天地創造

 

天界の秘義4

 

 何人も心が文字の意義にのみ固執していいる限り、こうしたものがその中に含まれていることを到底認めることは出来ない。それで創世記の以下の最初の数章の中には、世界の創造が取り扱われ、楽園と呼ばれるエデンの園、最初に創造された人間としてのアダムが取り扱われているということ以外には何事も文字の意味から発見することは出来ない。たれがそれ以外の事を考えよう。しかしこうした事柄は未だ決して啓示されなかったアルカナ[秘義]を含んでおり、事実創世記の第一章はその内なる意義では全般的に人間の新しい創造を、人間の再生を、特に最古代教会を取扱っており、しかもそれは最小の表現でさえその内にそうした事柄を表象し、意味し、包含していないものはないといった方法をもって行なわれていることが以下の頁に充分に確証されるであろう。

 

 

 

天界の秘義8891

 

 「なぜなら六日でエホバは天と地と海とを作られたからである」。 これは内なる人と外なる人との中に在るものを再生させ、生かすことを意味していることは以下から明白である、即ち、『六日』の意義は争闘の状態であり(そのことについては、すぐ前の8888番を参照されたい)、それがエホバ、即ち、主について述べられているときは、それは人間が再生する以前に主がそのもとで労されることを意味しており、『天と地』の意義は人間における教会または主の王国であり、『天』は内なる人における、『地』は外なる人における(教会または主の王国であり)(82、1411、1733、1850、2117、2118、3355、4535番)、かくて『天と地』は再生した者であり、即ち、新しい生命を見出し、かくて生かされた者であり、『海』の意義は人間の形体的なものに密着している感覚的なものである(8872番)。

 

 

 

天界の秘義8891[2]

 

この節で取り扱われている主題は第七日を聖めることであり、または安息日を制定することであり、それは以下の言葉により記されている、『六日でエホバは天と地を、海を、その中に在る凡てのものを作られて、第七日に休まれた、それでエホバは安息日を祝して、それを聖められた』。文字の意義より先のことを考えない者らは、創世記の第一章と第二章に記されている創造は宇宙の創造であって、六日の中に天、地、海、その中の凡ての物が創造され、最後に人間が神に似せて創造されたとしか信じることは出来ないのである。しかしそこに記されている細々としたことを考慮に入れるなら、宇宙の創造がそこには意味されてはいないことを認めることが出来ない者がいようか、なぜなら常識からありえないと考えられるような事柄がそこに記されているからである、例えば、陽と月以前に光と暗黒のみでなく六日が在った、草木が生え出た、しかも光はこれらの光体から与えられた、光と暗黒とが区別され、かくして日が作られた、といった類が記されているのである。

 

 

 

 天界の秘義8891[3]

 

 

 

 

同・最後の審判とバビロンの滅亡4注A

 

「創造する」は新しく創造する、または、改革し、再生させることである(天界の秘義1688、10373、10634)。「新しい天と新しい地とを創造する」は新しい教会を設立することである(10373)。創世記第一章の「天地創造」により、その内意では、最古代教会である天的教会の設立が記されている(8891,9942,10545)。