道具
2.マリア・ワルトルタ(ヴァルトルタ)
3.サンダー・シング
4.キャロル・L・フリンダース
1.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P240
‘89・9・4
神を信じない人びとに対して あなたを釣りの餌のように用いさせてもらいたい、このすべての犠牲は無駄にはならない ♡
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P32
‘89・11・7
わが主よ、どうして綴りに間違いがあるのかどうぞ分からせて下さい?
ヴァッスーラ、それは私でなく、あなたのものです。不完全で弱点がいっぱいあるがゆえ あなたを選んだ、私 神は弱い道具を選ぶ 我が力が最もよく発揮されるのは弱さのうちだからです
それでも、ときどき知らない単語をお与えになります。
そう、必要が生じたなら。 筆記させているが 私の書体だと信じるのは間違っている、
では書体がなぜ違っているのですか、主よ?
このやり方が気に入っている。 我が知識を書き下ろさせ 彼らと他の者たちにみことばで養うために 我が道具をありのまま その不完全さも弱点もすべてを持った者として用いる。 みことばは しばしば象徴的であるのに、彼らの多くが言葉通りに受け取ってしまうのを知っている、しかしこれも彼らの弱さ、従順と私に対する ♡ 幼児の−ような−信仰 そして私を喜ばせたいという願いを反映している。 試練に遭っても(*) しっかりと立っている人は幸いです。
来なさい 我が子よ、望むように使わせてもらいたい、すべての犠牲は無駄とはならない ♡ 私と一致していなさい、愛があなたを愛している ♡
*ヤコブ書1・12
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P197
‘90・7・30
そう、私の言葉を伝達する道具は貧しく、ふさわしくはない そしてありふれている。 世がつまらない 軽蔑すべき者と考える人びとを 私はまさに選ぶ ― 何らかの場を得ている者を無力とするために(*) 無に等しい者を選ぶのです、知恵は子どもでしかない者たちに与えられ 自らを知者と呼ぶ者たちにではない。 聞きなさい、知恵は徳があり聖であると自ら誇り そう自称する者たちにとっては謎として残ろう、知者の知恵を確かに打ち砕く そして彼らの受ける判決は一層厳しいであろう。 私に向って: 「アレルヤ、アレルヤ」と言える 身分の低い卑しい民を彼らのさ中に残そうと思う。 この民は昼も夜も、夜も昼も、我が天使たちの歌声に合わせて:「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、神なる主、万軍の支配者:前ににもおられ、今もおられ やがて来られるかた(**)」と歌う。 彼らを妨げる者はもういないであろう、そのさ中からあの誇る者たちをすべて取り除くからです。
* 1コリント書1・28
* *黙示録4・8
2.マリア・ワルトルタ(ヴァルトルタ)
マリア・ヴァルトルタ/天使館/霊のパン第4号/P16〜32
わたしのことばを書きとらせた理由/イエズスが口述された福音書の最後の言葉/
さて、今は? あなたたちは師に何か言いたいことがありますか? わたしに話さなくてもいいのです。だがあなたたちの心の中で話し、ただそれをすることが出来るなら、小さなヨハネに話しなさい。しかし、この二つのどの場合にも、わたしがあなたたちのうちに見たいと思うあの正義をもって話しなさい。なぜなら、このキリスト者、この姉妹、神のこの道具に対する愛徳を踏みにじって、あなたたちは小さなヨハネを苦しませるからです。もう一度、まことにあなたたちに言いますが、わたしの道具になることは、静穏な喜びではありません。苦労と努力の連続であり、世は師に与えたもの、すなわち苦しみを、その弟子たちにも与えるから、すべてに苦しみがあります。少なくとも司祭たち、特に信徒同朋たちは、自らの十字架を担って進んで行くこれからの小さな殉教者たちを助ける必要があるでしょう・・・また、自分自身に語りかけることによって、あなたたちは心の中に傲慢、羨望、不信仰と別の苦情を持ちます。しかし、わたしはあなたたちの泣き言と、醜聞に腹を立てるあなたたちの茫然自失に答えましょう。
天使館/マリア・ヴァルトルタ/「手記」抜粋/P148
人間の業は、よいものでも悪いものでも、常に超自然的な目的のために役立つ。人間の悪意は、神に取り入れられ、神の手に触れることによって、善のための道具に変わるからだ。神は水源から溢れ出て分かれる小川のように、唯一の核から地球に四散している人々を最後の日に、再び唯一の核に結集するという目的を達成するために、その無限を見通す業で八方に手を尽くす。
わたしの業はすでに始まっており、そして人間的なものを侵害し、傷つける迫害者たちは、彼らがその悪業で主の大いなる日を創り出しつつあることに気づいていない。その日、わたしは散らされた羊を集めるように、膨大なわたしの羊の群れを十字架のもとに集め、かつては、わたしの羊の群れだったのに野生の状態に戻っている羊たちに、わたしは『子羊たち』と名を付けて、もう一度洗礼を授けるだろう。わたしのしるしの下で人間社会に巣くう毒蛇や狼である者たちを追い払って。
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P322
それから、足に縄を縛りつけ、逆さ吊りの状態で木からぶら下がり、体を揺らしているもう一人の行者と出会った。そのときは通り過ぎたが、あとで行者が縄をほどき休んでいるときに戻って、彼がどのような動機でそうしているのか、どんなことが得られたのかときいてみた。
彼はこう答えた。
「今は何もいいたくないが、同じサードゥーであるあなただから、簡単に自分の動機を説明しよう。ちょっと考えてみなされ。創造主自らが母の胎内で人類すべてを逆さ吊りにしておられるというのに、なぜ人はわが逆さ吊りの行をみて驚くのか。まさに、これこそわが礼拝と苦行のやり方なのだ。世の目からは愚かにみえようが、人が罪に呪縛されるときには、たとえ世間の目からは直立しているようにみえても神の目からは逆にみえることを、わたしはこうすることによってすべての人々に知らしめておるのだ。また、わたしは神の前でいつか立てるときまで、自分の内も外も変革し続けるつもりじゃ」
わたしは答えた。
「あなたは変わった考えをお持ちだ。この世が逆さで、世の道も逆さであることは事実ですが、だからといって、彼らと同じ逆さのやり方を採ることはないでしょう。いったい、わたしたちは自力で罪の束縛から解放されるものでしょうか。それは人の力を超えているのです。愛の主がわたしたちを束縛から解放し、世を立て直すために人となられたのは、まさにそのためです。主は自らを救い、解放した者を道具として使われるのです」
ここまで話すと、サードゥーはもうやめてくれというサインを出したので、わたしは立ち上がり、さらに進んだ。
確かなことが一つある。このようなむごたらしい苦行を続けているにもかかわらず、彼は心に満ち足りと平和を与えるような変革を、何ら実現できていないということである。
4.キャロル・L・フリンダース
キャロル・L・フリンダース/奇跡を見た七人の女性神秘家の肖像/天使館/P210
啓示を得た人々は、一般的に、その人生に一番の困難を与えた人を彼らの救済のための道具であったと後で考えて、感謝の気持ちで思い出すということを聞いたことがあります。