新しい福音宣教者たちは
マリアを福音宣教するだろう
1.マリア・ワルトルタ
2.聖母から司祭へ
3.ドレックス教授
4.メジュゴリエの聖母
5.グリニョン・ド・モンフォール
1.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P129
人間は最後の時間に向かってその歩みをすすめながら霊性に到達しなければならない。だがここでわたしの言うことを理解しておくように。神は霊であり、サタンは霊である。前者は完全の霊である。後者は罪の霊である。神が尊重する人間自らの意志によって二分された大衆は、自分が選んだ陣営にそれぞれ帰属する。いと高き者の子供たちとわたしの兄弟たちは神の陣営を選び、わたしたちの愛によって肉を霊化する。サタンの従者たちと獣の子たちは、ルシフェルの陣営を選び、自分たちが欲した隷属によって、肉的なものの支配のもとに霊的なものを殺し、彼らの霊を腐敗したおぞましい肉と血にしてしまう。
今は各個人であるが、その時は真のキリスト者の全大衆となるであろう。あの成熟に到達した霊たちにわたしが君臨するであろう時、そのときわたしは、変わりえないという意味において異質ではない、新しい福音宣教をもって、きょうは理解できないとしてもその時には理解出来るであろう力のうちに、最後の教化で完全にするために、この陣営にのみ目を向けるだろう。それが辛かろうと、自らの努力によって、あるいは愛の奇跡によって、それにふさわしい者となった特別な人々をわたしは選ばなければならない。
二十世紀前にわたしはすべての人々に話しかけた。時が到来したら、わたしはこれらの特に選ばれた人々にのみ話しかけるだろう。ほかの人々に話しかけるのは無駄だと確信しているからだ。こうして選ばれた人々と見放された人々との選別が始まるだろう。
マリアよ、貴女は、わたしの意志によってそれにふさわしいものとされた魂である。貴女が持つ良きもの、それはただ一つ、愛そうとする良き意志だ。わたしにはそれだけで充分だ。この良き意志の上に、小さな魂を台石にして師のわたしの教壇を設置することが出来る。導き救う愛の言葉と愛への招きを言い、再び言い、もう一度言うために。
マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P210
後にもおられるかた(黙示録1・8)
どんなやり方で? もちろん、肉を再びとることによってではない。もし彼の再臨が確実であるなら、同じくらい確実に、もう一つ別の肉をとることは決してあるまい。彼の父−神によってまとわされた最初の、永遠の、栄光化された完全な肉を具備しているのだから。
第二の贖罪のためにキリストが来ることもないだろう。第一の贖罪はそれだけで充分であり、完璧だったのだから第二の贖罪はないだろう。その時以来、人びとは、それを望みさえすれば、再創造された神の子らの民に留まるために、また再創造から超再創造へと移行するためのすべての要素と超自然的援助を保持している。なぜなら、もし知恵をもって言われてきた、また今も言われている『人は神が自らを満たす器である』、またもし『恩寵は霊魂に神が蒔く種』、あるいは『照らし、肥沃にするために降る一筋の光線』でもあるのなら、もし人間が神的意志と霊感に服し、神を収容するためにその能力を増大し、年齢を重ねるごとに、すべてを越えて理解し、望むその能力を拡大するのは当然である。神の霊的言葉を理解すること、すなわち、常に最大の正義へと、また人がそのために創造された目的に到達するための意志を導くために、神が人それぞれの内部に引き起こす動きを理解することである。また同様に、恩寵の種は、もし人が恩寵に服し、律法を実践し、徳に励み、恩寵に忠実であるなら、小さな種から大木となり、永遠の生命の果実を結び、あの一筋の光線は、霊感が恩寵のうちに成長し、完徳の道に自分を高めるほどに光線の力は増大するだろう。一つの谷から一つの山の頂を目指して上る人なら誰にでも起きるように。
神をますます収納するために自分を広げ膨らますこの能力、霊魂の庭を支配し、育てるこの一本の木、人が光の父を目指して自分を高めるほどに一筋の光から光の大海と化すこの永遠の太陽の光は、キリストの功績によって得られた恩寵を通して再−創造された人間を、その超創造、すなわち、イエズスと同一となることへと導く。彼の模範と在り方による新しい人間性、人間を理性を具えた被造物から、地上にいた時永遠の師が有していたものに、また、彼が、彼に忠実な者たちにもつようにと命じたものに出来る限り似るような仕方で考え、語り、行動する神化した被造物に変容させる新しい人間性をとることによって。『完全であるために、弟子はその師のごとくあれ』(ルカ6・40)
二千年前から人間は、永遠の王国を所有することが出来、彼がそのために創造された目的に到達するに必要なすべてを与えられているのだから、人間−神の側からの第二の贖罪はないだろう。弱さによって罪を犯し恩寵を失っても、それを取り戻し、罪を自ら償う手立てがある。自ら罪に落ちた人間は、そこから汲み上げたいと欲する者皆のために、キリストが制定した絶え間ない賜物を用いて、自らその罪を償うことが出来るのだ。
また、父の御言葉が、二度目の福音宣教をしに世に来ることはないだろう。個人的には来ないだろう。それでもなお、福音を宣教するだろう。彼の名において福音宣教をする新しい福音宣教者たちを立ち上がらせるだろう。彼らは新しい時代に合致する形で福音を宣教するであろうが、永遠の福音も大いなる啓示も本質的には変えずに、それらの幅を広げ、補完し、無神論のせいで、また、末期の人を待ち受ける死・審判・天国・地獄のことや他の多くの啓示された真理に対するその不信仰のせいで、『わからないことを信じろと言われても無理だし、あまりにも無知な人たちを信用することは出来ないし、引きつけたり元気づけたりするよりも怯えさせ、意気阻喪させる奴等を愛することもできない』と、言い訳をする人たちにも理解しやすく受け入れやすいものにするだろう。
新しい福音宣教者たち。たとえ世の一部は彼らを知らず、一部は彼らに敵対しているとしても、実は、彼らはすでにいる。しかしその数はますます増えるだろうし、彼らを知らず、あるいは嘲笑し、あるいは敵対した後、今新しい福音宣教者たちを愚弄する愚か者たちを恐怖が襲う時、世は、闇の中で、戦慄の中で、進行中の反キリスト者たちが起す迫害の嵐の中で、力、希望、光である福音宣教者たちの方へ向き直るだろう。なぜなら世の終わりが来る前には、反キリストの手下である偽預言者たちがますます跋扈するだろうということが本当なら、主キリストは、彼を信じない所に新しい使徒たちを立ち上がらせて、ますますその数を増す彼らに立ち向かうのも本当である。
そして、無限の憐れみは、血と、火と、迫害と、死の嵐に押し倒されている哀れな人びとを憐れみ、血と恐怖の海の上に、その再臨の先駆者となるであろう清らかな海の星マリアを輝かせるであろうし、この新しい福音宣教者たちは、実は、四福音史家や使徒たちや弟子たち皆からあまりにも日影に放置されていたが、彼女にかかわるより広汎な認知は多くを教化し、多くの転落を防止したマリアを福音宣教するだろう。なぜなら彼女は共贖者であり、女教師なのだから。家にいても、当時の人びとと共にいる時も、純潔で、謙遜で、忠実で、慎重で、思いやりに富み、敬虔な人生の女教師である。幾世紀にもわたって、常に、世界が泥と闇に降りて行けば行くほど知られるに値し、闇と泥でないものに向けて世界を再び導く、もっとも模範とするにふさわしい女教師である。
迫りつつある時代は戦争の時代であるが、それは物質的な戦争であるだけではなく、とりわけ有形なものと霊魂との戦争である。反キリストは、理性を具備した被造物を獣のような生活の泥濘に引きずりこもうとするだろう。キリストは、新しい地平と霊的な光に照らされた道を開き、誰であれ、彼を公然と拒否しないように、そのうちに霊の力強い目覚め、キリストだけでなく神の母のこの新しい福音宣教者たちに助けられた目覚めを奮起させて、諸宗教のみならず理性に対するこの放棄を阻止すべく努めるだろう。マリアの幟りは高く翻るだろう。人びとをマリアに導くだろう。そして、間接的にではあるが、すでに一度、人間の贖いのための常に強力な原因であり源泉であったマリアは、またそうなるだろう。なぜなら彼女は、不実な敵対者の、聖なる敵対者であり、彼女のうちに住まいをつくった知恵のように、霊魂たちと知性を堕落させる異端に勝つべく、その踵は地獄の竜を永遠に踏み砕くよう定められているからである。
到来が避けられないその時代には、闇は光と、獣性は霊と、サタンの軍勢は神の生き残りの者たちと、バビロンは天のエルサレムと戦い、バビロンの淫欲、その三重の色欲は、悪臭を放ち抑え切れない水のように氾濫し、至る所に、神の家にまで浸透し、かつて言われたし、今も言われているように、神の子らとサタンの子らの分離の時代には、再び同様になるだろう。そこでは神の子らはそれまで決して達しえなかった霊の力に達するだろうし、サタンの子らは、どんな頭脳も、それが現実にどんなものか想像もつかないほど広範囲な悪の力に達し、新しい福音宣教の時、今は目覚めた、あの最初の敵対した者たちを有する円熟した新しい福音宣教の時代が到来するだろう。
この福音宣教は改宗と完璧さの大いなる奇跡をもたらすだろう。キリストと女に対する悪魔的憎しみの大きな試みにも遭うだろう。しかし二人とも彼らの敵に追いつかれることは出来ないだろう。そうなるのは適切でもなく有益でもないだろう。彼にとって最も愛すべき二者、すなわち、地上に存在していた時、すでに最も憎むべき、苦痛に満ちた侮辱をすべて受けたけれども、すでに幾世紀も前から栄光化され、今は攻撃者に対するじかの恐るべき神罰なしには、侮辱を受けることが出来ない子と母に打撃を加えるほどの神に対する究極の侮辱はありえないからだ。
そのためにこの究極の福音宣教は、時宜に適った時に新しい方法で実現されるだろうし、光と生命を今か今かと待ち侘びる人びとは、イエズスとマリアという二人の贈り主のみが知っている方法で、余すところなく、完全にそれを享受するだろう。ただ自分のために闇と泥、異端と、神に対する、またマリアに対する憎しみを選んだ者のみが、すなわち死者である前にすでに死者であり、腐敗した霊魂、サタンとその手下たち、すなわち反キリストの先駆者たちと彼自身に売られた霊魂たちは、来たるべき者が来るであろう時、泥と闇と責め苦と永遠の憎しみに呻吟することになろうが、いかにも正義に適ったことではないだろうか。
マリア・ヴァルトルタ652/天使のたより第6号P20/天使館
U 司祭と信者たちの内に、福音書への、またキリストに拘るものへの生き生きとした愛を目覚めさせることです。そのすべてのことの中でも第一のことは、世界の救いの秘密である祈りのうちに、わたしの母に対する愛徳を新たにすることです。わたしの母、彼女は、あの呪われた龍に勝った勝利者です。彼女へのあなたたちの新たにされた愛と、新たにされた信仰と、彼女について言及されている知識をもって彼女の出力を助けなさい。マリアは世に救い主を与えました。世界はいまだに彼女によって救いを得るでしょう。
2.聖母から司祭へ
聖母から司祭へ1988.2.11
聖主は、わたしを、あなたたちの所におくってくださいます。それは、あなたたちに救いをもたらすためです。
この恵みのために主に感謝し、この恵みをけんそんと感謝の心をもって受け入れなさい。
わたしは主の勝利を告げるものとしてきます。
わたしは、イエズスの光栄ある再臨の道を準備するためにつかわされました。
あなたたちは、わたしの光のうちに歩み、この最後の時期において、天のあなたたちの母の使徒となりなさい。
わたしの現存と、わたしの母としての愛情の香りをどこにでも拡げなさい。喜んであなたたちみんなに祝福を与えます。
天界の秘義3488[8]
王国の福音は凡ての国民に証として、人の住む全地に宣べ伝えられるであろう。
このことはこれが先ず基督教世界に知られるようにならねばならないことを意味し、『宣べ伝えられるであろう』は、それが知らされなければならないことを意味し、『この王国の福音』は、それがそうであるというこの真理であり、『福音』は告知であり、『王国』は真理であり(『王国』は真理を意味していることは前の1672、2547番に見ることが出来よう)、『人の住む全地に』は基督教世界を意味している(『地』は教会が在る領域であり、かくて基督教世界であることは、前の662、1066、1067、1262、1733、1850、2117、2118、2928、3355番に見ることができよう)。ここの教会は信仰の生命から、すなわち、真理のものである善から『人が住む』と呼ばれている、なぜなら内意では『住むこと』は生きることを意味し、『住む人』は真理の善であるからである(1293、2268、2451、2712、3384)、『証として』は、彼らが知るように、また自分たちは知らなかったという口実を設けないように、を意味し、『凡ての国民に』は、幾多の悪に、を意味している(1259、1260、1849、1868、2588番)、なぜなら彼らが誤謬と悪との中にいる時は、彼らは真のものと善いものとは最早知らなくなり、その時誤謬は真理であり、悪は善であり、またその逆に真理は誤謬であり、善は悪であると信じ、教会がこうした状態にいるとき、その時終りが来るからである。今以下に記されている事柄と主の神的慈悲の下に創世記の次の章の序言に明らかにされる事柄との中に、第三の状態であるところの『荒らす憎むべきもの[荒れすさばせる忌まわしいもの]』と呼ばれる教会の状態が取扱われている。
天使館/天使のパン13号P50
ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年3月6日の早朝の救い主の御言葉
厳しい試練がわが教会を襲っている。しかし私はローマのわが可視的代表者を強め、叡智と堅固さをもって司教たちへの予防策を講じるであろう。司祭たちばかりでなく、司教たちは彼らの義務に対する違反や怠惰によって時代の精神の影響下に入り、聖なるぺトロの後継者にのみ属している権威と同等のものを手に入れようとしている。それ故、男性も女性も、不屈かつ冷静に戦い、祈ることが必要である。信仰を守り、堅く保ち、犠牲を捧げ、信者たちの中で、また人々の中で、希望、信頼、そして確信を維持しなければならない。私は正義のために迫害を忍ぶ祝福された者たちを称讃しなかっただろうか? (マタイ5・10−11参照)。また、私は言わなかっただろうか? 『私の味方であると人々の前で宣言する者すべてを、私もまた天におられるわが父のみ前で、私の味方であると宣言する』(マタイ10・32参照)。
今の時代は迫害に屈しない信仰告白者たちを必要とする時代! 今の時代は信仰の聖なる火で燃え盛る霊魂たち、世界中のいたるところで子羊に従う聖なる教会の教え子を必要とする時代である。多くの生ぬるさ、飽食、怠慢、臆病、腐敗、不毛、欺く者と欺かれる者などの存在にも関わらず、聖なる天使の導きの保護の下、“黙示録の婦人”(注:聖母マリア)の勝利を見んと馳せ参じる強くて純粋な霊魂たちを必要としている時代である」。
天使館/天使のパン14号P41
『信仰は従順より重要である』ドレックス教授への救い主の御言葉
1970年11月6日早朝の主の御言葉
私の神聖な祝福が貴方の住かと使徒職にゆき渡るように・・・。
この使徒職は、まず第一にこの時代における聖母マリアの栄光と認識に役立つものであり、特別な方法で私の愛を勝ち得るものである。
今はわが唯一にして真の教会のメンバーである多くのキリスト信者が天の御母を忘れ、否定し、拒否するなど聖母に不忠実な時代である。この不忠実の罪を犯すものは誰であれ、わが教会に属さない。
反逆者の中には、教会の奉献された僕がますます多く見受けられる。このような者たちはキスによって、愛ではなく大きな苦痛を私に与えたユダの罪を自ら犯しているのである。
聖職に召されながら信仰が弱くなってしまった牧者の故に、信者たちはこれらの司祭たちが怠ったり、やりそこなった事を祈りと努力、苦しみをもって補わなければならない。それで、私は祈っている人々や生贄の霊魂たちを大いなる同情をもって見ている。真の信者たちの苦しみは心の中で大きくなるが、永遠の戸口で彼らを待っている愛は崇高で美しいであろう。このような信者の数はまだ少ないが、毎日増え続けている。その中には、神への熱い思いがあふれ、この世での所有よりも善行の価値を高く評価している信者たちもいる。
平和のマリアの会/メジュゴリエの聖母のメッセージ
2017年4月25日
愛する子供たち!
遠く離れている者たちのために、愛し、祈り、私がいることを証しして下さい。
証しと模範によって、あなたがたは神と神の恵みから遠く離れている心を近くへ引き寄せることができます。
私はあなたがたと共にいて、一人ひとりのために取りなしています。
あなたがたが愛とゆるぎない意志をもって証しし、私の無原罪の心から遠い者たち皆を勇気づけることができるように。
私の呼びかけに応えてくれてありがとう。
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/50/P63
マリアを見いだす人は、生命を見出す(格言8・35)。すなわち、「わたしは道であり、真理であり、生命です」(ヨハネ14・6)と言われたイエズス・キリストを見出すのです。しかし、マリアを探し求めなければ、マリアを見出すことは出来ません。マリアのことをよく知らなければ、マリアを探し求める気にはなりません。人はだれでも、自分が知っていないものを、望むこともできねば、さがし求めることもできないからです。だからこそ、どの時代よりも特に、世の終りの直前、マリアは世の人に、もっとよく知られねばならぬというのです。それは、いとも聖なる三位一体が、最高に知られ、最高に栄光を着せられるためなのです。