは手であなたを覆う、しかしわたしが手を取り去ると、あなたはわたしの背後を見るでしょう、が、わたしの顔は見ることは出来ない(出エジプト記33・18から終わりまで)。

 

ここでもまた『エホバの栄光』は明らかにその現存を意味している。マタイ伝には―

 

 弟子たちはイエスに言った、あなたの来られるしるしは何でしょう。イエスは言われた、その時人の子のしるしが現れ、人の子が力と栄光とをもって天の雲の中に来るのを見るでしょう(マタイ24・3、30)。

 

前の教会の最後の時と新しい教会の最初の時とがここに取り扱われており、『人の子』は主から発出している真理の神的なものを意味し、かくてその時現れる神的真理〔神の真理〕を意味し、『主の来られること』は新しい教会に属している者たちが真理の神的なものを承認することを、また古い教会に属した者たちがそれを否定することを意味している(4060番を参照)。

 

 

 

 

3.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362

 

「聖パウロになさったように、なぜキリストは今の時代にご出現ならないのか」

「主は今の時代にも、必要な人にはご出現になります。人間の必要はどこでも同じですが、一人一人の状態はかなり異なります。そこで、人間一人一人の心をご存じの神は、各々の状態と必要に応じて、真理の探求者に自らをお示しになるのです」

 神は、知恵と力と栄光を、天地にわたる大業の中にうたい上げている。だが、ある意味で自然界の言葉というべき人間は、沈黙したままだ。神の知恵と力は被造物を通して現わされているが、神ご自身を現わすにあたっては、人となることによってのみそれは可能だった。そして、今の時代にも、神は、神の現存の中に住みご自身も住まわれる人々を通して、失われた人類に自らを現わ現われされているのである。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P362

 

「これをせよ。これはしてはならない」という声が、ときどき心の奥底からきこえてくるが、これは神からの声である。神に近く生きる者はすすんでこの声をきくが、他の者はきくことにも困難を感じる。この声にきき従うなら、神とその意志はわれわれのなかなかに現わされる。だが、この声をきいて従わない場合は、われわれが現しているのは自我と我欲のみにすぎない。

 人の霊魂は、思いと言葉と行動を仲介する脳のような微妙な器を通してしか表現できないほど、微細な実存である。同じように、聖霊は洗い清められた生活を自らの表現手段に使い、神の栄光は下僕たちの生活を通して世に神を知らしめる。

 キリストの下僕たちは、太陽から光を借りて間接的に世界を照らす月のようなものだ。月がしばしば太陽と地球との間に入り日食を起こすように、下僕たちの価値なき生活もまた、キリストと世との間に入り、神の御顔を人々から隠すことたびたびである。