「テレーゼ・ノイマン」

1898〜1962

カール・デンライトネル著/ドン・ボスコ社

 

 

聖痕を受けたことで有名なドイツの女性テレーゼ・ノイマンの小伝。彼女は十一人兄弟の長女として敬虔で素朴な両親の元に生まれます。父親は服の仕立て屋をしており、また小さな農場を家族で営みますが、彼女は小さなときからよく働いて家計を助けました。二十歳以降体調を壊し、失明したり、足が不自由になって寝たきりとなったりしますが、奇跡的に治癒します。しかし、食事は二十五歳以降はわずかの流動食以外はとることができなくなり、二十九歳以降死の時まで、毎日のご聖体の小片以外は食べ物も水も一切とることはありませんでした。平素は極めて健康で、起きて家事を手伝いますが、金曜日になるとベッドでキリストの受難を体験し、聖痕や目から血を流しました。彼女が書物を残しているのかどうか分かりませんが、この本では彼女自身の簡単な言葉がところどころに紹介されています。病気が治るように祈りもしなかったという彼女の神に対する信頼の厚さと従順さに感銘を受けました。

 

1.彼女は病のときも喜んで苦しみに耐え続けます。

 

「母も手をふれて娘に苦痛を与えたくなかったのでしょうけれども。そうしたなかでも私は、神さまの愛をぜったいに信じました。神さまがくださる苦痛をよろこんでしんぼうする決心を固めました。ほんとうに私たちにとって、神さまの愛よりもたしかで真実なものはないのです。けれども、母の涙が私の右頬にしたたり落ちるのを感じる時(左の頬は感覚を失っています)悲しみが、こみあげて、私も泣くよりほかはありませんでした」(P26)

 

 

「私は人間はどんな日々を送るのが、み心にかなう道かは存じません。ただ神さまだけごぞんじでいらっしゃいます。苦しみも、よろこびも、すべて神さまにおまかせしてあります。」(P36)

 

 

「晩には父も帰って来ました。私にはすぐ父とわかりました。ただ少しさびしかったことは、父の頭の髪が灰色に変わっていたことでした。四年と一ヶ月のあいだ、私はまったく見える世界から隔絶されていたのです。盲目になるまえ、私は見るということについて少しのふしぎも、感じませんでした。あたりまえのこととしていたのでありましたが、今になって初めて物が見える、ということが、いかにすばらしいことであるかということを、そしてそのことについては、日々神さまに感謝をささげるべきであることを悟りました。このとうとい賜物を受けられない不幸な人々もあります。

 

それは神さまのみ心でありましょう。見える人々は、人類に与えられた、このほかのすべての賜物、つまり天地創造の奇跡をなしたもうた神さまの大いなる愛の賜物が天上、地上に満ちていることを悟るべきであります。」(P42)

 

 

「たいていの人は、私が幼いイエズスの聖テレジアの列聖の日には丈夫になれるようにと祈っている、と思いこんでおられたようでしたけれども、私は決してそんな祈りはいたしませんでした。神さまは私たちに今、必要なことは、私たちより神さまのほうが、とっくにごぞんじでいらっしゃることを私は知っています。」(P50)

 

 

2.あるとき彼女は病床で光を見ます。

 

「この光の中からの声をききました。

『テレ―ゼよ、あなたは丈夫になりたくないか』という美しい声がしました。私は、

『私は生きることも、死ぬことも、丈夫なのも病気でいるのも、みな、楽しいことです。でもそれはみな、神さまがご存知です』と答えました。声はまた私に、

 

『あなたは、もういちど立てるようになったらさぞ嬉しいことでしょうね』とたずねました。私は、

『神さまのなさることでしたら、どんなことでもうれしゅうございます』とこたえ、それからつづけて、私が楽しく思うことをありったけ数え上げました。いろいろな草花や小鳥やあるいはまた、何か新しい苦しみ、それさえ楽しみです。しかしいちばんの喜びは救い主です』とこたえました。」(P51)

 

 

3.その他

 

「司祭から受ける祝福を、彼女は高く評価します。そして祝福が自分の目には見えなくてもそれがたとえ遠方からであろうとも彼女はそれを身近に感受するのであります。そして会う人ごとに、司祭の祝福を重んじるよう勧めます。」(P102)

 

「私は救い主のおそばにいます。神さまのすぐそばにいます」(P104)

 

聖体拝領について

 

「私に、かがやかしい姿の救い主が眼前に現れます。そのお姿のかがやきはたちまち火焔となって私に近づき、私の口の中に入るのです。それからあとのことは何もわかりません。私はまったく救い主のみ許にあるのです。」(P109)

 

以上