銅・真鍮
天界の秘義3708(11)
「銅[真ちゅう]」は自然的な善を意味(425,1551)。
天界の秘義425
『真ちゅう』は自然的な善を意味していることは、また聖言に記されている金属はことごとくその内意では特殊の意義を持っていることは―例えば『金』は天的な善を、『銀』は霊的な善を、『真ちゅう』は自然的な善を、『鉄』は自然的な真理を意味しており、他の金属の場合も同じであり、『木』も『石』も同じであることは、現今の世界には知られていない。こうしたものがはこ、幕屋、神殿に用いられた『金』『銀』『真ちゅう』『木』により意味されたのである、このことについては主の神的慈悲の下に今後述べよう。こうしたものがそれらのものの意義であることは予言者の書から明らかである、例えば―
あなたはまた諸々の異邦人の乳を吸い、諸々の王の胸を吸わなくてはならない。わたしは金をたづさえてきて真ちゅうにかえ、銀をたづさえてきて鉄にかえ、真ちゅうを木に、鉄を石にかえよう。わたしはまたあなたの貢に平安を作り、あなたの強要者に義を作ろう(60・16,17)
これは主の降臨とその王国と天的な教会とを取扱っている。『真ちゅうにかえた金』は自然的な善にかえた天的な善を、『鉄にかえた銀』は自然的な真理にかえた霊的な真理を、『木にかえた真ちゅう』は形体的な善にかえた自然的な善を、『石にかえた鉄』は感覚的な真理にかえた自然的な真理を意味している。エゼキエル書には―
ヤワンとトバルとメセクはあなたの商人であった、人の魂と真ちゅうの器でかれらはあなたと交易した(27・13)。
これはツロについて語っており、ツロにより霊的な富と天的な富を持つ者が意味されており、『真ちゅうの器』は自然的な善である。モーセの書には―
その地の石は鉄、その山からあなたは真ちゅうを切り出すことができよう(申命記8・9)。
ここにもまた『石』は感覚的な真理を、『鉄』は自然的な、すなわち合理的な真理を、『真ちゅう』は自然的な善を意味している。エゼキエルは以下のものを見たのである―
四人の生きた被造物、またケルビム。その足は磨いた真ちゅうの外観[表面]のようにきらめいていた(1・7)。
ここにもまた『真ちゅう』は自然的な善を意味している、なぜなら人間の『足』は自然的なものを表象するからである。同じようにダニエル書に以下の者が現れたのである―
リンネルを着た人がいた、その腰にウパズの金の帯をしめ、身体は緑柱石のようであり、その腕と足とは磨いた真ちゅうの外観[表面]のようであった(10・5,6)。
『真ちゅうの蛇』(民数記21・9)は主の感覚的な自然的な善を表象したことは前に見ることができよう。