バター
天界の秘義2182
八節「かれはバターとミルクを、またかれが作った雄牛の子[息子]を取って、かれらの前においた、かれは木の下でかれらの前に立った、かれらは食べた。」『かれはバターとミルクを、またかれが作った雄牛の息子[子]を取った』は、そのあらゆるものがこにょうにしてともに連結したことを意味し、『バター』は合理的なものの天的なものであり、『ミルク』はそこから派生した霊的なものであり、『雄牛の息子[子]』はそれに相応している自然的なものであり、『かれらの前に置いた』は主は受け入れるためにそのように御自身を備えられたことを意味し、『かれは木の下にかれらの前に立った』はそこから派生してきた認識を意味し、(『木』は、前のように、認識である)、『かれらは食べた』はこの方法による伝達を意味している。
天界の秘義2184
『バター』は合理的なものの天的のものであり、『ミルク[乳]』はそこから派生している霊的なものであり、『雄牛の息子[子]』はそれに相応した自然的なものであることは、『バター』『ミルク』『雄牛の息子[子]』の意義から明白である。バターについては、それは聖言では天的なものを意味していて、そのことはそのあぶら身[脂肪]から発している。あぶら身[脂肉、脂肪]は天的なものを意味していることは、第一部353番に示されており、『油』はあぶら身[脂肪]であるため、天的なものそれ自身である(886番)。『バター』もまた天的なものであることはイザヤ書に明白である―
見よ、処女は息子を生み、その名をイマヌエルと名づけるであろう、バターと蜜とをかれは食べ、かくしてかれは悪いものを拒み、善いものを選ぶことを知るであろう(7・14、15)。
ここには(『イマヌエル』であられる)主がとり扱われていて、たれでもバターが『バター』により意味されてはおらず、蜜も『蜜』によっても意味されていないで『バター』により主の天的なものが、『蜜』により天的なものから発したものが意味されていることを認めることができよう。
[2]同書に―
そして夥しく乳が作られるため、かれはバターを食べるようになられるであろう、地の真中に残された者はことごとくバターと蜜とを食べるであろう(7・22)
ここには主の王国がとり扱われており、また主の王国の中にいる地上の者がとり扱われているのである。ここの『ミルク[乳]』は霊的な善を、『バター』は天的な善を、『蜜』はそこから派生してくる幸福を意味している。
霊界日記1162
霊的な者たちはバターを好まないため
霊界日記1163
霊的な者たちはミルクを、特に新鮮なミルクを非常に歓んでいる、