ヴェーダーンタ哲学

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P174

 

ヴェーダーンタ哲学によれば、ブラフマン(神)だけが実在で、残りはすべてマーヤー(幻影)である。人の魂は神と同一だが、無明のためにこれが分離しているようにみえるにすぎないというのである。これが事実なら、神も幻影に従っていることになる。このようなものは神ではない。神は事実、どんな幻影からも自由であり、何もかもお見通しなのである。ヴェーダーンタ哲学者はまた、帰依者は深いサマーディ(黙想)の中で知により幻影を脱する、とも説く。ここで疑問が生じる。いったい、すべてが幻影であるというのなら、サマーディに浸る帰依者とそこから出てくる知識が幻影でないと、どうしてわかるのだろうか?

 

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P175

 

ヴェーダーンタ哲学が真理であるということになれば、神もまたー人は神と同じであるからー進化の途上にあり、幻影と無常によって完成を求めていることになる。マーヤーがこのようなことを神に対してしないというのなら、マーヤーのそもそもの原因とは何なのか、どんな活動の結果として人はマーヤーに取り込まれるに至ったのか、マーヤーの目的と究極的益はどこにあるのかということについて、ヴェーダーンタ哲学者は語る義務があるだろう。実際、神は万物に在り、万物は神に在る。だからといって、神イコール万物でも、万物イコール神でもない。創造者と創造物を混同する人間が無明に沈み込むのである。