新しい啓示・聖言

 

1.聖書

2.主を神と認めるもの

3.マリア・ワルトルタ

4.ヴァッスーラ

5.デボラ

6.サンダー・シング

7.スウェーデンボルグ

 

 

 

 

1.    聖書より

 

 

エゼキエル2・7−8

 

たとえ彼らが聞き入れようと拒もうと、あなたはわたしの言葉を語らなければならない。彼らは反逆の家なのだ。 人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。あなたは反逆の家のように背いてはならない。口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。

 

 

 

エゼキエル3・7

 

しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額も硬く心も硬い。

 

 

 

マタイ9・17、マルコ2・22

 

新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。

 

 

 

ルカ5・39

 

「また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。『古いものの方がよい』と言うのである。」

 

 

 

ヨハネ3・27

 

ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。」

 

 

 

ヨハネ10・27

 

 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。

 

 

 

ヨハネ16・12

 

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。

 

 

 

ヨハネ16・25−27

 

わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

 

 

 

ヨハネ17・26

 

わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。

 

 

 

ヨハネ20・30−31

 

このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

 

 

ヨハネ21・25

 

イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

 

 

 

コリント1・13・8−10

 

愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、 わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。

 

 

 

コリント1・13・12

 

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

 

 

 

黙示録11・3

 

わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。

 

 

 

マルコ13・29

 

それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。

 

 

 

黙示録3・20

 

 悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。

 

 

 

黙示録3・22

 

耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くが良い。

 

 

 

 

2.主を神と認めるもの

 

 

ヨハネの手紙一2・22−23

 

 偽り者とは、イエスがメシアであることを否定する者でなくて、だれでありましょう。御父と御子を認めない者、これこそ反キリストです。御子を認めない者はだれも、御父に結ばれていません。御子を公に言い表す者は、御父にも結ばれています。

 

 

 

ヨハネの手紙一4・1−3

 

 愛する者たち、どの霊も信じるのではなく、神から出た霊かどうかを確かめなさい。偽預言者が大勢世に出て来ているからです。イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表わす霊は、すべて神から出たものです。このことによって、あなたがたは神の霊が分かります。イエスのことを公に言い表さない霊はすべて、神から出ていません。これは反キリストの霊です。かねてあなたがたは、その霊がやって来ると聞いていましたが、今や既に世に来ています。

 

 

 

ヨハネの手紙一5・20

 

 わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。

 

 

 

3.マリア・ワルトルタより

 

 

聖母マリアの詩下P17

 

 イエズスが言われる。

「書きなさい。あなたに口述筆記させるすべての私のことばを印刷するにしろタイプするにしろ、その初めにこう書きなさい。『これは師の声である。いつくしみ深い声、荒々しい声である。回心しようとしない人々には声を荒げて、不完全ではあっても神とそのみことばを見つけようとする“善意”の心ある人々には優しい声となる。この人々は完徳に進む望みがあるので、私のことばは友人のいつくしみでありまたイエズスの祝福となる』

 いま言ったことばを、あなたのすべての著作の冒頭におきなさい」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P157

 

 あなたたちを贖うことを狙い、そのために八方に手を尽くす贖い主キリストは、すでに至る所から噴き出す文化的、社会的、霊的な異端に真理の声をもって応酬するために、その教えの第二部を開始し、その歩みを速めようとしており、彼の責め苦のしるしを示しながら語るだろう。わたしのを殺したが、人の子らを癒す傷から光と恩寵が奔流のように溢れ出るだろう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P117

 

 あなたたちは頭を下げ、礼拝せよ。人類の存在がなくなる前、キリスト以前とキリスト以後の預言、または創世の書の最初のことばから始まる聖書の象徴するところが知られるべきであるので、私はまだ説明されていないところについて説明する。この贈物を快く迎え、豊かな実となるようにせよ。私が人間の中にいた時に、私の訓戒に対して心を閉じ、超自然の奥義と真理とについて、私と肩を並べることができなかったために、私のことを悪魔憑き、冒涜者と言ったあのユダヤ人のようになるな。

 

 

 

わたしのことばを書きとらせた理由/イエズスが口述された福音書の最後の言葉/

マリア・ヴァルトルタ/天使館/霊のパン第4号/P16〜32

 

 またさらに、啓示は最後の使徒とともに完結し、付け加えるべきものはもはや何一つ無かった。なぜなら、その使徒自身が黙示録の中で、『これらに何かを加える者がいるならば、はその者に、この書に記されている災害を加えられる』(22・18)と言っている、ということは、ヨハネの黙示録がすべての啓示の最後の完成であると解釈できるのではないか、と異議を唱えるなら、本作品は、啓示に付け加えるためではなく、自然な成り行きと超自然な同意でつくり出された脱漏を埋めるものだ、とわたしは答えます。それに、駄目になった石を取り替え、欠けている小石を補い、その完成された美しさを再現するモザイク職人のように、もしわたしが神的愛徳の筋書を再構築する満足を得ようとし、またそれを、人類が闇と恐怖の深淵に向って真っ逆さまに墜落するこの世紀にとっておくとしたら、あなたたちはわたしにそれを禁じることが出来ますか? 上天の光、声と招きに対してこんなにも鈍感な霊をもち、耳が聞こえず、無気力なあなたたちは、今は間に合っている、と言うことが出来ますか?

 

 

 

 

4.ヴァッスーラより

 

 

ヴァッスーラ/あなたは預言を無視しますか/P148

 

 私は誰からも、私の光を取り上げはしない。一人として 闇に囚われたままの者はいないだろう。私の父は心配のあまり 深く悩んでおられる。不信心な棄教の世代のために 父が用意しておられた報いは今 まさに人々の門の前にある。彼らの無秩序の世界に、そのうちに私を宿した船(聖母マリア)を遣わそう、砂漠の一滴の朝露のごとく私が彼らのもとに行かれるように、みことばを新たに彼らに送ろう。私が母を人々のもとへ送るのは 人々に少しずつ私の道を教え 私を侮辱する者たちを矯正してもらうためである。私自身も、死者を甦らせるためにこの砂漠に下ってゆこう。教えと知恵が 無償で人々に与えられるだろう。私たちは行く 私たちの心臓を彼らに提供するためにたずさえて。そして並び立つ二本の灯火のように、母と私は人々を照らすだろう。私は自分の計画を実行するのに遅滞することはなく 慈悲の時代がすべての人々に与えられるだろう。それゆえ私は この時の終りの時代に 今は崩壊しているものを築き上げるために使徒を生み出そうとしている。私は彼らに 私の名において証しをさせるために派遣するところだ。

 

 

私は彼らの口を開かせ、そこをみことばで満たそう、そうすれば彼らの言葉は剣のようになるだろう。 

 

 

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P103

 

みことばを書き取らなければならないとは嘆かないように、

 

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P104

 

みことばを読むように伝えなさい、あなたと彼らに与えているこの呼びかけを読むように伝えなさい。

 

 

 

ヴァッスーラ/私の天使ダニエル/P39

 

でもよく分りません、すでに聖書が与えられているのに、どうしていまさらメッセージが必要でしょう?

(天使が答えて)では本当に聖書の中で言い尽くされていると思うのですね?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P122

 

それから、別の司祭の反応はこうでした。「はい、それは神聖であって、神からのものですから、書き続けなさい」と。彼は、それが神のみことばであることを信じます。けれど、多忙すぎて、それを一揃いとして目を通そうとしたり、どのようなものか、見つけ出そうとさえしないのです。このことで、私は驚いてしまうのですが、もし、神があるメッセージを伝えようとしていらっしゃると信じるなら、何故もっと努力してそれが何であるのか、探り出そうとしなのでしょう?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P80

‘87・12・23

 

わが神よ、プロテスタントの人たちにはショックでしょう!(私はまだそのことを思っていました。)

 

♡ ヴァッスーラ 私は彼らが変わるように何年も待っていた、もうこの願いを自由に書き下ろさせてもらいたい ♡

 

でも ショックでしょう!

 

無礼と感じるであろう ♡ 聞きなさい。 都合のよい時しか私の言葉を聞かないで、自分に合わない時は耳を塞ぐことができようか?

 

この全てを頭から否定するでしょう! 部分的に選ぶわけにはいかないのですから。―これがあなたからではないと主張します。

 

もしそうするなら 私を神として否定することになる ♡

 

主よ、これは彼らにとっては きついことだと敢えて言わせて下さい。あなたを否定しているとは感じないでしょうし、結局はあなたを愛し、主として本当に礼拝しているのですから 主よ。

 

ヴァッスーラ 私はあなた方皆を一致させに来た ジェームズ神父は私の訴えを拒むであろうか?(*) そうはしない、私の弟子なら誰であろうと私の訴えを拒まないであろう?

  ジェームズ神父を誠実の模範となさっています。

 

はい、誠実なら、主よ。

 

あなたのくれたこの言葉で、すべては言い尽くされた。 「誠実なら」、耳を貸すであろう ♡♡♡ 一致を可能とするよう 皆の上に輝き 光を与えに来た、しかし ヴァッスーラ 非常に悲しいことに 光よりも闇を好む者がいるであろう その行為が悪に染まっているため、自分たちの行為が露にされるのを恐れて光のもとに来るのを拒む、しかし献身的な者たち 私のわざを真実に認め 従う者たちは 我が光のもとにやって来て 恐れなく自分の行為を表す、神である私のうちに行われた行為だと証して みことばのうちに住む人は、確かに私の弟子となり、真理を知り 真理はあなたを自由にすると私は言った、そしてこのたびは、こう言う:もし今日の我が言葉を認めるなら、確かに私の弟子となる、真理にたいする誠実さを学び 真理はあなたを自由にし 愛のうちの一致を可能とさせ 私に栄光を与えよう ♡ 私は手に我が心をのせ、与えようと、皆のところにやって来た、しかし訴えても多くの者は私を拒む、神として認めてはくれない 心を頑なにして もし私を愛するなら訴えに耳をかすはずであり、聞くのを拒むのは、もう子として私のものではないから、彼らの知恵が盲(めしい)にさせてしまった、しかし真に言う、私の羊たちは声を聞き分け、私の声を聞き分けない者たちは私の羊ではなく 我が全能を信じていない 私の仔羊がなぜ散らされ 私のからだが不具であるかを知っているか、教会の中になぜ不調和があるか知っているか? 夜導く灯を持たないで歩いていたからだ ♡ 光である私を探し求めなさい そうするならあなた方を導く、偽善と頑なさを捨て去り、柔和 謙遜であるように、心を開いて 私のいのちの雫に満たされなさい、私は良い羊飼いで あなた方を愛している ♡♡♡ ヴァッスーラ 私に話しかけなさい、聖なる仲間として接してくれるように ♡ 

 

そういたします わが神、お愛しします 主よ、み名を讃えたいと願っています 主よ。

 

♡ 愛する者よ 私は 我が名に栄光を帰した そして再びそうする、私の支配は永遠に続く、 ♡ 来なさい、勇気を 娘よ、ともにいる ♡♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P90

‘87・12・31

 

わが神! 諸教会が主のメッセージを信じるように祈っています!

 

ヴァッスーラ 私を信じるのは 与えた恵みによる(*)、聞きなさい ヴァッスーラ、あなたは私の口伝えで話す そして私は教会が迎える苦難について語る、この啓示は私の声である、時の印を見極めなさい、私のメッセージを受け入れ、味わい、私のメッセージを食べなさい、信じない者は災い、 ♡♡

 *この恵みを神に祈り求めなければならないことを意味します。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P92

‘88・1・2

 

わが神 どこかで読んだのですが、教会が新しい啓示をなかなか受け入れようとしないのは、知るべきことがすでに聖書にすべて書かれてあるからだということです、それで新しい啓示を受け入れないのです、新しいといっても、テーマが新しいのでなく、聖書とは別だという意味で新しいので、聖書からはみ出すことを恐れています、新しい個人的な啓示は道を逸らせはしないかと考えて・・・

 

ヴァッスーラ 被造物が目の前で今にも敵の罠に落ちそうになっているのを見るとき、急いで助けたいと思うかわりに ただ座って落ちるのを眺めているだろうか? 安息日に水腫の人を助けたのを覚えているか? ファリサイ派の人たちに何と尋ねたか?

 

主よ、聖書の中を調べなければなりません。

 

では 私のみことばを取って来なさい ♡ (そうしました、そして調べました(*)。―ルカ14・1−6) ♡ そうだ 娘よ、私は尋ねた、「安息日に人を癒すのは 法に背いているか いないか?」 彼らは答えなかった、私は言った、「ここにいるあなた方のうちで、自分の息子や牛が井戸に落ちたときに、安息日だからといって引き上げるのをためらう者がいるだろうか?」これに対し 今日まで彼らは答えを見出せないでいる(*)。 今日この啓示を拒む者たちにこの問いを投げかける、 ♡ 「あなたの時代に 今日の摂理によるわざによって 私たちの被造物を転落から救うことは 私の法に反するか?」 ヴァッスーラ、私はイエスであり イエスとは救い主を意味する ♡♡♡

  この一文は、私たちの時代にとって象徴的です。

 

皆に知らせてください 主よ、それなら皆に 主よ 今言われたすべてを思い出させて下さい。

 

愛する者よ 彼らは私の心に茨の冠をかぶせた、私の聖心は血を流している

 

イエス、皆はこのことに気づいているでしょうか?

 

♡ 私はそっと彼らの戸口に立ち 前触れなく家に入り 私の聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づく ♡♡ 来なさい 娘よ、「私たち」(us, we?

 

はい 主よ、一致のうちに。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P104

‘88・1・12

 

愛する者よ、あなたですら私が何を最も望んでいるかを理解している、しかし私が望むのはこれだけでない、この啓示を読むなら分かるであろう ヴァッスーラ ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P109

‘88・1・18

 

(イエスはあるヴィジョンを下さり そこには廊下と通路を遮る大きな岩の塊がありました、その向うには強いまぶしい光が見えますが、その岩があって廊下には光が射していません。)

 

♡ その岩とは私に通じる道を塞ぐ者たちだ、大きいあまり 私を求める人びとの上に光が射すのを妨げてしまう、この者たちに、主である私は言う、あなたの権勢を忍ばないであろう、その傲慢にあきあきした、私の杯は満ちている、時が訪れたなら、一人ずつ呼んで悔い改めさせる、忠実でない者は災いだ、私と顔を合わせる日が来るであろうから ♡♡

 

イエス、分かり始めたのですが、身を低くする謙遜な本当の弟子たちは主の啓示に喜び 主に不忠実な者たちはこの啓示を喜ばないでしょう、つまりある人にはよくて ある人には悪いわけです。

 

そうだ ヴァッスーラ、これで分かったであろう(*) ♡♡

 

 *イエスは悲しみを込めてそう言われました。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P110

‘88・1・18

 

♡ 今あなたの戸口に立ち、密かな救いの計画を携えてきた、それはここにある。 ♡♡♡ この啓示は我が声、心を込めて、心を込めて あなた方を愛する ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P149

‘88・3・3

 

♡ 全ての言葉は私が書く、主である私は 我が利益と栄光のために あなたが私の神秘を知る手ほどきを与えた。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P226

‘88・5・19

 

主よ? 教会の権威者が答えて下さらないのは、もしかしたらあなたの平和と愛のメッセージがルルドやファチマのように 悔い改めることを「思い出させる」ものなので、これには付き合わなくていいと感じているからかもしれません、とにかくこの方がたは仕事に追われているのですから。しかしこれはただ思い出させるものだけではありません。一致のため、ロシアの回心、そして「ペトロ」の座についてでもありますから。

 

♡ ヴァッスーラ 私は(I am)みことば、永遠のみことば、みことばは不滅のいのち ♡ たとえさまざまな道具を通して 毎日であろうと 私の愛を被造物に気づかせようと決め 悔い改めに招くとしても、塵と灰でしかない被造物が 私の話したいかなる言葉をも無視するのは許されない ♡ 私主は皆の必要を知っていて 言っておくが、あなた方にたいする我が慈しみは非常に大きい!(*)

 *主は本当に強くこの文を強調なさいました!

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P228

 

ジェームズ、もうあなたの役割が分かったであろう。 教会はあなたを必要としている、この目的のために教会はあなたを選び、あなたの使命とはこの真新しい啓示のために最後まで証人となること

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P47

‘88・10・5

 

我が聖なる現存を信じなさい、今私がここにいると信じなさい、この啓示は我が口から発せられたものだから。 皆を愛している、あなた方皆を祝福する、来なさい・・・ ♡♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P14

‘88・8・20

 

しかし主よ、偽りの幻視もあります、啓示さえも!

 

そう 確かにそうだ、しかし非常に間もなく その覆いをはがし これらが偽りだと分からせる ♡ どの父親でも 来る年も来る年も子が道を誤っているのを見るなら 注意するであろう? また子が騙されているのを見て 黙っている父親がいるだろうか、注意を与えて真実を教えないだろうか? では愛と慈しみである私が、真実を示しに飛んで来るかわりに 沈黙したまま子を危険に曝しておくであろうか? 理解しようとしなさい・・・(*)

 

 *ここで神は非常に忍耐深い父親として話されました。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P64

‘89・12・7

 

復活した者を前にして 死は勝利に呑み込まれよう、私はいのちです ♡ 復活 そしていのちそのものです 私の肉を食べ 聖血(ち)を飲みに来る者は誰であっても永遠のいのちを持つ ♡ 来なさい、我が聖体についてさらに啓示を書き取らせよう、私 主は こうして一致し みことばを書くために用いさせてくれるあなたを 祝福する、一心に働きなさい 我がヴァッスーラ、全ては無駄とはならない、さあ、行うすべてにたいして 道案内しよう、毅然としていなさい!

 

「毅然と」しているようにと言われたのは、書き下ろしている最中、このすべてが無意識の心から出ているかもしれないと、ちょうど悪魔が再び暗示をかけに来たからです! それでイエスが「毅然と」していなさいと仰しゃったのです。サタンは本当に邪魔者ですが、ほかの悪魔たちはあまり気になりません。やはり邪魔はしますが、飛び回っている蝿程度で、自分たちにとって不本意でしょうが私を怖れさえしています。それでも、悪意に満ちていますから、用心していなくてはなりません。これらの悪魔は、霊魂が眠りに陥り弱まっていたり、ためらうすきを見た途端、力を最大に発揮します。祈りは簡単にそれらを「殺し」、遠ざけます。真理を装い、愛にはほど遠い悪を、耳もとに飛び回って「暗示する」これらの悪魔たちを、主とその慈しみにたいする信仰は滅ぼしてしまいます。このために主は私どもが自覚し、絶え間なく祈っているようにお望みなのです。絶え間ない祈りはこれらの悪魔や、サタン自身も遠ざけます。祈りは周囲に安全な防壁をつくり、サタンとすべての悪魔を遠ざけます。本当に、それは休みなく続く戦いなのです。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P220

‘90・8・5−29の続き ― 十戒 ― ロードス島にて

 

こうしたわけですべてを書き下ろさせた これらのメッセージを吟味した後に、どの文字にも見い出せる本物としての特徴を見分け 我が恵みによって皆に与えられたみことばであると 理解するように。 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P52

 

この私たちの間の会話は 多くの人の探し求めた宝。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P92

‘91・3・20

 

私、ヤハウェは、あなたの父、来なさい、あなたは私の傍らで 仕事を達成しよう、娘よ。 毎日力を与える 私のわざは世界中に及ぶので こうするのが必要となろう。 見えるようにと らんぷに明りを点した、我が子よ。 私の広間で教えるようにと あなたを選んだ。 あなたは私の口伝(くちづ)てで みことばを受けた。我が教えを何よりも大切にしなさい。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P17

 

牧者が今日 呼びかけている。失われて散らされた自分の羊たちを 牧者は今日探し求めている。その声は多くに聞こえているが、皆が聞き分けてはいない、その声に憤慨する者たちさえいる。私の者たちは皆 私のもとに戻ってくる。私に属する羊たちは皆 声を聞いて 私の足音に歓喜する。私の声を聞き分けない者たちは私の羊ではない。戻って来るまで檻の世話をするようにと 私は人を雇った、しかし立ち去ってほどなく、出て行ったばかりなのに

雇われ人たちは高い席を求めて 町に向かった。読まなかったか?

「災いだ、羊を見捨てる無用の羊飼いたちは!」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P87

 

ヴァッスーラ、あなたを祝福する。あと一言 念のため言わせてほしい。これらの、いわゆる、著作はすべて 祝福された私の美しい手作り。我が計画にかなっている、まこと愛する者よ

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P136

 

 ―ああ!我がメッセージの類似が書かれはじめたなら どんなに嬉しいか!今日与えているみことばを尊び 私に仕えるであろう者は祝福されている。 私が彼を手助けしよう その行為をすべて考慮していると(・・・)に伝えなさい。

「我が息子よ、ほかの務めをたくさん 引き受けないように。 (そうです)

ふえていくばかりで あなたは時間の不足に苦しもう!できるだけ急ぎなさい、だが:<主よ、何を必要とされていますか?>と尋ねるなら 決してたどりつかない。 教えよう:<私のメッセージは 救う、そして時は短い、あなたの始めたことを 私は祝福した。 この世代に理解のパンと知恵の飲みものを与えなさい。 我がメッセージは栄養を与え 渇きを癒す。 この世代は食物がないために どんどん死に絶えている。あなたの労苦の実は 多くの人を救おう。 急いで今 私のメッセージを食べなさい。(そうです!)

我が聖心の富をそこから引き出し、次にこれらの富に光を当てなさい。 教会の健康が回復するよう あなたには健全さを与えた。 我が司祭たちと信者の心を照らすに必要な光を メッセージから引き出しなさい。 その中に 一致という宝を与えた、我がメッセージに照らされて 一致を推し進めなさい。みことばを引用し 類似するものをあげなさい。 この作品の麗しさに 国ぐには群れをなして啓発されよう。

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・7巻P238

‘95・2・18

 

あなたは来るべき大いなる出来事の夜明けに直面している。 心をこめた仕事をするように。 それから互いに優しく接しなさい。 いいかげんな仕事は私の気を損ねる。 ああ、与えなかったもので これ以上何かほかに与えられたであろうか? ゲルトルート(*1)にだけ示し 人類の目には隠されていたこの尽きない宝を あなたに与えた、その宝とは彼女の心をすっかり魅了し 目はその不思議(*2)にすっかり奪われた。

 *1彼女は使徒聖ヨハネに、それを示されました。  *2終わりに付記されているメモを参照。

この尽きない宝は あなたの時代: 時のおわりに取っておかれたもの。 我が聖心はこれらの富を あなた方の時代まで大切に取っておいた。 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P

‘99・1・20

 

この啓示を通して私の声を届かせている。 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P68

 

この神聖な啓示全体を通して、また以前の啓示においても、私は、自ら、我が選びの者たちを教え導いて、その霊的指導者となり、行くべき道を教えると言ってきた。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P191

 

誰に対しても 厳かに尋ねよう、聖書を どうしてしまったのか? 聖書は 私を映す鏡。 どうして、聖書を知っていると言いながら、私の語り口が見分けられないのか? なぜそれほどにも簡単に 真理を否定するのか。 言っておく、今与えられている我が言葉の中で私を見分けられないなら、それはひとえに 聖霊が鍵である聖書を 知りもせず 理解もしていないため。

 

もし誰かがこう言う人が いたとする、 「私たちはこの預言的な啓示を必要とはしない、それに 耳を傾けたり読んだりする義務もない  聖書があれば十分で すべての知識はそこから学べる」と。 このように疑い深い者たちには 尋ねよう、「自分がどうして信じないかが分かるか そして なぜ無関心に心を閉ざそうとするのか 分かるか? その先を探し求めない理由が 分かっていようか?」 それはあなたが聖霊を持たないからで 聖霊は 闇から自らの光のうちへとあなたを甦らせ 霊魂を照らして 自らを顕している御父と御子が見えるようにして下さるはずだった。 聖霊は あなたのうちに復活の息吹を吹き込んで 活気づけ、こうして私のうちなるいのちを与えるはずだった。 死んでいる霊魂は 聖書を理解し それを実践できようか もし霊魂が生きていないとしたら?

 

私の肖(かたど)りを、鏡のように、映す聖書を 理解していたなら、「私にとって聖書だけで十分」とは 言わなかったであろう。 そう、我が友よ、聖霊を所有していないなら、聖書だけでは 不十分。 聖霊の光によってはじめて黙示録が理解でき そのときは聖書の、封印され 推し量りがたい神秘と見えたすべてが、知り得るものとなってはっきりしてこよう 聖霊が知識の鍵を与えてくれるゆえ ♡

 

 

 

 

5.デボラより

 

 

生ける神より明かされた英知/1巻下P74−75

 

デボラ:「お父様、何人かの神父様方は、聖書によっておおやけの啓示は終わったと私に言われました。このことについてあなたはどうおっしゃいますか?」

イエズス:「書きなさい、書きなさい、わが魂よ。『私が肉体をもって地上に生きていた限り、私はもはやしるしはないであろうと約束した。しかし、私が父の元にいる今、私のしるしは地上にあるのみでなく、それはさらに今、私のしるしは地上にあるのみでなく、それはさらに二倍、三倍に増すだろう。なぜなら父親は、自分の子どもたちを孤児にして残すことはできないからである。さらに現代は、私の存在が不可欠となる『時のうちの時』だからである。さもないと、私の敵が、今まで決して彼らのものではなかったものについてまで、所有権を獲得するからである。

 

 

 

 

6.サンダー・シングより

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P198

 

多くの信者はまた、イエスを預言者、人の子とみることはできても、神の子キリストとみることは出来ずにいる。わたしが力をもってふたたび彼らに啓示されるときに、初めてそれがわかるのである。

 

 

 

 

7.スウェーデンボルグより

 

 

霊界日記4775

 

 次いで私はそこから右の方へ導かれたが、そこでまた人々が啓示を話し、期待しているのを聞いた。これらの者たちと、天使たちは話して、主について教え、また以下のことを教えもした、即ち、あなたらは天界から教会の汚れのない[欠点の無い]教義をまさに受けようとされており、また、主から新しい聖書を受けられるでしょう、と。私は彼らが以下のように言うのを聞いた、宇宙の創造者は世に人間の前に現れ給わない訳にはいかないのである。なぜならその方は人間を創造られ、愛されておられ、死後の生命が在り、かくて人間を永遠に救おうと望まれているからであり、またその方は、人間の目にさえも、人間の形をとって現れ給うたに違い無いのである、と。するとその霊たちは以下の事実について共に話した。即ち、現今、基督教世界にいる者らは、特に、学者らは、全く他の見解を持っている、即ち、主は人間として生まれられて、人間として現われられたからには、その者は、その人間的なものの方面では、宇宙の神である筈はなく、ましてや、凡ゆる物の創造者で在り得る筈は無い(と考えているのであり)そのことが彼らの性質が歪められているという印となっているのである。なぜならその知的な部分の中には腐敗してはいない何らかのものが在り、ましてやその意志の部分の中に腐敗してはいない何らかのものが在る者たちの中には、宇宙の神は全く人間として現れ給わない訳にはいかないということが生来植えつけられているからである。そこから、古代人は、神が地に現れ給うた際、その方を、宇宙の創造者、神と呼んだのである、例えば、アブラハムとその他の者は(そのように呼んだのであり)、同じく、ギリシャのその時代の異邦人たちも―彼らは他の者たちにもまさって賢明であったが―その神々を凡て人間としたのである。例えば、サターン、ヂュピタ、ネプチューン、ジュノー、ミネルヴァ、その他多くの者を人間としたのである。同じく諸国民も、偶像を作る所ではことごとく、同様に振舞ったのである。なぜなら彼らの中に、彼らがその神を見、かくして神を承認することが生来具わっているからである。このことは、主から発している神的真理[神の真理]は、天界全体のみでなく、そこにいる天使各々の中にも人間の形を着けているという理由から起っているのである。なぜなら神的真理は、その形では、人間であるからである。ここから天界の凡ゆるものは人間と相応していることが生まれており、そのことについては、「天界の秘義」の3624―3649番を参照されたい。彼らはこうした事柄を互に話し合い、以下のことを怪しんだのである。即ち、教会が在る地域の中では学者の僅かな者しか主を神としては承認しようとはしていないが、そのことは単に主が人間であられたという理由に過ぎないのであり、人間的なものを神的なものとするものは何であるかを、彼らは全く把握していないからである、と。しかし私はまた或る者たちが以下のように言っているのを聞いたのである、即ち、教会内で或る者たちが聖者を神として拝していることは許しから発しており、そのことは目に見える神の考えが死滅しないことを目的としており、彼らはかくして、神的なものが人間の形をとっており、即ち、主から発出している神的なものが凡ゆる形において人間であるという何らかの考えを、自然から、保有するためである、と。

 

 

 

天界の秘義3398[]

 

 これがまたかれらのもとにはいかような善も残らなくなり、自然的な善すらも残らなくなるまでは主は来られて、聖言の内なる物を啓示されなかった理由である、なぜならかれらはその時は(真理を受けるものは善であるため)いかような真理をも内なる承認をもってもはや受けることができず、それでそれを冒涜することができなかったからである。こうしたものが予言者の書の中に再三とり扱われている『時が満ちる』により、『代の終わり』により、また『最後の日』により意味されている状態であった。聖言の内意のアルカナが今啓示されつつあるのも同じ理由のためである。なぜなら現今ではいかような仁慈も存在しないため、かくて今は代の終わりであるため、ほとんどいかような信仰も存在しないからであり、こうしたことが現実に起ると、これらのアルカナは内的には承認されないため、冒涜の危険を伴わずに啓示されることができるからである。

 

 

 

天界の秘義3488[8]

 

 王国の福音は凡ての国民に証として、人の住む全地に宣べ伝えられるであろう。

 

 このことはこれが先ず基督教世界に知られるようにならねばならないことを意味し、『宣べ伝えられるであろう』は、それが知らされなければならないことを意味し、『この王国の福音』は、それがそうであるというこの真理であり、『福音』は告知であり、『王国』は真理であり(『王国』は真理を意味していることは前の1672、2547番に見ることができよう)、『人の住む全地に』は基督教世界を意味している(『地』は教会が在る領域であり、かくて基督教世界であることは、前の662、1066、1067、1262、1733、1850、2117、2118、2928、3355番に見ることが出来よう)。ここの教会は信仰の生命から、すなわち、真理のものである善から『人が住む』と呼ばれている、なぜなら内意では『住むこと』は生きることを意味し、『住む人』は真理の善であるからである(1293、2268、2451、2712、3384)、『証として』は、彼らが知るように、また自分たちは知らなかったという口実をもうけないように、を意味し、『凡ての国民に』は、幾多の悪に、を意味している(1259、1260、1849、1868、2588番)、なぜならかれらが誤謬と悪との中にいる時は、かれらは真のものと善いものとは最早知らなくなり、その時誤謬は真理であり、悪は善であり、またその逆に真理は誤謬であり、善は悪であると信じ、教会がこうした状態にいるとき、その時終りが来るからである。今以下に記されている事柄と主の神的慈悲の下に創世記の次の章の序言に明らかにされる事柄との中に、第三の状態であるところの『荒らす憎むべきもの[荒れすさばせる忌まわしいもの]』と呼ばれる教会の状態が取扱われている。

 

 

 

天界の秘義3773

 

「彼らは再びその石をその井戸の口の上のその所に置いた」。これはその間それが閉じられたことを意味していることは、その井戸の口の上の石について言われたことから明白である(3769、3771番)。聖言が教会に開かれ、後に閉じられることについては実情は以下のようになっている、即ち、何らかの教会が設立される初めには、聖言は最初その教会の人たちには閉じられているが、後に開かれるのであり、主はそのように配慮されているのである、かくて彼らは教義はことごとく以下の二つの戒めに、即ち主を何物にもまさって愛さなくてはならない、また隣人を自分自身のように愛さなくてはならないという戒めに基礎づけられていることを学ぶのである。この二つの戒めが目標とされるとき、聖言は開かれるのである、なぜなら律法と予言者の凡ては、即ち、聖言全体はこの戒めに依存しており、かくて凡ゆるものはそこから派生しており、それで凡てのものはそれに関わりを持っているからである。そして教会の人々はそのとき真理と善との原理の中にいるため、彼らは聖言に見られる凡ゆる事柄において明るくされるのである、なぜなら主はその時(彼らはそのことを知らないものの)天使たちにより彼らのもとに現存されて、彼らに教えられ、また彼らを真理と善の生命へ導き入れられるからである。

 

 

 

天界の秘義3773[2]

 

 このことはまた凡ゆる教会の実情から認めることができよう、すなわち教会はその幼少期にはこのようなものであって、愛から主を愛し、心から隣人を愛したのである。しかし時が経過するにつれて、教会はこの二つの戒めから後退して、愛と仁慈の善から信仰の事柄と言われているものへ外れ、かくて生命から教義へと外れてしまい、彼らがそうしたことをするにつれ、聖言は益々閉じられてしまうのである。このことが以下の言葉の内意に意味されているところである、即ち、『見よ、野に井戸が在った、また見よ、そこには羊の群が三つその傍に伏していた、なぜならその井戸から彼らはその群に水を飲ませたからである、その井戸の口の上に大きな石が一つ置かれていた。そして群は凡てそこに共に集められた。彼らは石を井戸の口からころがし、羊の群に水を飲ませ、再び石をその井戸の口の上のその場所に置いた』。