悪念

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P177

 

人を死に至らしめる敵は、虎や狼、大蛇といった大型獣ばかりではない。顕微鏡を通してしかみられず、食物や水、空気から入り込んでくる細菌の方が、はるかに危険で致命的病をもたらす場合が多い。それと同じく、大罪ばかりが魂にとって命取りになるわけではなく、大小を問わず罪の細菌たる隠れた悪念が、いっそう大きな破壊力をもつ。われわれは、自他ともに致命的な結果から逃れられるよう、何よりもまず心の中からこれら細菌を除かなくてはならない。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P177

 

人の体内には、健康に役立つ細菌(食細胞)とが住んでいる。何らかの原因で病原菌が数を増し、健康な細菌の数を上回ると、人は病に倒れ、正しく治療されなければ死ぬことすらある。しかし、健康な細菌が強ければ病原菌を殺してくれるので、人は完全な健康を楽しめる。同じく、健康な想念は邪悪な念に打ち勝ち、罪の破壊を免れる安全な健康状態を楽しませてくれる。このような勝利は、聖霊の助けなくして手にできるものではない。聖霊は、あらゆる善と歓喜、安全なる生命の源である。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P177

 

人によっては、悪念の力がはるかに優り、あらゆる希望を失って、絶望のあまり自殺する者もいる。だが、このような人たちは自分を殺すよりも神の御力を借りて、勝利する力と希望を砕くこうした悪念を、むしろ殺すべきである。毒物や殺傷武器を使って自己の生命を奪うのではなく、祈りのような霊的武器を使って悪を根から絶ち滅ぼす必要があるのだ。そうすれば、自分を殺すことなく救い上げ、そのことによって、他の人々が自分を救うための手助けをすることにもなる。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P178

 

4.利己主義もまた、ある意味での自殺である。神は人助けに使える何らかの素質や能力を誰にでもお与えになっているからだ。われわれは、人助けをしているときに新しい歓びを知り、また自分自身をも助ける。これは内なる存在の法則である。他を助けなければ、この歓びを失うことになる。自分と同じように隣人を愛することがなければ、神に背いていることになる。このような背きによって、霊魂の糧そのものである歓喜が失われ、霊の飢えによってわれわれは自分を殺すことになる。利己的人間は自分の益のために働いていると思い込んでいるが、知らずに自分自身に大きな損失を加えているのである。誰もが心を改めて利己主義を捨て去れば、この世のすべての紛争や諍(いさか)いはなくなり、地球も天国と化すだろう。すべて罪は利己主義からくるのである。「自分を捨て、わたしについてきなさい」と主がご命じになった理由はここにある。

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P178

 

われわれが絶えず人を裁き非難していれば、人をも自分をも大きく害していることになる。しかし、自画自賛を捨て自己批判をするようになれば、自分を変え、人への共感と愛を覚える人間になる。こうして自分をも人をも助け、真の愛の王国という約束の地を受け継ぐことになる。