男尊女卑

 

 

 

 

天界の秘義568

 

 『娘』はかの人間の意志に属したものを意味し、従って諸々の欲念を意味していることは、前章(4節)に『息子と娘』について語られ、示されたことから明らかであり、そこでは『息子』は真理を『娘』は善を意味しているのである。『娘』はまたは善は意志に属しているが、しかし人間の如何にその理解が応じ、またその意志が応じており、かくて『息子と娘』とが応じている。現在の記事は腐敗した状態にある人間をとり扱っており、その人間は意志を持っていないで、意志の代わりに欲念を持っているに過ぎないのであり、その欲望が彼には意志であると考えられ、またそのように呼ばれているのである。属性として記されていることは、その属性を記されている物の性質に順応しており、ここに娘が属性づけられている人は腐敗した人間であったことは前に示しておいた。『娘』は意志の諸々のものを意味し、善の意志が無いところでは、欲念を意味している理由は、また『息子』は理解の諸々のものを意味し、真理の理解が無いところでは[真理が理解されない所では]幻想を意味している理由は、女性は理解よりも意志または欲念に支配されるように形作られているということである。それが女性の性格の気質全体であり、またそれが女性の性質であるに反し、男性は理知または理性に支配されるように形作られており。それがまた男性の性格の気質であり、またそれが男性の性質である。ここから両者の結婚は人間各々の意志と理解の結婚に似ておりそして現今善の意志は無くて、単に欲念のみが在るに過ぎないが、しかし依然理知的なものが、または合理的なものが与えられることが出来る以上、そのことが男の特権と妻の服従についてユダヤ教会に極めて多くの律法が制定された理由となっている。