過ちを認めない

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/8卷上P188/515・5

 

「ユダ、あなたはそれを言いたかったのではないでしょう。なぜ、自分の思いや良心に蓋をするのですか? おお! 人が神の所に上るのは、なんと難しいのでしょう! その障害物は、その人自身の中にあります。彼は自分を見つめて、過ちを認めることをしません。実のところ、サタンは非常にしばしば、霊的崩壊の原因をすべて負わされて中傷されます。また、神もすべての事が神の原因にされて、もっと悪く言われます。神は人間の自由を侵害しません。サタンは、善へとしっかり向けられた意志を支配することはできません。はっきり言いますが、人が犯す罪の百回のうち七十回は、自分の意志によるものです。そして―人はそれをよく考えませんが、そうなのです―そして、彼は罪から立ち上がりません。それは、自分の良心を確かめることをしないからです。自分の中で、良心が予想外の反応を示して真実を叫んだとしても、彼はそれをよく考えようとせず、その叫びを押し殺します。自分の知性にとって厳しく悲しいと思われるその姿を破壊し、その糾弾の声に影響されかけた思いを、なんとかねじ伏せます。そして、次のように言うのを拒みます。たとえば、『それでは、わたしたちは、真理に到達できないのですね。なぜなら、わたしたちの心は驕り、肉体は堕落していますから』と。そうです。わたしたちが神の道を進むことができないのは、わたしたちの心に驕りが、肉体に堕落があるからです。サタンの驕りに匹敵する驕りで、神の業が、人や仲間の利益に合わないと、それを批判し、妨げます。それゆえに、多くのイスラエル人が、永遠に呪われるでしょう」。