あなたの神が苦しんでいるのだ

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P69

‘87・12・7

 

あなたを「伝統的ではない」方法で導いている、しかし私は神であり 自由に方法を選ぶ、時間がなくなっている、時は近い、♡、望むようにあなたを導く ヴァッスーラ ♡♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P69

‘87・12・8

 

(どんなことが待ち受けているかを思い、不安にとりつかれました(*)。非常に心を乱していたのです。)わが神よ、ほかの普通の人たちのように普通の仕方でお愛しできないでしょうか。愛する神よ、このような方法でなく、普通の方法で導いていただけないでしょうか。ああ 神よ、私はこのすべてに対して本当に責任を感じてしまいます。主が私に与えて下さっているすべてのお恵みにもかかわらず 私はみじめで本当に罪深極悪人のままです。どうしてですか、主よ、どうしてこんな私を手元においておかれるのですか。もう顔向けができません:ふさわしくないのです、自分を片隅に行かせて下さい、こんなおそばに私をおかないで下さい。

    極端な弱さを感じているときでした。

 

どうして? どうしてか?

 

わが神よ、そうではなく、他の人たちのように普通の仕方であなたをお愛しします。

 

いとしい者よ 愛している(*)

    イエスは私の言葉で傷つかれたのが分かりました。ああ、どうしよう、と思いました。

 

ああ イエス、あなたを傷つけるだけです、行かせて下さい、みじめさの中に安んじます、でもあなたを尊び、愛し続けることは止めません(*)。

    布団にもぐり込み このどうしようもない気持ちを 寝て忘れたかったのです。

 

待ちなさい! ♡

 

主よ、この全ては理解を越えていて、私には無理です!(*)

    超自然的な接近のなさり方や、これからあるはずの出来事すべて。

 

そうではない、あなたの理解を超えてはいない。 もうそうではない。 愛する者よ(*)、 五つの傷が大きく開いている、私は激しく血を流し、苦しんでいる、あなたの神が苦しんでいるのだ、我がからだに栄光を与えてはくれないか? 我が被造物たちの与える悲しみをあなたが見るように 五つの傷は開かれている。 あなた方の極悪さにもかかわらず、至らなさや、疑いにもかかわらず、その罪深さと、拒絶にもかかわらず、あなた方の懐疑的態度、そして私のからだに対する不誠実(**)にもかかわらず 皆を愛している ♡ まだ分からないか? どうして私に対し 心を永遠に閉じてしまったのか? あなた方の殆どは なぜ私を捨ててしまい、従う者たちはどうして進路を変えてしまったか、彼らは私の庭園をどうして疎かにし、水を与えていないのか、どうして? 仔羊たちはどこか ペトロ? 見つけ出し 一致させるのを手伝ってくれるか? ♡ さあ。 見つけ出すのを手伝い、食べ物を運んできて 仔羊たちを養ってやろう、いやそうではないペトロ、この不毛の土地では何も見出さないであろう。 もう何も残っていない、残されたわずかなものはひからび無駄になってしまった。 目の届く限り不毛の土地しか見えない、しかし主である私は、我が蓄えからパンを取り出し あなた方の倉庫を我が食料でいっぱいにし、仔羊たちを養い ♡ この不毛の土地を灌漑する、信頼しなさい 愛する者よ、信頼するなら あなた方皆を再び ♡ 一緒にし 一致させる 私のヴァッスーラ、花よ、踏みつけにされるのは許さない、私のからだの栄光のためにあなたを用いるつもりだ、私、神が、愛している ♡♡♡

 *イエスは感情が爆発なさり、ご自分がいかに苦しんでおられるかを示されました。

 **ここで、不誠実という言葉は次のような使われ方をしています:それは一致についてです。教会の権威者たちが解決を見出すために会合を開くとき、大抵こういうことが起ります:対面する相手が何かを譲るだろうと期待しながら相対するのです。結局だれも余り譲らないで終わってしまいます。昨夜この思いを主がお与えになりました。(前出の11月18日を参照)

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P199

‘89・7・5

 

しかも、まっしぐらに永遠の亡びへと向かう これほど多くの霊魂たちを見るのは はるかに痛みが大きい・・・ 分かってほしい 我が子よ、私に比べ あなたの苦しみは何でもないと。

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P180

 

 罪を犯すということのうちにいかに多くの悪意がひそみうるか、また、神をあえてつまらない楽しみ以下にみなす人は、なんという悪と大胆さを自分自身のうちに持つようになるかなどについて、愛するイエスがよく私に理解させて下さったとき以来、私はどのような小さな過ちも犯すまいと気をつけるだけでなく、また私の頭の中に望まなくてもちょっとでも思い浮かぶ罪の影をも恐れるようになりました。過去に犯した罪についてあまりの身震いと赤面を感じるため、自分は全ての人びとの中で最も極悪な人間であると信じるようになりましたので、イエスがお現れになる時には、自分の罪にたいするますます深い痛悔を持てることと、約束された私の十字架への釘づけの実現をお願いする以外のことはいたしませんでした。

 ある朝、私の心の中にますます強まる苦しみへの熱望を感じておりますと、愛するイエスがおみえになりました。主は私を私自身の外へお出しになると、私の魂をひとりの男の人の所へお連れになりました。彼は拳銃に撃たれて息を引きとろうとするところでしたが、まさしく地獄の餌食にされようとしていました。イエスは深い憂愁をもって私を主ご自身のうちに浸透させるようになさいましたので、一つの霊魂を失うときに主の御心が感じられるひどい心の苦悩がどのようなものであるかを私に理解させて下さいました。ああ、霊魂の永遠の損失をいかに主がお苦しみになるかということを、もし人類が知ることができたなら! 人びとは少なくとも、イエスにあのような激しいお苦しみを与えないためだけにも、永遠に自分を見失わないためにあらゆる方法を用いるであろうと確信いたします。