愛と知恵
1.人間の最も深い生命を―この生命は主から発しているが―構成している愛は、知恵と結合した愛である
2.多くのことを知り、これを明らかに認め、これについて理知的に語ることがもし愛と結合していないならば、それは知恵であると考えられてはならない
1.人間の最も深い生命を―この生命は主から発しているが―構成している愛は、知恵と結合した愛である
神の摂理13
愛は人間の生命であると再三言われている。この愛は原因の中では知恵から分離した愛、或いは真理から分離した善を意味しない。なぜなら愛は愛のみによっては、または善は善のみによっては、全く存在しないから。それ故人間の最も深い生命を―この生命は主から発しているが―構成している愛は、知恵と結合した愛である。更に、人間に受け入れられることが出来るに応じて、人間の生命を構成する愛もまた原因の中では知恵から分離した愛ではなく、結果の中にのみ知恵から分離する愛である。なぜなら愛はその持つ性質を離れては意義を持たず、この性質は知恵を構成し、そして性質または知恵は愛であるその存在から発することによってのみ存在することが出来、そこから愛と知恵は一つのものとなっているからである。善と真理も同じである。さて知恵は愛から生まれるように、真理は善から生まれるゆえ、二つは合して愛または善と呼ばれる。なぜなら知恵は愛の形であり、真理は善の形であるから。それは凡て性質は形から発して、それ以外の起原を持たないからである。このように考察することにより、善は善特有の真理と結合しない限り、真に善ではなく、真理はその特有の善と結合しない限り、真の真理でないことを今理解することが出来よう。
2.多くのことを知り、これを明らかに認め、これについて理知的に語ることがもし愛と結合していないならば、それは知恵であると考えられてはならない
神の摂理35
しかし多くのことを知り、これを明らかに認め、これについて理知的に語ることがもし愛と結合していないならば、それは知恵であると考えられてはならない。なぜなら愛はその情愛により知恵を生み出すからである。知恵は愛と結合しないならば空に消えて行く火玊、または流星のようなものである。しかし愛と結合した知恵は太陽の揺るがぬ光、または恒星のようなものである。人間は悪魔の一味、即ち、悪と誤謬の欲念を嫌忌するならば、知恵の愛を得るのである。