偽りのエキュメニズム

 

 

 

1.聖母から司祭へ

2.ヴァッスーラ

3.スウェーデンボルグ

4.デボラ

5.サンダー・シング

6.ニューエイジ

 

 

 

 

申命記22・9−11

 

ぶどう畑にそれと別の種を蒔いてはならない。あなたの蒔く種の実りも、ぶどう畑本来の収穫も共に汚れたものとならないためである。 牛とろばとを組にして耕してはならない。 毛糸と亜麻糸とを織り合わせた着物を着てはならない。

 

 

 

 

1. 聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ1986.10.27

 

 平和は、神のおくりものとしてのみ、あなたたちの所に来ることができます。

 人間的な議論と、おたがいの妥協のみで、あなたたちが平和をつくろうとすればするほど、平和は遠ざかってしまいます。

 そのためには、人類が改心して、心を変えるという道を歩むことによって、神にたち戻ることが必要です。

 すべての人は、真理を知り、イエズスの福音を受け入れて、これに従う必要があります。

 これこそ、教会にまかされた役割です。

 こん日、教会の奉仕者、奉献された者、すべての信徒がなすべきことは、これです。すなわち、殉教者の勇気と信仰のあかし人たちのあのたくましさをもって、イエズス・キリストだけが、救い主であり、あがない主であるという、よい訪れを全世界に告げなければなりません。

 あなたたちを、平和にみちびきうるのは、イエズス・キリストだけです。

 何にも恐れないで、また何にも妥協しないで、イエズスをすべての人にのべ伝え、かれの神としての命令を実現させねばなりません。その命令は、「全世界に行って、すべての人に福音をのべ伝えよ、信じて洗礼をうける人は救われる」という命令です。

 いつわりのにせの神々を礼拝する者までふくめて、すべての宗教を集め、人間的な価値を守るために世界的な宗教の一致をめざす努力は、むなしく、危険で、わたしの汚れなき心の望みにかなったものではありません。

 この努力は、むしろ、宗教的な混乱と無関心をはげます危険があり、まことの平和を得ることを、なおさらむずかしくすることがあります。

 それで、わたしは、こん日みなさんにいいます。すべての人に、キリストをのべ伝えなさい。

 キリストと、その福音だけに忠実を示しなさい。そうすれば、あなたたちは、本当に平和をつくるものとなるでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ

1989.6.13

 

 ―教会は真理です。なぜなら、イエズスが信仰の遺産全部を完全に守る使命をおまかせになったからです。それは、教皇と、教皇と一致している司教たちからなる位階教会にこの使命をおまかせになったからです。

教会的フリーメーソンは、偽りのエキュメニズムをもって、この事実を破壊しようとしています。偽りのエキュメニズムは、すべてのキリスト教の諸教会は、それぞれ真理の一部分をもっているのであるからということで、それらを全部一様に受け入れなければならないと主張します。

 このエキュメニズムは、キリスト教のすべての教会、中でもカトリック教会も含めて、統一させた世界的エキュメニカルな教会をつくろうとする計画をはげましています。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P35

 

‘87・11・8

 

ヴァッスーラ 決して何者かであることを求めないように。 無のままでいなさい 達成する全ての聖なるわざは純粋に私のものであり あなたによるのではない ♡ 私の教会は一つとなる、一つの権威のもとに、私自身がペトロに 我が仔羊を養うように頼まなかったか? 羊を養うために自ら彼を選ばなかったか? これらの言葉を私自身が口にしなかったか、「あなたはペトロであり この岩の上に教会を建てる」と ♡ どうして諸民族の間には空しい企みがあるのか? 私がペトロを選んだ、彼は私の心にかない、巌であり、その上に我が教会を建てる ♡ ではどうして私の命令をゆがめてしまうのか?

 

 

誰のことを言っておられるのですか、主よ?

 

 

私の基礎に対してたくらみ 企みを働く人たちに語っている、あなた方の企みが空しく終わることに気がつかないか?

 

 

主よ 誰のことを仰っているのか分かりません。

 

 

分かっている ヴァッスーラ、あなたにとってこれらは全て漠然としている、しかしあの欺く人びとにとっては、真昼のように明らかだ!

私の目は彼らの上に据えられている、剣は持ち上げられ 打つ用意ができている、彼ら自身がそれをよく知っている そして本当に、彼らの日々は数えられている、そうだ、目を周りに向けなさい、裏切り者よ! どうして驚くのか、あなた方は滅びる! 知らせたなら 信じがたいと思うことを 私はこの日々に行っている! 愛する者よ 心にある質問に答えよう。 私のメッセージはそれら欺いている者たちにも読まれる、愛する者よ 私を感じなさい 私もあなたと同じように辛い、あなたの上には私の十字架がある、愛をもってそれを担いなさい、私の十字架は真のいのちへの扉である ♡ 喜んで抱きしめなさい、ヴァッスーラ 自己否定と苦しみは神聖な道へとつらなる、聖性と徳に満ちた道へ ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P216

‘90・8・5−29の続き ― 十戒 ― ロードス島にて

 

この地上が嘆き、うちしおれ 木々が実らないで葉が枯れていくとすれば、我が掟をあなた方が守っていないからです。こう言わなかったか: 偽証するなかれと? ところがアベルたちの間にカインたちもいる、槍の刃先(*8)の置かれた我が聖所の中心部でも、この十戒がやはり守られていない。カインの任命した司祭たちは今や 地上の隅々にまで送られて、私を復活した者として証しするか、我が生けにえを証しするのではなく、聖書の猿真似でみことばを責め、誤ったエクメニズムのもとに、偽キリストをすべてのくに民に教え、世界に合理主義と自然主義の一部分、汚れた食物: 偽り を与えている。 言っておく、彼らに勝利はなく いつまでも治めもしない: 義は勝利しよう! 永遠に栄えさせてはおかない あなたについて知り尽くしているからです そして大蛇の権力によって 私自身の司祭たち

 

 

 *8偽預言者

 

 

を押しつぶして打ち負かすために あなた自身の司祭たちを任命し 高座につけているのを知っているからです。 言っておく:時が終わりかけている。 あなたを高座から引き下ろし 私自身の司祭たちと、諸聖人 天使たちの足もとに伏させ、獣の奴隷だと認めさせよう・・・間もなく、非常に間もなく、不意に、盗人のようにしてあなたを訪れる、そして: 偽りそのもの、あなたの偽キリスト を打ち倒そう。 こうして真理を もとに戻す。 あなたが作り出し、どのくに民にもそれを敬うように強いている(*) 私の誤った似姿を 間もなく打ち壊しに訪れる。いや、あなた方は勝者とはなるまい! この砂漠で目的なくさまよう、我が娘 息子たちよ、私のもとに戻って来なさい、悔い改めなさい! もう罪を犯さないように。 あなた方に愛が欠けていたため しばしば誤った証言をしてきたのを知っている、だがその敵意ゆえに 我が金言を教えてもらえるようにと羊飼いに護られていなかった。 それでも、横柄で 私に対して敵意があろうとも: 愛している! とあなた方に向って叫ぶ すでに赦しを与えている。 ありのままで戻って来なさい 我が大いなる愛と慈しみを証ししなさい、証言したいか? 私の名: イエス キリスト、神の愛する子 救い主 によって証言しなさい ♡ あなた方を愛するように 互いに愛し合いなさい。 すでに私の隠されたマンナを受け 我が愛の印を額に受けている人びとは 歓びなさい。 ♡

 

 

  黙示録13・16

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P227

‘90・9・10

 

ヴァッスーラ 我が娘よ、迫害者たちは あなたに与えた衣服をはぎ取り 宝石を奪い取ろうとするであろう! しかし近づく手を一つずつ払いのけると約束する。 彼らの放蕩と惑わしを終わらせるつもりです。 しっかりと永遠に立つ掲示を揚げよう: 王の王、神の仔羊、初めであり終わりの者、神のみことば、復活した者、キリスト、贖い主。 我が教会に対する陰謀、そしてみことばと我が象りにたいする 誤った教えをなくし 終わらせるために。もう比喩では話していない、彼らが私に属さない 私のでない称号をあてがっていると 普通の言葉で言う。 偽キリスト、いのちない象り、偽りの神: これらが偽りのエキュメニズムの蔭に巧妙に隠されている・・・しかし最後には打ち勝つと 我が子よ、私は約束する。 あなたの時代のこれら偽りの教師たちを倒す そしてあらゆる神秘 奇跡と不思議を伴う、我が聖心の隠された宝をあなたに与え 舌には愛という我が十字架の言語を乗せよう! それから我が羊飼いたちには「指導力と奉仕」という言葉を思い出させる、貧しい人びとに威圧感を与える大物のようであってはならないと命じよう。 いや。 私が地上に来たのが仕えられるためではなく仕えるためで、多くの人びとの身代わりとして いのちを与えるためだったように、誰でも貧しい人びとの間で大きくなりたい人は 彼らに仕えなければならない、そして彼らの間で第一となりたい人は 最も小さな者とならなければならない。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P231

‘90・9・12

 

私は譬えをもって話してはいない 単刀直入に語っている。 聖書に予告され、敵が私に属さない 私を指し示さない称号をあてがう、その時代が来た:偽キリスト、いのちない象り、偽りの神、偶像、そしてそれらはエキュメニズムの蔭に巧妙に隠され:我が聖心の奥深くにささり 多くの血を流す槍の刃となっている・・・剣の刃先で 彼らは自分たちの腐敗した食べ物を強いるであろう: ある日は合理主義を少し ある日は自然主義を少しずつといったように。 真理を、みことばを、英知と 我が十字架の言語を猿真似して。 しかし天から火が 彼らの上に降り 彼とその一門を焼き尽くそう。 これは確かなことであり 実現する。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P10、(9巻]]E)

‘90・10・22

 

ヴァッスーラ、愛する者よ、聖なる者が あなたの部屋にいる。 私は、イエス。 私が訪れて嬉しいか?

 

 

とても! あなたを祝福します・・・とても嬉しい! 主よ!

 

 

与えているすべての教えにしっかりと とどまっていなさい。 誰にも欺かれないように。 我が親切と優しさによる収穫を ますます多く刈り入れなさい。 私はあなたの霊的直観をふやし 私の名によって証しさせる。 証しできるように必要な言葉を注ごう。 我が娘よ、世に私の大いなる愛を思い出させなさい。 これはあらゆる時代に向けたメッセージとなろう: あなた方に平和、私はあなたの贖い主、語っているのは 聖なる者のうちの聖なる者。 まことに言う: この証しを受け入れた者たちには特別な恵みを注ぐ、この愛の証しを受け入れたなら 至高者の真実と無限の愛を証したことになるがゆえ、それは書かれたものがすべて 私に由来するからである。 私は惜しみなく 我が霊を注ぐ。 あなたにたいする情愛 抱いている大いなる愛を くり返しくり返し世に思い出させるために 我が霊を注ぐ。 私の五つの傷痕を皆に思い出させるために 惜しみなく我が霊を注ぐ。 我が子よ、私を読むか 聞こえている者たちよ、見回しなさい、間もなく夜が明ける・・・ひそかにつぶやいて夜陰に相談を持ちかけたり、悲嘆と闇の中を歩まなくてもよくなる、我が聖なる名を冒涜し 光を闇におきかえた魔術師たちは一掃されよう。 愛する者たちよ、間もなく夜が明け 種子から育った者たちは花開く。 教会に入り込んだ商人たちはろうばいし 買い手たちは気を落そう、富を得た商人たちは誰もが、我が栄光のまばゆさに、気を失い その光によって私の前で肝をつぶし 呆然としまままでいよう。

家々の屋上には印が掲げられ、私の使いたちは自分の場について 合図を待っている、私の再臨はもう間近い、そこであなた方、我が使いたちは、足取りをはやめ、あの商人たちにたいして裁きが迫っていると すべての丘に立って宣言しなさい、彼らは私の目にとって忌むべき者となったからである! 預言者ダニエルが語ったように 死に至る忌むべきものが聖所に打ち立てられるのを見たなら、これこそが預言者の語った時の終わりの徴と知るよう 目覚めて 見張っているようにとは読まなかったか? 時が読めないとはどういうことか? 我が聖所の壁は崩れ、あなた方の時代は大背教のさ中に生きている。 私を虐げる者たちは今や有利に立ったと考え、商人たちは我が聖所で商いを続けられると思っている、しかし彼らには言う、「私の肖りを いのちない像、偽りの神、偶像と引き換え こうして自らの知恵を堕落させた者たちよ、この死に至る忌むべきものを打ち立て 我が永遠の生けにえを廃止しようともがく者たちよ、あなた方は 我が義の杯を飲みほすであろう。」 さまざまな色に塗りたくられ、商人たちが崇めるように強いて 従わせようとするこの像は 私でない。 それは我が聖性と神聖の概念を卑しめる歪んだ人間的わざの発明、偽りのエキュメニズム、すべて聖なるものにいどむ挑戦。 この商人たちの罪ゆえに 私は苦しむ。商人となったこの司祭たちのために祈ってほしい、彼らの罪は重い。 我が真理の霊を彼らのうちに置いて、彼らが私の掟を守り 我が神聖をまことに敬うように 祈ってほしい ♡ 愛する者たち 額に私のものとして刻印した者たちよ この商人たちがあなた方を 偽りの肖りに無理やり従わせるのを許してはいけない、用心していなさい。 私は前もってこのすべてを知らせている 大きな苦難の時が訪れようと あなたの神 私にたいする確信が揺るがないように。 あなたを訪れるつもりであり、我が大いなる再臨の時は迫っている、そこで自分たちの汚れた食物を強いて、死に至る忌むべきものを聖所に打ち立て 我が永遠の生けにえを廃止しようともがく商人たちは災い! みことばを合理的に解釈し 破壊を共謀する、こうした商人たちは災い! 我が聖なる名を十たびも冒涜した 冒涜の徒は災い! 我が七つの霊を冒涜する像(*)を彫って 獣に従う者たちは災い!

 

 

 * 偽キリスト。偽り教え。合理主義や自然主義の教え。

 

 

私の口から出る息吹は 彼らの砦を塵の山となそう! そして私を読むか 声を聞いた我が子たちよ、その墓を訪れ 息吹を注いだ者たちよ、あなた方にはこのように言う: 印として残していく私の血の跡をたどりなさい そしてすれ違った人に途中で引きとめられ質問されたなら、私の弟子だと答え 十字架に架かり復活したキリストの証人となりに行くところだと伝えなさい。 商人に引きとめられた時は その不誠実に警戒しなさい、私の与えた十字架を 堕落したいわゆる知恵とすり替えられてしまわないように 警戒していなさい。 音を立てることなく、一言も口に出さないで 肩に担ったくびきをいっそう情熱こめて抱きしめなさい、こうして我が血の跡に従って来るなら 私のもとにたどり着こう。 そしてたとえ このうち誰かが立ち向かって来ようと、その屈辱や攻撃に対して顔を背けず、背中も与えなさい、我が傷の完全な映しとなるよう あなたの傷痕によって知られるように、あなたの師、私を打ったと同じ者たちに打たれるであろうから。 この時 人の子のしるしが空に現れ、あなた方の闇を貫く大いなる光を見るであろう、我が名ゆえに 私、聖なる者が あなたを救うからである。 来なさい、我が子よ、私を読むか 聞こえている者たちよ、この証しを通して私は 再びあなたへの愛を示した、私が遠すぎて愛せないとは言わないように、あなたには十分理解しえない愛をもって まさにこの瞬間 特別な慈しみの眼差しを注いでいる。 あなたを贖うためだけに 戻って来る必要があったとしても、一切ためらわず 我が受難を再びくり返しに訪れるであろう、あなたのためだけに! 友のためにいのちを棄てるほどの大きな愛はないと告げる時 今度こそは私を信じるか? 我が聖心のうちに平安を見い出すようにと このすべてを語っている、こうして私のうちに真のいのちを見い出し、あなたの神 私のうちに 真の愛と安らぎを見い出そう。 あなたが弱いのを知っている、我が子よ、しかしその弱さは全能の私を引き寄せる。 私の言うことを受け入れるか? こう言おう: あなたに平和! 語っているのは愛の生けにえ、我が愛を思いおこるようにと この愛の証しを与えた。 私を吸収し あなたを虜にするのを許しなさい ♡ 私の心が 愛の返答を待ちこがれているのを感じてほしい! 私に抵抗しないように、ありのままのあなたで 私のもとに来なさい、我が心から溢れ出す流れを飲みに来なさい もっとほしくなろう。 ああ あなた方のなんと多くが真理からさまよい出てほうぼうに散ってしまったか。 真理とは愛。 私は真理。 真理の証し人となりなさい。 真理の聖なる霊を受けなさい、恵みの聖なる霊を受けなさい ♡ 額に愛の溜息を残して 皆を祝福する。 我が聖なる名によって 一つになりなさい ♡

 

 

 

 

3.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義5117[13]

 

あなたはあなたの仲間のぶどう園に来たときは、心のままに、あくまでもぶどうを食べてよい、しかし器の中へ一つも入れてはならない(申命記23・24)。

 

これは異なった教義と宗教とを奉じている他の者たちと交わっている者はすべてかれらの仁慈の諸善を学んで、それを受け入れても良いが、しかしそれにしみ込んで、それを自分自身の真理と連結してはならないことを意味しているのである。『ぶどう園』は教会を意味しているため、それは教義または宗教の在る所を意味しており、『ぶどうの果』は仁慈の善であり、『器』は教会の真理である。

 

 

 

霊界日記5662

 

 そこの頭の上の高い所に、その山の非常な高所に、諸宗教の合一、または折衷について共に思いめぐらした者らがおり、かれらは、多くのものから一つの教会を作り上げることを決め、マホメット教徒も、その教徒が主を最大の予言者として、人類に知恵を教えるためにつかわされた神の子として承認しているという根底に立って、同じくその中に含まれると欲するほどにもなったのである。

 このようにかれらは多くの教会から一つの教会を作ろうとねがったが、しかしかれらはそのことを単に信仰に属している教義的なものを通してのみ、知的なものを通してのみ行おうと考えて、愛と信仰とのものである生命を通して、かくて人間の意志的なものを通しては、行おうとは考えはしなかったのである。これらの者はしまいには善をほとんど冒涜してしまうほどにも進んで、聖言から、たれにでも適応させることができるようなものを探り出した。

 かれらはわたしのもとへ流れ入って来たが、そのことは冒涜に似たものとして経験された、しかしかれらは発見され、わたしはかれらと話して、そのさい、以下のように言うことを与えられた、すなわち、あなたらはそのようなことで単なる偶像と彫像からさえも一つの教会を作ろうとねがっている以上、それは悪いことである、なぜなら理知に属している事柄のみが考慮されて、意思に属している事柄が考慮されないときは、人間は黒檀のように、または生命を全く持たない石のような物に見えるからであり、もしあなたらがそうした物からあなたらの一つの教会を作ろうとするなら、あなたらはそうしたものに見えるのである。しかしそれに反して、もしあなたらがその中に生命を望み、従って、教会を構成するために映像ではなくて、人間を得ようとするなら、愛の、また仁慈の善を、かくて主から生命を受けることを顧慮しなくてはならないのである。

そのことが基礎としてとり上げられるとき、教会は一つのものとなるのである、なぜなら主はそのとき凡ゆる者を天界とその形とに従って配置され、凡ての者を一人の人間として提示されるからである。いくたの地球の全範囲内における主の教会はそうしたものであり、そこからは単に映像にすぎない者らは投げ出されて、その大半の者は地獄にいるが、ただ或る程度教義的なものに従って生き、かくてその教義的なものを生命のものとした者たち、またはその教義的なものを自分自身の中に生きたものとした者たちのみは除外されているのである、と。かれらは、高所におり、従って低い所へ流れ入り、単に教義的なものの中にのみいたからには、他の者たちにおける善を冒涜しないように、そこから投げ落とされてしまったのである。

 

 

 

天界の秘義1288

 

「彼らの言葉は一つであった」(創世記11・1)。

 

これは個別的にも一つの教義があったことを意味していることは前に言われたことから明白である。なぜなら『唇』は、前に示されたように、教義を全般的に意味し、『言葉』は教義を個別的に意味し、または教義の個々のものを意味しているからである。なぜなら個々のものは何物にも勝って主を愛し、自分のように隣人を愛するという一つの目的を目指しさえするなら、それは何ら一致しないものを生み出さないからである、なぜならその時は個々のものはこれらの全般的なものの個々のもの[個別的なもの]であるからである。

 

 

[]『言葉』が仁慈にかかわる凡ゆる教義とそこから派生してくる信仰とを意味し、『幾多の言葉』が教義に属した事柄を意味していることは、ダビデの書に明白である―

 

 わたしはあなたの義の審判を学ぶ時、心を直くしてあなたに向かって告白しましょう、わたしはあなたの法令を守りましょう。なにをもって子供はその道を清くしましょうか。あなたの御言葉に従って心を配ることによります。わたしはわたしの心を尽くしてあなたを求めました、あなたの教えからさまよわせないでください。わたしはあなたに向かって罪を犯さないように、あなたの御言葉を心の中に秘めました。ああ、エホバよ、あなたは祝福され給う。わたしにあなたの法令を教え給え。わたしはわたしの唇をもってあなたの御口の審判をことごとく繰り返しました。わたしはあなたの証の道にいて楽しみました。わたしはあなたの戒めの中で思いを巡らし、あなたの道を仰ぎます。わたしはあなたの法令を喜びます。わたしはあなたの御言葉を忘れません(詩篇119・7−16)。

 

 

 ここの『言葉』は教義を全般的に意味している。ここには『教え』と『審判』と『証』と『戒め』と『法令』と『道』と『唇』とが区別されていて、この凡てが聖言にまたは教義にぞくしていることが明白である。聖言では他の凡ての所でもそれらは同一の明確に区別された事柄を意味している。

 

 

 

[]さらに―

 

 愛の歌。わたしの心は善い言葉を欲した、わたしの舌は速やかに物を書く人のペンである。あなたは人の子らにまさってうるわしく、あなたの唇の上には恩寵[恵み]が注がれている。真理の言葉の上に、義しい優しい言葉の上に乗りたまえ、あなたの右手はあなたに驚くべき事を教えるでしょう(詩篇45・1,2,4)。

 

『真理の言葉の上に、義しい優しい言葉の上に乗ること』は真理と善との教義を教えることである。ここにも、聖言の他の所のように、『言葉』と『唇』と『舌』という語は明確に区別ある事柄を意味しており、それらが仁慈に関わる教義の事柄であることは明白である、なぜならそれが『愛の歌』と呼ばれているからである。この教義について人の子らに勝った恵みと驚くべき事柄を教える右手が述べられているのである。

 

 

 

[]イザヤ書には―

エホバはヤコブに言葉をつかわされた、それはイスラエルに止まった(9・8)。

 

『言葉』は内なる礼拝と外なる礼拝との教義を意味し、ここの『ヤコブ』は外なる礼拝を、『イスラエル』は内なる礼拝を意味している。

マタイ伝には―

 イエスは言われた、人間はパンのみによって生きはしない、神の御口から出る凡ての言葉によって生きる(4・4)。

 

さらに―

たれでも王国の言葉を聞いて、それに心をとめない時は、悪い者が来て、その心にまかれたものを奪い去ってしまう(13・19)。

 

また同章の20節から23節までに記された『言葉』を参照されたい。さらに―

 

天と地は過ぎ去るであろう、しかしわたしのいくたの言葉は過ぎ去りはしない(24・35)。

 

これらの記事では『言葉』は主の教義を意味し『いくたの言葉』は主の教義にぞくした事柄を意味している。

 

 

 

[]『いくたの言葉』は教義の凡ゆる事柄を意味しているため、モーセの書には、十戒の戒めは『いくたの言葉』と呼ばれた―

 

エホバは板石の上に契約のいくたの言葉を、十の言葉を書かれた(出エジプト34・28)。

 

さらに―

かれはその契約をあなたらに布れられ、それらを、すなわち十の言葉を行うようにあなたらに命じられた、かれはそれらを二板の板石の上に書かれた(申命記4・13、10・4)

 

さらに―

自分自身に心をくばり、あなたの魂を勤勉に守りなさい、あなたがあなたの目でながめたいくたの言葉を忘れないためである(4・9)。

 

 

 

その他。

 

真のキリスト教678

 

「霊界では幼児のみでなく他の者も凡て、洗礼によってキリスト教徒の間に入れられる。何故なら、その世界では互いに異なった民や、国人はその宗教によって区別されるからである。基督教徒は中央に、回教徒はその周囲に、偶像教徒は回教徒の背後に、ユダヤ人は両側に居る。さらに、同一の宗教を奉じている者は凡て天界では、神と隣人への愛の種々の形に従って、地獄では、その反対の悪い欲念の種々の形に従ってそれぞれ異なっている社会に排置される。霊界では、すなわち天界と地獄には凡てのものは全般的にまた個別的にもっとも入念に配置されている。何故なら、全宇宙の維持はその配置に依存しているからである。各人は何れの宗教団体に属しているかをしめす或る印によって他と区別されない限り、こうした区別は不可能であろう。何故なら洗礼というキリスト教的な印がなければ、或る回教徒または偶像教徒の霊がキリスト教の幼児と子供達に関係をもつようになり、これに己が宗教に対する愛着を注ぎ込むことが出来るからである。これは彼らの心をみだし、彼らをキリスト教から離反させ、かくして霊的秩序を歪曲し、破壊するであろう。」

 

 

 

真の基督教679

 

 「凡ゆるものの調和は秩序に懸かっており、而して多様な全般的秩序と個別的秩序とがある。而して凡ゆるものの依存している一つの普遍的な秩序が存在している。何故ならそれは本質がその形の中に入るように他の凡ての物に入り、これを一つのものとして結合させるからである。この結合が全宇宙の維持を確保している。もしそれが無ければ、全宇宙は原始の混沌に還るか、あるいは絶滅するかするであろう。人間の身体では凡ての物は極めて完全な秩序を以て配列され、それらの物に共通の生命は心臓と肺臓とに依存している。そうでなければ、混乱が起り、互に異なった器官はその働きを遂行し得ないであろう。何故なら、全体とその各部とにその特有な単一性を与えるものは秩序であるから。さらに、人間の心または霊に於いて秩序がその全般的な生命と意志と理解とに依存させている。このような秩序が無いならば、人間はその絵または像と同様に考えることも欲することも出来ないであろう。人間は天界から最大の秩序をもった流入を受けない限り、如何になるであろうか。而して、この流入は全宇宙とその凡ての部分が依存しているかの普遍的なものが無いならば何であろうか。何故なら、凡ゆる物は神に依存し、彼の中にまた彼によって生活し、動き、その存在を得ているからである。これは無数の方法によって自然的な人間に説明することが出来よう。帝国または王国は秩序なくしては人殺し、強盗の一団に堕落するであろう。都会または家庭は秩序なくしては何になるであろうか。而して王国、都会、または家はその各々に或る至高の権威が無い限り、如何ようになるであろうか。」

 

 

 

真の基督教680

 

 「さらに、区別無くして秩序は何であろうか。而して区別は働きをしめす印無くしては何であろうか。何故なら働きを知ることなくしては秩序は認め得られないから。王国では印は位階の称号であり、それに附せられている行政上の職能である。ここから凡てのものが一つのものとして組織づけられる正当な従属関係が生まれる、このようにして王はその王の権能を多くの者の間に分かち、かくしてその王国を堅固なものにするのである。一つの軍隊は連隊に、大隊に、小隊に組織され、その各々の上に上官が置かれ、凡ての士官の上に一人の司令官が置かれない限り、その軍隊は如何なる力をもつであろうか。而して各単位の位を示す旗と呼ばれる印がないならば、これらの排列は何に役立つであろうか。この手段によってその軍隊は一人の者として戦うのである、もしそうでなければ彼らは狂犬のように、敵に向かって荒々しく飛びかかり、やがてその勇気が尽く喪失するや、良く組織された敵により粉砕されてしまうであろう。それ故洗礼は霊界ではその人は基督教徒であるという印である。何故なら、かの世界では人は各々その内なるまたは外なる基督教徒的性格に従ってその位置を得るからである。」

 

 

 

 

4.デボラ

 

 

世のひかり社/デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻下P147

 

今すべては、偽りの平和と偽りのエクメニズム(キリスト教一致)の影のもとに、暗く曇らされている! 地上から一つの射るような叫び声が私のところまで上がってくる。人体が持つ傾向によって窒息させられた霊魂たちの叫び声である!

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P151

 

現在彼女は、第二の聖霊降臨のために働き、全ての事の刷新の仕事を行いながら、人類をさらに新しい出会いのために準備しているのである。彼女は唯一の源泉、真のエクメニズムの土台、その母の眼差しのもとに、あらゆる民とあらゆる人間を集めながら、古代からの敵に対して勝利をおさめる『太陽を着た女性』である。彼女はミリアム、まことの平和の清い鳩、豊かに葉の茂ったおん父のオリーブの実、平和な私の聖心の母である。

 

 

 

 

5.サンダー・シング

 

 

A.J.アパサミー/インドの聖者スンダル・シング/P213

 

 「宗派というのは奇妙で、不必要なものです。神はただひとりです。それなのに、どうしてこんなに多くの教義があるのでしょう。平和と静けさは、キリストを知ることから来ます。その後に、意見の衝突が起きるはずがありません。しかし、それでも・・・」

 彼はあきらめたようにいう。「これが地上です。でも喜びがないわけではありません。もしすべての宗派がひとつになったら、それはもはや地上ではなくなるでしょう。天国でしょう」

 

 

 

 

A.J.アパサミー/インドの聖者スンダル・シング/P218

 

「わたしはどの宗派にも属していません。わたしはひとりの単純なキリスト教徒です。宗派主義は『けんか主義』となります」

 

 

 

 

6.ニューエイジ

 

 

メジュゴリエの証言者たち/シスター・エマニエル/ドン・ボスコ社/P105

 

 マリアの到来はまた、神の受肉を否定するニューエイジの混乱に対して非常に効果的な解毒剤である。メジュゴリエは霊的生活のリアリズムを再発見させることで私たちを助ける。マリアは空想的・妖精的な心性をもった誰かではない。聖母は何か非人格的なエネルギーを見てではなく、生ける神を見て生活の具体的な現実の中へ私たちを突入させられる。聖母は、新しい偽りの神々を作り出し、信じる者を毎日煙にまくニューエイジの悪魔払いから私たちを解放なさる。