映画
聖母から司祭へ1973.11.1
特別に次のようにして、よいお手本となるように。厳しい生活をすること。ますます扇情的に淫らになってゆく流行を嫌悪すること。不道徳な出版物や映画の普及、またすべてを呑み込む泥の海のこの絶え間ない広がりとあらゆる方法で戦うことによって。
聖母から司祭へ1989.10.13
五感の犠牲と邪欲の制御、慎み深さ、よい手本、潔白と聖徳の道を歩むようにと、わたしは何回も呼びかけたのです。
しかし、人類は、わたしの呼びかけを受け入れず、不潔の罪を犯さないようにと命じている神の律法の第六戒に背きつづけたのです。
それだけではありません、この罪をほめたたえて人間的な価値として、また、自分の個人的な自由を行使する新しい方法として、紹介するまでになったのです。こうして、今日では、不潔のすべての罪を正当化するほどになりました。
まず第一に、少年と青年たちの良心をだらくさせて、自分ひとりで犯した不潔な行為は、もう罪ではないという確信を教えこんだのです。また、婚約者同士の結婚前の関係が許されるどころか、善いものであることを説き、家族は自由にふるまうことができ、出産をさまたげるために人工的な手段を利用してもよいという確信を教えこんだのです。
自然に背く不潔の行為を正当化し、ほめたたえるほどにいたったのです。それだけではありません、同性どうしの共同生活を、家庭と同じものと認める法律までも提案するほどになったのです。
不道徳、不潔、猥褻は、印刷物とすべての広報機関によって、今日ほどたえず宣伝されたことは今までなかったのです。
特にテレビは、毎日猥褻な場面を映して爆撃のような悪の恐ろしい手段となったのです。その目的は、すべての人の知恵と心の清さを堕落させることをねらっています。
娯楽の場、特に映画館とディスコは、人道的、キリスト教的尊厳を公に汚す場所となったのです。
肉欲の罪をもって、ひきつづき公に、わたしたちの主である神を侮辱する時がこれです。
(中略)
―青年たちは、祈りとわたしに一致した生活をもって、邪欲をおさえることをならうように願います。また、映画館やディスコに行くのを止めるように願います。なぜなら、そこに、わたしの汚れなき心がこれほど愛する美徳を犯す重大な絶えざる危険があるからです。