サンダー・シング

(1889〜1929)

「今日、チベットに旅立ちます。危険と困難は十分承知していますが、

義務を果たすため最善のことをせねばなりません。神の御恵みの

福音を証せよとの主イエスから命じられた使命を全うし、わが生涯を終える

歓びに較べれば、わが命は何の価値もありません。6月末にはチベット人

クリスチャンを従えて戻ることができればと思っております。」

1929.4.18

(『聖なる導きインド永遠の書』P24

 

ああ、サンダー・シング!! 主の忠実な勇者!!

あなたの名前を聞いただけで私の胸は高鳴ります・・・。

 

主は彼に語られます。「真の奉仕と義務の遂行のためには、わたしの下僕たちは命そのものさえ捧げる用意がなくてはならない。それは、雪の降りしきる厳寒の中で、凍りついて死ぬまで持ち場を離れず、他の見張りたちが暖をとるために持ち場を離れても、まるで銅像のように立ち尽くしたあの忠実な兵士にも似ている。王が来て死ぬまで忠実に立っていたこの兵士をみたとき、王は自分の冠を脱いで兵士の頭にかぶせ、こういった。『このような忠実な兵と下僕こそわが冠の名誉と栄光に相応しい。彼が生きていれば、わが王国の頭に抜擢したろうに』。わたしから託された奉仕においても、わが忠実な下僕たちは同じようにしなければならない。このような信仰と勇気をもって仕事を果たした者たちに、わたしは朽ちることなき不滅の王冠を授ける。」(同P237

 

 

 

東洋及び西洋の使徒 聖サンダー・シングP241

「すべてのキリスト教徒は、男でも女でも、少年でも少女でも、富める者も貧しき者も、労働者も農夫も、著作家も祭司も、裁判官も官吏も、医者も法律家も、教師も生徒も、政府の官吏でも宣教師でも、かれが主のための証をなすという事を条件としてのみかれはキリスト教徒である。主の証を立てんがためには、必ずしも我々が公開の席で説教をせねばならぬとか、説教壇から説教をせねばならぬとか聖書のクラスや日曜学校やキリスト教同盟やを指導せねばならぬとかいうのではない。否、これらは、それによってわれわれが証をすることの出来るいくつかの方法にすぎない。しかしすべてのキリスト教徒は、かれらがどこにあろうとも、主のために証をなすことの機会を持つのである。かれらはこの証を、かれらの正直な生活によって、欠点なき品性によって、行為の完全なることによって、言語による真面目さによって、おのが宗教に対する熱心と主に対する愛とによって、イエス・キリストに関して他人に語ることの出来るあらゆる機会を用いてなすことが出来る。」

 

 

 

東洋及び西洋の使徒 聖サンダー・シングP242

「かれらの一人一人が、ただに彼の唇をもってのみならず、また彼の全生活によってキリストへの証人たることができる。」

 

 

 

東洋及び西洋の使徒聖サンダー・シングP530

「われわれインド人は教理を、宗教的教理をさえ欲しない。われわれはその種のものは十分かつ十分以上に持っている。われわれは教理に疲れている。われわれは活けるキリストを必要とするのである。インドは只に説教をしたり教えたりするところの人々のみでなく、またその全生活と性質とがイエス・キリストの啓示であるところの働き人を要求する。」

 

(アヴィラのテレサも同様のことを述べています。―「どうか神がキリストやその使徒らによって忍ばれた苦しみの写しを示してくれる聖者をお与えくださいますように! 今日では、かつてなかったほどそれが必要です。」―自叙伝27・15)

 

 

サンダー・シングの生涯と思想P67、イエス・キリスト封印の聖書P113

「おお青年よ、目を覚まして見よ、如何に多くの霊魂が日々君の周囲に於いて滅びつつあるかを。彼らを救う事は君の責任ではないか。キリストの勇敢な精兵となれ。すべての武具をまとって前進し、サタンの業を打ち破れ、勝利は君のものとなるであろう。神を賛美せよ、主は君に自ら救われて人を救うべき機会を与え給うた。もし君が今不注意であるならば他の機会は決して得られないであろう。何事であろうとも為すべき業は直ちに為せ。君はこの戦場を再び通過することが無いからだ。キリストの為に人の霊を救おうとして、健康、富、生命を捧げた後、殉教者が栄光の中に活きるのを見るときは速やかに近づきつつある。彼らは多くの事を成し遂げた。君は何を成し遂げたか? おお、その日に於いて我々は恥じて顔を赤らめることのないようにしよう。」

 

 

参考文献:

『聖なる導きインド永遠の書』サンダー・シング著、林陽訳

徳間書店

『イエス・キリスト封印の聖書』林陽編・訳、徳間書店

『インドの聖者 スンダル・シング』AJアパサミー著

河合一充・廣岡結子訳、ミルトス

『サンダー・シングの生涯と思想』金井為一郎著(絶版)

『東洋及び西洋の使徒聖サンダー・シング』

フリードリッヒ・ハイラー著、金井為一郎訳

(絶版)(国会図書館にあり)

『スエデンボルグに啓示された死後の世界』(1)、(2)

渋谷協著、神智と神愛社

・・・・・・・・

 

 

 

1.サンダー・シングの招命

2.主イエス・キリストは父なる神御自身

3.ある化学者とミルク

4.ある子供の死

5.外なる教会

6.聖餐

7.永遠の地獄

8.ある病いの婦人の奉仕

9.スウェーデンボルグ

10.ライオン狩りの譬え

11.船と水の譬え

12.トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』

13.豊かな生命

14.主について知っている

15.主を知っている

16.証し

17.哲学は罪人を救えない

18.正直な商人

19.最愛の母

20.『サンニャーシン・ミッション』

21.熱い飲み物を一息に飲み乾した

22.黒豹

23.暴徒が鎮まる

24.集会に集まった人々全員が跪いて祈る

25.サンダー・シングの記録

26.チベット

 

27.奇蹟

 

 

 

1.サンダー・シングの招命

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P13〜17

 

 神秘に閉ざされた世界の霊場ヒマラヤは、古来、幾多の聖賢を世に送り出してきた。インドの誇る霊的巨星、サンダー・シングもまた、この千古の氷雪をいただく霊峰大ヒマラヤに生れ出た。

 サンダー・シングは、1889年9月3日、北インド、パティアラ(今のウッタル・プラデシュ)州ランプルの、裕福な領主の家の末子として産声をあげた。

 家は代々、シク教を熱心に奉じてきた。シク教は、十五世紀のグルー・ナーナクが創始した改革派ヒンドゥー教である。偶像を認めず、形骸化した儀式を多く撤廃して、創造主一神のみに帰依することを旨とするこのヒンドゥー教の一派は、信愛(バクティ)を通して神の現存を体験することを最高の霊的理想にすえている。

 サンダー・シングの母は、この宗教の生きた模範として、幼い頃から彼に多大な影響を与えた。

 毎朝、日の出前に起き、沐浴して身を清め、バガヴァッド・ギーターなどの聖典を読み、祈祷してから一日を始めるという精神修養を早くから母に叩き込まれた彼は、すでに七歳の頃までに、バガヴァッド・ギーターを全巻暗唱するという天分を発揮していた。

 母は、末子のサンダーには殊のほか愛情を注ぎ、彼が将来、神に一生を捧げるサードゥー(聖なる人)となることのみを願い、愛児を霊的に育てることに力を傾けた。そのため、学者と僧を個人教授としてつけ、サンスクリット、シク教聖典グラント、ヨーガ等を学ばせた。サンダーは十五歳の頃までに、コーラン、ウパニシャッド、ヴェーダ、シャーストラ、グラント等を読破し、瞑想も究めた。サンダー・シングについて分厚い伝記を書いたドイツのカトリック系神学者フリードリッヒ・ハイラー教授(マールブルク大学)は、一般にアーリア人の方がアングロ・サクソンよりも霊的に早熟であることは認められているとはいえ、サンダー・シングは度を超して早熟だったと述べている。

 

 彼が十四歳のとき、人生に転機が訪れた。最愛の母と兄が急逝したのである。二人の死は、彼に耐え難い悲しみと孤独を与えた。特に母は、彼が「世界でも最高の神学校」と後年うたったほどにかけがえのない存在だったため、彼の受けた苦悩は想像を絶するものであった。死とは何なのか、来世とは何なのか、苦しみも悲しみもない永遠の幸せはどう見出しうるのかという、もっとも切実な問いが起こり、これを境に、彼の神への探求は本格的なものとなる。

 毎夜遅くまで聖典を読み耽り、学者や僧のもとにも通って問い掛けたが、ヒンドゥー教の幻影説も、知識の道も何ら満足できる答を提供することができなかった。ヨーガを究めサマーディ(瞑想三昧)に入る術も修得したが、サマーディから出れば、元の心の不安な自分がいるだけであった。自分の求める心の平和は、どのような人からも、聖典からも、修行からも得られることはなかったのである。

 ミッション・スクールに入学してから、キリスト教にふれる機会があったが、シク教徒独特の愛国心、国民感情が異教への迎合を許さず、宣教師に投石し、聖書を衆人の見守る中で引き裂き、焼き捨てるという暴挙に出た。だか、聖書を焼き捨てたことは、心を平和にするどころか、心の不安はますます激しさを増し、三日目に死をかけた決断をする。朝まで祈り続けて神から道が示されなければ、日の出前に鉄道自殺を遂げるという決意をしたのである。

 1904年12月18日の朝三時、彼は凍てつく寒さの中で水をかぶり、救いの道を示したまえと一心に神に祈った。まるで無神論者のごとき祈りであった。

「ああ、神よ、もし本当にいるのなら、わたしに正しい道を示してください。わたしはサードゥーになりましょう。さもなくば、自殺します」。

 そして、心の内に呟いた。「何も啓示がなければ、死ねばいい。あの世で神を見出せるだろう」

 こうして、朝の三時から間断無く祈り始めたが、応答が得られぬまま時がすぎ、四時半になった。

 突如、室内が明るい光に照らされた。光はさらに強まり、浮かぶ光輪の中から、やがて神々しい人の形が現れた。仏陀かクリシュナ(ヒンドゥー教の重要な神格の一つ)かと思い、礼拝しようとしたそのとき、次のような言葉が―これはヒンドスタニ語で語られた―稲妻のように彼の心中に響き渡った。

「おまえは、なぜ、わたしを迫害するのか。わたしが、おまえのために十字架上でこの命を捨てたことを思え」
 彼の前に現れた神は、予想していたインドの神仏ではなく、三日前に焼き払った聖書の神、二千年前に死んだとばかり考えていたイエス・キリストだったのである。その体には、二千年前に受けた傷の跡がくっきりとみえた。顔は慈愛に満ち満ちていた。少年は、顕現したキリストの前に崩れ、これまで一度たりとも味わったことのない、真(まこと)の心の平和と歓喜を見出した。そして、この心の平和と歓喜は、二度と彼を離れることはなかった。
 キリストは、このときより彼のグルー(霊的師)となり、祈りに答えて、直接彼に啓示をお与えになったからである。イエスはこうも言われた。
「おまえは目が見えなかったが、今やわたしがおまえの目を開いた。行って、わたしを証せよ。おまえに起こったこの大いなる出来事を証言し、わたしがおまえの救い主であることを公に告白せよ」

 この日を境に、サンダー・シングはクリスチャン・サードゥーとして宣教を開始することになった。しかし、その道は楽ではなかった。敵国の宗教に転向した罪により家から追放され、そのときに持たされた毒入り弁当で死ぬ寸前まで至った。毛布一枚、聖書一冊しか持たずに裸足で行脚し、迫害と苦難に遭うこと度々であったが、常に臨在するキリストが彼を不思議な方法でお救いになった。

 彼は、キリストに倣い、洗礼を受けてから荒野で四十日間の断食業も行なった。このとき以来、霊的能力が飛躍的に高まり、どのような誘惑にも勝てるようになった。彼の行く先々で不思議な奇蹟が起こり、多くの人がキリストを受け入れた。彼の前では暴徒も平伏し、人喰い豹も仔猫のようになつき、彼のサフラン・ローブに触れるだけで癒される病人が続出した。あたかも、二千年前に終っていたはずの使徒時代の奇蹟が、二十世紀になって甦ったかのような勢いであった。やがて、彼の働きは海外にも知られるところとなり、欧米各国からも招かれて、彼の活動の幅は全世界に及ぶことになった。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P320

 

 十八年前に、わたしは惨めで落ち着かない状態にありました。聖書を取り、そこに油を注いで焼き捨てました。自分の宗教であるヒンドゥー教だけが、唯一真の宗教であると考えていたからです。聖書を焼くことによって、自分は務めを全うしていると考えていました。聖書を焼いてから、わたしはますます落ち着かなくなり、心の平和も歓びもありませんでした。神の意志に逆らうことをしたからであります。それから、自分の頭を線路に載せて命を終わらせたいと思いました。その前に、神がいるのなら救済の道を示さなければならない、さもなければ朝の五時に死にます、と祈り始めました。わたしは、朝の三時に起きて祈り始めましたので、驚くようなことが起こるとは考えもしませんでした。そのようなことを誰からもきかされたことがなかったため、予想だにしておりませんでした。

 わたしは、一つの光と、その光の中に輝かしい神の御顔を見ました。そのお方を識別することはできませんでしたが、お声をききました。「あなたはいつまでわたしを迫害するのか。わたしはあなたのためにわが命を捨てたのである」。その方の美しい御顔が、わたしを見つめていました。目がわたしを見つめ、わたしは心の中に驚くべき平和を感じました。それをいい表すことはできません。目に見えないものを感じたのです。わたしは、主の栄光を見、生けるキリストを感じました。二千年昔に死んだキリストではなく、今も生きておられるキリストをです。ヒンディー語でも、英語でも、このときの感覚は表現できません。今、わたしは主を信じています。それは、世界の救い主であると聖書に書かれているからではなく、主の生命と臨在の経験を持ったからであり、二分や三分ではなく、まる十八年にわたって主はその生命を与えてくださっているからです。主が生けるキリストでなかったならば、わたしがここにいることはなかったでありましょう。しかし、主はまさしく生けるキリストなのであります。わたしは、自分が何を求めているかもわからずに祈っていました。しかし、主ご自身が現れてくださってから、わたしは知りました。『あなたご自身をお与えください』―それこそが真の祈りなのであります。願う人は、主の中においてしか、けっして満たされることはありません。

 

 

 

 

 

2.主イエス・キリストは父なる神御自身

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P91

 

メルキゼデク(主)

「わたしの名前の意味は、あなたにはわかるまい。わたしはあの羊飼い。失われたわが羊たちを救うため、天から降った者である。(中略)

人類を救うために肉体をまとってからまだ二千年にもならないが、わたしはそれ以前から存在していた。わたしは永遠、“永遠の父”である。“義と平和の王にして祭司”である。わたしのように、王でありながら祭司たりうる者は一人もいない。世の目からみれば、わたしには系図はまったくない。受肉する以前から、わたしはわたしを愛する者すべてに現れた。わたしは彼らを助け祝福し、そして今、あなたの祈りに応え、あなたに平和と安息、永遠の生命を授けるためにきたのだ」

 

求道者はメルキゼデクの言葉が真実であることを直感し、彼の足下に身を投げ出して叫んだ。

 

求道者

「ああ、父なる神、わたしはあなたがわが命の造り手であられることを、ついに知りました。」

 

 

 

同/P200

「愛の渇きを満たすために、神は人に理解できる存在の形をとられたのである。こうして、神は人となった。それは、子供たちがあらゆる聖なる御使いとともに彼を見、歓ぶためである。わたしをみた者は父をみたのである、とわたしが言ったのはそのためである。わたしは、人の形をとっている間は、“子”と呼ばれるが、永遠の父である。わたしと父と聖霊は一つである。」

 

 

 

同P199

「魅惑的で美しいものに満ちたこの世界という大きな庭園の中にいるわたしの子供たちもまた、わたしをみつけるまでは真の歓びを知ることはない。わたしは彼らといつまでも共にいるインマヌエルである。」

 

 

 

同P79

(天使がサンダー・シングに語ります)

「天のすべての住民は神が愛であることを知っている。しかし、神が罪人を救うために、時に人となり、彼らを清めるために十字架上で死ぬほどの驚くべき愛をお持ちになっていることは、永遠の昔から隠されてきた。神がこのようにお苦しみになったのは、虚無に従っている人と全被造物を救うためだった。こうして、神は人となり給うことによって子供たちに御心をお示しになった。それ以外の方法をもってしては、神の無限の愛は永遠に隠されたままに終わっていただろう。」

 

 

 

サンダー・シングの講演より/イエス・キリスト封印の聖書/P340

「この盲人(マルコ8・22)と似たような人々は今もいます。目は開いていても、彼らの視力は半分しかありません。すべてをはっきり見ることができずにいます。人々が木のように見えたこの盲人と同じく、多くのクリスチャンはキリストが神であることを知らずにいます。(中略)多くの人は、イエス・キリストが今も実在すること、主が救い主であり神であることを理解してはいません。」

 

 

 

同/P381

「イエス・キリストとともに生きている人々は、キリストこそが父であることを知っています。『父を見せてください』とピリポから尋ねられたときに、キリストは『ピリポよ、これほど長くあなた方とともにいるのに、まだあなたはわたしを知らないのですか』とお答えになりました。キリスト抜きで父の元に行けたという人が一人でもいれば、わたしはこの説を受け入れても構いません。父を見たこともないのに、父の元に行ける人が、いったいいるであろうか。かつてのわたしは、主を預言者と思い込んでいました。わたしは主の中に父を見ることができませんでした。ただ、イエス・キリスト、生けるキリストだけが、わたしに父を啓示することができたのです。イエス・キリストが誰かを知らないでいる人は、主を単なる人間と考えます。」

 

 

 

 

3.ある化学者とミルク

 

 

サンダー・シングの講演より/徳間書店/『イエス・キリスト封印の聖書』/P382

 

(前略)キリスト教国と称する国々には、主を愛する忠実なクリスチャンも多くいますが、クリスチャンといいながら、サタンの代理人にすぎない人々も多数います。キリストの神性を否定し、主とともに生きたことのない人々がそれです。彼らは、われわれに何のメッセージも持ってはいません。語るべきものを何一つ持ち合わせません。イエス・キリストを通して文明を受け、教育を受け、物質的恩恵を受けていながら、彼らは主を否定しているのです。「わたしとともにパンを食べた者が、わたしに向かって踵を上げる」とキリストがいわれた通りであります。主に向かって踵を上げた結果、彼らは知識の木に自分を吊るすことになるでしょう。

 

 主に対し忠実で、主とともに生き、イエス・キリストが誰かを知る人々、彼らだけが、行って、イエス・キリストの真実を人々に告げることができるのです。

 神の御恵みによって主の異象を見ていなかったならば、主の奇蹟の御業を目にすることがなかったならば、わたしも書物を読むことによって「霊的熱病」にかかり、信仰をぐらつかせていたかもしれません。書物が役に立つこともあります。たとえ魔物の間に住もうとも、何かを学びとることはできます。しかし、十分に強い信仰を持っていなければ、あなた方が魔物になってしまうのです。

 

 若い人たちには、このように助言しましょう。主の聖務に加わる準備をするのであれば、あなた方は個人的に主を知り、自分が誰のために働こうとしているのかを、知らなければなりません。キリストについての研究をするというだけであれば、生けるキリストを見失い、生命なき研究に終わります。そこにあるのは干からびた骨だけで、他に何ものも残されてはいません。こうしたことを知るのも、ときには役立つでしょう。今の世界の哲学の立場にも、それなりの根拠はあります。神の言葉を批判する方法を知ることも、役立つかもしれません。しかし、そこには祝福がありません。わたしの知人についてのお話をすれば、もっとわかりやすくなると思います。

 

 四年ほど前に、わたしは名高い化学者と対談していました。「聖書についてすべてを知るのはとても有益だ。その各部を分析することも」と彼は述べ、説明をするためにミルク瓶を手に取り、「さて、この中にどれほど多くの糖分、その他のものが入っているか」と、成分分析に入り、すべてを分析して見せました。満足気な彼に、わたしはいいました。「非常に興味深い。これに反対はできませんが、あなたの三歳のお子さんの方がずっと優れています。この子はミルクの分析はできない。しかし、それを飲み、体験からミルクが甘いことを知っているし、飲むことによって日々強い子に成長しているではありませんか。子供は、ミルクの成分は知らなくとも、大切なことを二つ知っています。ミルクは甘いということ、飲めば強く育つということです。あなたは、ミルクを分析しただけで、そこから何の恩恵も得ていないばかりか、ミルクを腐らせてしまっています」

 

 神の言葉を分析できる化学者は大勢います。「これはパレスチナのこと、これはギリシャのこと、等々」と彼らは語ります。彼らは、いろいろなやり方でそれについて沢山の事柄を解説してみせますが、霊的なミルクをけっして飲みません。彼らは分析するだけで、神の言葉を飲まないため、誘惑を克服するに十分な強さを得られずにいます。聖書の批判研究に大きな危険があるというのはこのためです。子供を抱いて「天国とはこのようなものです」と言われた主は、このことをよくご存じでありました。あなた方は、手に取って飲む子供のようでなければなりません。子供のような信仰を持つ人々は奇跡的な働きをしています。彼らは、聖霊の力に動かされ、他の人々の心を動かします。学者は頭をひねり、他人の頭を動かすことはできても、心を動かすことはできません。頭から出てくるものは頭にしか触れません。しかし、心から出てくるものは心に触れます。心の造り手である主は、人の心に触れるのです。そうなるのは、祈りの中で、主とともに静かな時を過ごすときです。そのときに、心はわれわれの主であり、王の王であられる方の座となります。そこにおいて、主は心の言葉で霊魂に語りかけ、多くの驚くべき事柄を啓示され、わたしたちは主の栄光を見、多くのことを理解します。このようなことは、霊的経験を通してのみ可能なのです。

 

 今朝、わたしは「赤と青はどう違うのか」とたずねた、生まれつきの盲人について話をしておりました。この人は、名称を知っているだけで、色そのものがわかりませんでした。ある人が、彼に赤い布と青い布を持ってきて、触らせました。赤い布はざらざらして、青い方は柔らかな素材で作られています。布に触った男は声をあげました。「ようやく、違いがわかった。赤は固くて、青は柔らかい」。この人は、目が開かれるまでは色そのものを理解することはできません。同じように、わたしたちも真理について沢山のことを知るかもしれません。しかし、真理そのものを知らずにいます。霊の目が開かれたときのみ、わたしたちはキリストの栄光を見、主が生けるキリストであり、単なる偉人や模範者ではなかったことを知るのです。霊の目を開くことができるのはキリストしかいません。祈りの中で主とともに生きるときに、わたしたちは主を知り、主を知ったときには、その愛が主のぶどう園に行き、主のために働くよう、わたしたちを急き立てるのです。そのときこそ、わたしたちは主ご自身の子供になり、主を愛するようになるのです。

 

 

 

 

4.ある子供の死

 

 

(サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P43)

ある幼児が肺炎のために死んだとき、天の御使い(天使)の一団が訪れ、彼の霊魂を霊界に導いていった。わたしは、母親がその素晴らしい光景をみることができたらと願わずにいられなかった。そうすれば、嘆き悲しむ代わりに彼女は喜びの声を上げたことであろう。というのも、天の御使いは地上のどのような母も示すことのできないほどの愛と配慮をもって、小さき者たちを扱うからである。

わたしは、天の御使いの一人がもう一人に話しかけるのをきいた。「みてごらん。この子のお母さんはこんな短い一時の別れを嘆き悲しんでいる。たったニ、三年で、また子供と幸せになれるのに」

それから、天の御使いたちは、子供たちのために別にされている、天のあの美しい光に満ちた部分にその子の霊魂を連れていった。子供たちが徐々に、やがて天使のようになるときまで、彼らはその場所で天の知恵の限りを尽くしてこどもの世話と教育に当るのである。

やがて、子の母もまた、死んだ。すると、今や天使に似たものとなっていた彼女の子供は、母の霊魂を迎え入れるために他の天の御使いたちを伴って現れた。

 

子供が「お母さん、わたしがわかりますか。息子のテオドールです」と声をかけたとき、母の胸は喜びに満ち溢れ、彼らが互いに抱擁したとき、歓喜の涙が花のようにこぼれ落ちた。それは胸を打たずにはおかない光景であった。

それから、共に歩いてゆく途中で、彼は辺りの色々なものを指さしては説明し続け、中有界での彼女に定められた時が過ぎゆくまで共に居続け、母の教示に必要な時が満ちると、彼は自分の住んでいる高い天界へと彼女を伴っていった。

そこは、どこをみても素晴らしい、楽しい環境に満ち、無数の人々の霊魂がいたが、この人々は地上にいたときにあらゆる種類の苦難に耐え、ついにこの輝かしい名誉ある場所にまで上げられたのである。他に類をみない秀麗なる峰々、泉、景観が至る所に広がり、楽園はあらゆる種類の芳しい果物、美しい花々でいっぱいだった。心の願い求めるすべてのものがそこにあった。

そこで、子供は母にいった。「現世はこの真実の世界をおぼろげに映し出したものにすぎません。そこではわたしたちのことを嘆き悲しんでいる人々がいます。でも、これが死ですか。それとも皆があこがれている真実の生ですか」

 

母はこう答えた。「息子よ、これこそ真実の生です。わたしが現世で天界についての本当のことを知っていたなら、おまえの死を嘆くようなことはしなかったでしょう。現世にいる人たちがそれほど無知とは、何と悲しいことでしょう。キリストがこの栄光の世界についてあれほどはっきりとご説明になり、また福音書も父の永遠の御国について繰り返し書いているにもかかわらず、それでも無知な人ばかりか、多くの光を与えられた信者までもが、まったくその栄光に気づかずにいるのですから。誰もがこの世界の永遠の歓びに入れるよう、神様がお許しくださいますように」

 

 

 

 

5.外なる教会

 

 

サンダー・シング/インドの聖者スンダル・シング/P199

 

1920年にロンドンでフォン・ヒューゲル男爵にお会いしたとき、彼はとても親切にしてくれました。彼に会えて嬉しく思いました。教会の会員については、わたしはキリストの体に所属しているということです。それは、生きる者も死んでいる者も、目に見える者も目に見えない者も、真のキリスト教徒の体として理解されるものです。

 しかし、ひとが地上で組織的な教会の会員になることについては、わたしはまったく反対しません。この意味においては、わたしはインドの聖公会の一員です。わたしは使徒継承[教会が権威を使徒たちから継承されているという主張]を信じませんが、この信念がひとの霊的生活の助けとなるのであれば、彼らがそれを信じるのは構いません。

 真の霊的な継承は何度か遮られてきました。すべての主教や法皇たちが、本当に聖霊によって任命されたわけではないからです。多くは聖人でも、全員ではありません。活けるキリストが本当にわたしたちのそばにいて、心の中で生きているのなら、なぜ中心にある核を拒絶して、乾き切った外の殻にすがる必要があるでしょうか。

 

 

 

 

6.聖餐

 

 

サンダー・シング/インドの聖者スンダル・シング/P200

 

 わたしはまた、聖体拝領と洗礼を信じています。キリスト教徒はだれでも、こうした儀式について主の命令にしたがわねばなりません。それは大きな祝福を得る手段だからであって、聖体がキリストの真の肉体になるからでも、水やパンやブドウ酒に特別な意味があるからでもありません。ただ主への服従からそうするだけなのです。もちろん、こうしたことすべては信仰次第です。わたしはいかなる教会の聖餐式も受け入れます。

 

 

 

インドの聖者スンダル・シング/A.J.アパサミー/ミルトス/P234

 

わたしたちは聖体拝領について、彼がどのような実践をしているのか聞いてみた。彼はあらゆる教会の信徒の家に滞在した。あるときは毎日ミサに出席する英国高教会派のひとびとと一緒に住み、またあるときは月一回だけ聖餐式を祝う非国教会派のひとびとと住んでいた。彼は一緒に住んでいるひとびとの習慣にしたがって、聖餐式に参加していたのである。彼はわたしたちに「時間があれば、毎日でも参加したいのです。わたしにとって、それは大変ためになります」といった。しかし、活けるキリストの臨在をかれ自身が感じ取ることと、聖体拝領に彼が参加することは、まったく別物であるのは明らかだった。

 

 

 

 

7.永遠の地獄

 

 

サンダー・シング/インドの聖者スンダル・シング/P295

 

H・A・フェラベンド博士は、そのときの様子について次のような個人的な思い出を寄せてくれた。「わたしたちのテントへ彼をお茶に招き、それからストリーターの著作『サドゥ』に出て来る彼の意見について質問をしました。わたしの記憶が正しければ、最終的には悪魔でさえ救われるだろう、という趣旨のことをスンダル・シングがいったというのです。スンダル・シングは『わたしがもしそう思っているとしたら、福音伝道に出かけて苦労する必要がどこにあるでしょうか』と答えました。そして、その本の出版前には一章しか目を通したことがなく、内容について抗議をしたけれど取り合ってもらえなかった、といいました。彼は実際、この本はひとびとが求めているものだといわれたのです。真実は自ずと非難をはねのけるだろう、と彼はいいました。わたしはそれ以降ストリーターへの尊敬の念を失い、その本をひとに薦められなくなりました。控えめにいっても、彼はサドゥを誤解しているにちがいありません。彼の伝記として認められるのは、パーカー夫人の著書だけだとスンダル・シングはわたしにいいました」

 

 

 

 

8.ある病いの婦人の奉仕

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P368

 

 主への奉仕に多くの時間をさいてきたクリスチャンの婦人が病に倒れ、十八年間ベッドに縛りつけられる身となった。肉親は、彼女が負わなければならない思い十字架を知って深く憐れみ、愛と忍耐をもって彼女を看護した。主にお仕えする機会をもてなくなったというのが、彼女の主な悩みで、健康であればどれほど出来たであろうという思いと、他への重荷となったわが身をしきりに嘆いた。

 しかし、自分では気づかなくとも、彼女はその生き方と祈りによって、他に大きな影響を与えていたのである。それは、健康であったとき以上のものだった。彼女は、美しく、香り高い花のようにベッドに横たわり、見舞いに訪れた人は逆に慰めを受け、彼女の優しさによって人生に安らぎをみた。

 このような静かな影響力が、非常に強く感じられるようになったために、キリスト教の真理を否定していたある男性―彼はこの婦人が何年も平和と幸福に包まれているのをみてきた―は、彼女の人生の中に、何か深い真実があるに違いないと思い始めた。形だけの信仰や想像で、こうまで長いこと平和でいられるはずがないと思ったのである。こうして、彼は興味を新たにして福音書を読み返し、しばらくして真理を確信するまでになった。彼はこの婦人の元にきて言った。「あなたの生活の中にそれを見なかったなら、生けるキリストの救いの力とキリスト教の真理を信じることはできなかったと思います。美しい山上の垂訓も神学者の納得のゆく説明も、わたしには効き目がありませんでした。しかし、あなたの奇蹟的なクリスチャン生活はどんな議論にも優るものでした。それは、わたしの哲学的議論もかなわないほどの生きた証拠です。健康であったらもっと多くのことができたとお考えになるのは間違っています。それが本当なら、神様は、とうに健康を与えてくださっていたでしょう。あなたは、このような弱さの中で、他の方法では決してできないような奉仕をなさっておいでです。これを病と思わず、あなたに一番かなった奉仕の方法とお考えなさい。ここは死の床ではありません。永遠の生命がキリストにあることの証拠です」

 こうして、ラザロの死のように、自分の病が神を讃える手段になっていることを知ったとき、彼女の歓びはいっそう高まった。重い十字架は、彼女にとっても他の人々にとっても祝福であることが証明されたのである。

 

 

 

 

9.スウェーデンボルグ

 

 

ミルトス/河合一充・廣岡結子訳/A.J.アパサミー著/インドの聖者スンダル・シング/P310

スウェーデンボルグの著作に出合う

 

『霊界の黙示』の出版は、新しく不思議な結果をもたらした。わたしが1928年にスンダル・シングと会ったとき、彼はスウェーデンボルグの著作についてとても情熱的に語った。スウェーデンボルグ協会は、スンダル・シングの体験はいくつかの点でスウェーデンボルグの体験と似ていると指摘し、スウェーデンボルグの著作を彼にいくつか送っていた。そして彼はそれらの著作を、非常に興味深く読んでいた。スンダル・シングはわたしにこう語った。

「スウェーデンボルグは偉大な人間であり、哲学者であり、科学者であり、何よりも明確な幻を見たひとでした。わたしは幻の中で彼とよく話をします。彼は霊界の高い地位にいます。彼はすばらしい人物ですが、控えめで、いつも喜んで奉仕します。わたしも霊界のすばらしい事物を目にしますが、スウェーデンボルグのようにそれを正確にうまく表現することができません。彼は才能にあふれ、修行をつんだひとです。彼の本を読んで、彼と霊界で親しくなったので、彼が幻を見た偉大なひとであることを保証します。」

 

 

 

 

10.ライオン狩りの譬え

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P369

 

第八章    神の国に遠からず

1922年3月7日、ローザンヌ市カテドラルにて

 

 マルコ福音書代12章34節―

「イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。『あなたは神の国から遠くない』」

 

 この男性は、われらが主のもとに来て、尋ねました。「すべての戒めの中で第一のものは何でしょうか」。これに対して、主は「心を尽くしてあなたの神である主を愛すること」とお答えになりました。男は答えていいました。「確かにそれは、どのような全焼のいけにえや供物よりも優れています」と。この人は、救い主のいわれたことに反対しなかったように見えますが、彼の答は心(ハート)からのものではありませんでした。それで、主は「あなたは神の国から遠くない」といわれたのであります。イエス・キリストは人々の罪を咎めるのが常でありましたが、この人には咎めの言葉はありませんでした。「あなたは神の国から遠くない」。この人は優れた学者で、衆人の見守る前でこのような言葉をかけられ、喜んだに違いありません。一見すると、この人は他のパリサイ人や律法学者よりも優れているように見えますが、そうではありません。彼は、自分が「神の国の中にいない」ことをむしろ悲しむべきでした。「近くに」いたのであり、「中に」いなかったからです。この人の宗教は頭のそれであり、心(ハート)の宗教ではありませんでした。頭の事柄は喉を降って胸に触れることは滅多にありません。彼が胸の奥底から答えていれば、「あなたは神の国の中にいる」と主はいわれたはずです。安全であるためには、神の国の近くにではなく、「中に」いなければなりません。神の国から遠い人々は罪の中で死にますが、「神の国の近く」にいる人も同じことです。「近くに」いることは救いにはなりません。神の国の「中に」いること、神の国を内に持つことが必要なのであります。

 われらが主のお語りになった十人の乙女の話を考えてみましょう。五人は婚礼の家の外におり、残りの五人は内にいました。五人の愚かな乙女たちは、長いこと外で戸を叩き続けました。中にいる人が「あなた方は婚礼の家から遠くないので幸いです」と声をかけたとすれば、「近くにいることが何になるでしょうか。わたしたちは中にいません。一緒に歌うこともできません」と彼女たちは答えたことでしょう。神の国の近くにいるだけでは十分ではないのです。

 何年か前に旅をしていたときに、わたしは、狩りに出たある猟師の話を度々きかされました。その場所は、ライオンなどの野獣が多く棲息している所でした。彼は銃を取り出して、遠くにいるライオンめがけて弾を発射しました。しかし、弾は逸れ、ライオンに追われる立場になりました。幸いなことに、旅行者用の小屋があたため、そこに向って走りました。しかし、彼は鍵を持ってはいませんでした。小屋の近くにまで来て、鍵を探しましたが、見つけることができません。ついに、戸の前に立ち尽くす彼に、ライオンは飛びかかり、彼を殺してしまいました。この人が家の中にいれば安全でしたが、外にいたために生命を奪われたのです。同じように、サタンは吠え猛る獅子のように、われわれを追っています。わたしたちが神の国の中にいなければ、サタンはわたしたちを襲い、命を奪うのです。

 先ほどお話した律法学者のように、イエス・キリストを敬うクリスチャンは多くいます。「これは素晴らしい真理だ。素晴らしい教えだ」と彼らはいいますが、頭で敬うだけでは十分ではありません。誠心誠意敬わなければならないのです。神の国の中にいなければ、わたしたちは安全ではないのです。

 

 

 

天界の秘義34

 

 愛と信仰とは同一のものを構成しているため、分離を許さない、それで先ず光体について言われる時、それらは一つのものとして認められ、『諸天の広がりの中に光体が存在せよ(sit)』と言われている。この事について以下の驚くべき事を述べることが私に許されている。天的な天使たちは、主からその中にいる天的な愛により、その愛から信仰の凡ゆる知識の中におり、殆ど表現を絶するような理知の生命と光の中にいるのである。しかし他方愛が無くて信仰の教義的なものの知識の中にいる霊は諸天界の宮廷の最初の閾(しきい)にさえも近づくことが出来ず、再び逃げ帰ってしまうといった冷ややかな生命と明確でない光の中にいるのである。その中には主の教えに従って生活しないながらも、自分達は主を信じたと告げる者がいるが、主がマタイ伝に以下のように語られたのは、こうした者について言われたのである―

 

 わたしに向って、主よ、主よ、と言う者が、ことごとく天国に入るのではない。わたしの意志を行う者がそこに入るのである。かの日多くの者はわたしに向って、主よ、主よ、私らはあなたの御名を通して予言したではありませんか、と言うであろう(7・21、22から終わりまで)。

 

 

 

霊界日記1757

 

 私は或る霊魂らと話した、彼らは、身体の生命の中では、自分らは信仰を持っている、または知的な信仰が救うのである、または救う性質のものである、と考え、自分ら自身に対して確立したその理論から後退しようともしなかったのであり、信仰のみが救うのであると考え、そこからは―多くの者の意見がそうであるように、―生命〔生活〕の性質は何ら重要なものではないことが生まれてくるのである。私が彼らに以下のように言うことを与えられた、即ち、そうした信仰は決して人間を救いはしない、それは現実には信仰ではない、なぜなら生命〔生活〕が彼らはいかような種類の信仰を持っているかを示すからであり、そうした信仰は単なる記憶の事柄であって、何一つ生み出しはしないに反し、信仰の生命は主から発している愛である。私はマルコ12章28節の記事を―そこには或る一人の学者が最初の、または主要な戒めは何であるか、とたずねているのであるが、その記事を―読んだ際、彼らにその同じ質問を発したのである、なぜならその学者はそれと同じことを信じてはいたが、しかし単に知的にのみ信じていて、その生命を信じてはいなかったからである、なぜなら彼はイエスを試みたと言われているからである。そのとき彼らは、そうした信仰は単に認知することにすぎないのであって、人間に自分自身のようにその隣人を愛するように仕向けなくては、決して救うものではないことを認めることが出来たのである。

 

 

 

マタイ22・34−36

 

ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」

 

 

 

天界の秘義9832

 

しかし信仰に属した真理が人間を善へ導き入れ、後には善から生み出されるのである。ここから人間は善にいない中は天界にもいないことが明白である。もし人間が信仰の事柄と呼ばれている真理の中にいるに過ぎないなら、彼は単に戸の前に立っているに過ぎないのであり、もし彼がこれらの真理から善を目指すなら、玄関へ入るのであるが、しかしこれらの真理から善を目指さないなら、天界を見ないし、遠方からさえも見ないのである。人間は善の中にいない中は天界の中にもいないと言ったのは、人間は死後天界へ入るためには、世にいる間に自分自身の中に天界を持たねばならないためである。なぜなら天界は人間の中に在って、それは世に生きている間に、自分自身が信仰の諸真理を通して隣人に対する仁慈へ、また主に対する愛へ、即ち、善へ入れられることを甘受する者たちに慈悲から与えられるからである。(人間は善により主から導かれる状態の中にいない中は天界の中にはいないことについては、8516、8539、8722、8772、9139番を参照されたい)。『善』により生命〔生活〕の善が意味され、生命の善は善いことを意志する〔欲する〕ことからそれを行うことであり、善を意志する〔欲する〕ことは愛から発しているのである、なぜなら人間はその愛するものを意志する〔欲する〕からである。

 

 

 

(霊的殺人)

真の基督教380(太字は当方による)

 

「まことに我汝らに告ぐ、羊の檻に門より入らずして、他より越ゆる者は盗人なり、強盗なり。我は門なり。我によりて入る者は、救はるべし」(ヨハネ10・1、9)。羊の檻に入ることは、教会に入ることであり、また天界に入ることである。何故なら、教会は天界と一つであり、実にそれは天界を構成するからである。それ故、主は教会の花婿であり夫である如く、天界の花婿であり夫である。信仰の合法性あるいは非合法性は上述した三つの指示、即ち、主を神の子として認めること、彼を天地の神として認めること、彼は父と一であると認めることによって決定され、如何なる信仰であれこの要素から離れる限り、それは似非信仰である。

 

 

 

 

11.船と水の譬え

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P361

 

 神は、世にありながら世のものならぬようわたしたちに求めておられますが、それはわたしたちがこの世にあって、自分も人をも救えるためです。船の場所は水の中にありますが、水は船の中にあってはなりません。浸水すれば、船をも乗員をも沈めてしまうことになる。同じように、クリスチャンは世の中にあっても、世が彼らの中にあってはならないのです。この方法によってのみ、彼らも彼らとともにいる者も、天の目的地へと安全に船出することができるのです。

 そこで、祈りの時間がもてなくなるほどに、仕事に取り込まれないようにした方がよろしい。世と世への愛着に心奪われ、打ち負かされたりせず、むしろ打ち勝てるために世から超然としているべきです。わたしたちは不完全なため、思いと行いも不完全ですが、くじかれてはなりません。未来における完成を約束する種子を手にしているからです。わたしたちを神の子の地位にまで高めてくださった神が、正しいときにわたしたちを完全にしてくださいます。

 

 

 

 

12.トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P37

 

彼は、1909年から10年にかけて、ラホールのレフロイ主教の勧めによって、聖ヨハネ神学院に籍をおくことになった。レフロイ主教を個人的に敬愛していたためにこの勧めを受けた彼だが、神学院での生活はまったく性に合わなかった。元来、彼はキリストから直接に啓示を受けてこの道に入り、祈りと瞑想の中で必要な教示は何でも受けたばかりか、すでに苛酷な迫害の中で宣教師顔負けの伝道活動を何年もしてきたのである。神学院での退屈な神学書や護教論、宗教史、教会史とのにらめっこは、彼にとって何の役にも立たなかった。のちに、彼は親友のTE・リドル師にいった。「神学院からは何一つ優れたものは得なかった。わたしはここが嫌いだった」

1922年、ジュネーブでの演説ではこう語っている。

「わたしは神学校で神学を学んだ。確かに役立つものも学んだが、霊的な益はほとんど得られなかった。教派やキリストについてさまざまに議論されたが、わたしはこれらすべての精神、つまり実在そのものを、キリストの御足下でのみ発見した。祈りの中で主の御足下で数時間を過ごす。すると、光が与えられ、神はわたしが自国語ですら到底いい表せないほど、多くのことを教えてくださるのである。主の御足下に祈りの中で座ること、それこそが世界最高の神学校である。人々は神学を云々するが、キリストは神学の本源そのものである。主は、頭が数年がかりで理解する真理を、ハートの中で一瞬にしてわからせてくださる。わたしが学んだものは、すべて主の御足下で学んだものばかりである。学びだけでなく、わたしは“生命”そのものを主の御足下で発見した」

 サンダー・シングは数か月で神学院を去った。宣教師としての免状は返却した。これを受ければ、英国教会でしか語れないからである。生活がどれほど保障されようと、それ以上に霊の自由が必要だった。誰にも、どこからも制約されず、すべての人にキリストの生きたメッセージを伝えるのが彼の使命だった。彼は最高の資格をキリスト自身から受けていたのである。

 後年、彼は、神学院で唯一役に立ったのは、聖トマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』であったといっている。この著者は、中世ドイツのカトリック修道院長で、キリスト教神秘主義者として第一にランクされている。彼は、以来この本を繰り返し読み、線を引き、書き込みをするほど愛読した。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P205

 

サンダー・シングは、修道院にこもった中世の神秘家たちが自分のためだけに生きて、世界に何の貢献もしなかったとは見ていない。

「ある修道士は『キリストに倣いて』(イミタチオ・クリスティ)という本を書かなかっただろうか。この本は無数の人々にかけがえのない教えを与えているではないか!」と彼は力を込めた。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P235

 

「しかし、通常のクリスチャンの大部分は、肉体を後に残し、霊体において中有界または第二天に入る。ここにおいて、それ以上の長きになることもある。とはいえ、アッシシの聖フランシス、『キリストに倣いて』の著者、トマス・ア・ケンピスのような例外的人物の場合は、すでに霊的に非常に進んでいたため、すぐさま第三天に入った」

 

 

 

 

13.豊かな生命

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P309

 

 豊かな生命を受けていないクリスチャンは、祈りを好まず、神の聖言を読みたがりません。

 

 

 

 

14.主について知っている

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P335

 

キリストについて知ることと、キリストを知ることとの間には、大きな違いがあるということです。わたしがキリストについて知っていたときには、いつも主を憎んでおりましたが、キリストご自身を知ったときに、わたしは主を愛し始めたのであります。キリストについて知っているだけでは、何の役にも立ちません。霊的な助けにはなりません。しかし、主を知ったときには、キリストを愛していますかと、あなた方にきく人はいなくなります。何より、生活がそれを実証するからです。この世は誘惑や困難ばかりかもしれませんが、このようなキリストを知る体験をしている人は、けっして挫けることはありません。

 

 

 

 

15.主を知っている

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P337

 

キリストの神性など信じない、キリストは神ではないという人々がいたとしても、わたしの信仰を崩すことはできません。わたしは、主を知っているからです。喉の渇きに苦しむ人に水が与えられ、彼はそれを飲んで満ち足りました。人々は「それは水ではない」と彼にいいましたが、彼は答えました。「これは水です。自分は喉が渇いていた。それが、飲んで癒されたのですから」。そのように、わたしはキリストが自分の救い主であり、生ける生命の水であることを、経験から知っています。誰もわたしの信仰を崩すことはできません。不信者は、キリストを知る人の信仰を崩すことはできないのです。崩れるのは、キリストについて知っているというだけの人です。

 

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P338

 

今日、こんなにも多くの新宗教があるのは、人々が彼らを満たしてくれるイエス・キリストを知らないからであります。人々は、これを信じ、あれを信じ、それでも足りなければ、また別のものを受け入れる。それでも満ち足りてはいません。みなさん、わたしたちを満たせるのは教えでも、倫理でもありません。生けるキリストなのです。わたしは、様々な国々で、キリストを嫌悪する人々を多く見てきました。ところが、主を知るや、彼らは変えられたのであります。彼らは、主の中に強さと力を見たのであります。

 

われわれの生活が祈りの生活となり、われわれがこの世界において主を知り、主を愛するように、主がわれわれを助けてくださいますように。

 

 

 

 

16.証し

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P319

 

 

 主がわたしにご出現になったときのことを、ふたたび申し上げます。わたしは、この国に説教をしにきたのではありません。証しをしにきたにすぎません。人々は、説教は十分にきかされ、イエス・キリストについてはたっぷり知っています。しかし、それだけでは十分ではないのです。彼らは主ご自身を知らなければなりません。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P337

 

崩れるのは、キリストについて知っているというだけの人です。

 

 

 

 

17.哲学は罪人を救えない

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P24

 

キリストがご自身を開示されたときに、わたしは自分がただの罪人にすぎないこと、主がわたしの救い手であることを悟ったのである。ヒンドゥー教は、天国があることをわたしに教えた。わたしは、自分を罪から解放しよう、どんなことも神の意志に従って行おうと最善を尽くした。わたしは自分自身の善行によって自分を救おうとしたが、すべては無駄だった。わたしは、インドの宗教哲学に誇りを持っていたが、哲学は罪人を救う力を持たないのである。わたしは、絶望のあまり、救いの道を示したまえと神に直訴した。この祈りに応えて、救い手が現れた。彼は、わたしに有りのままの姿を示された。このようなものを見ることになろうとは、まったく予想もしなかった。

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P375

 

最後に、わたしの証しを終えたいと思います。ヒンドゥー教は、死んだ後に天国があると教えました。わたしは罪から解かれるために最善を尽くし、神の御心に従って何事も行おうとしました。自分自身の善行によってわが身を救おうとしたのですが、それは愚かな行為であり、何の救いにもなりませんでした。不幸なことに、わたしはイエス・キリストを信じてはいませんでした。わたしは、インドの宗教と哲学に強い誇りを懐いておりましたが、哲学には罪人を救うことができません。わたしは絶望の淵に立たされ、救いの道を示したまえと神に祈り始め、その祈りに応えてわが救い主を見出しました。主は自ら現れてくださいました。そのようなことは予想だにしておりませんでした。わたしは、主の栄光を見、主が生けるキリストであられることを知りました。主を拝したあとで御姿は消えましたが、そのときに与えていただいた平和は、いつまでも消えることがありませんでした。

 

 

 

 

18.正直な商人

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P208

 

「しかし、商売人は、キリスト教はこの世では実用的ではないといいます。自分の立場を守るために不正直にならなければならない、例えば、自分が解雇されないために、そうではないとわかっていながらある商品を品質良好といわなければならないような人については、あなたはどう思われますか」

 

「正直でありたいと思う気持ちによって、最初のうちは苦しむ。しかし、やがて人々は彼のことを尊敬し始め、神もまた彼を豊かにしてくださる。わたしは、真正直なために苦しんだインド人商人を知っている。この人は、二、三年は苦しんだが、それから誠実であることが知れ渡り、人々は彼から買うようになった。今は、大金持ちになっている。

 人が真実、キリストとともに生きていれば、悲運も病も、迫害も、虐待も彼を損なうことはない。逆に、自分にも人にも良き結果を生むような方法で、その人はこれらのことに対処する。ある子供が、木に石を投げつけ、果物がそこから落ちてきた。父は、子にいった。『おまえは木を傷つけようとしたのに、木はおまえのために果実を落としてくれた。キリストに生きる者もそうである』と」

 

 

 

19.最愛の母

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P17

 

こうして、彼の宗教生活への第一の衝動は、母からきた。母の言葉と実例、祈りが将来における発展のための決定的な要因になったと、彼は繰り返し語っている。

「母の胸にぶら下がる子供は、陶工の握る粘土にも似ている。その人が祈りの母であれば、教師の中の教師の霊とつながっていれば、子供をいかようにでも象(かたど)れる。母は、わたしを宗教的空気の中で育て上げた。彼女は、神の仕事のためにわたしを準備した。わたしがどうなるかわからなくとも、ヒンドゥー教の光に沿って、最善のことをしてくれたのである。母が長生きしていれば、クリスチャンになっていただろう。母を想うたび、このような母を賜ったことを有難く思う。彼女は光に満ちていた。これまでに多くのクリスチャンのご婦人を見てきたが、母に及ぶ人は一人もいなかった」

 

 

 

 

20.『サンニャーシン・ミッション』

 

 

ミルトス/A.J.アパサミー/インドの聖者 スンダル・シング/P141―143

<サンヤシ・ミッションについての質問に対するサンダー・シングの答えより>

 

「宗教活動が、あるサンヤシ(托鉢僧)の集団によっておこなわれている。彼らは見たところ、キリストとキリストのメッセージを伝えることに生涯を捧げてきた点を除いて、ヒンドゥー教のサドゥと何ら変わらない。このサンヤシ修道会は厳格な規律を守り、新帰依者は12年間もの訓練を積まなくては、アーナンダの称号を得ることができない。彼らの中には、サンスクリット語と英語の両方で教育を受け、わが国で非常に高く尊敬されている者もいる」

 

「この秘密のミッションを初めて知ったのは、カイラスのマハリシに教えられたからである。わたし自身はその修道会に属していないが、彼らのキリスト教活動が偉大であることは証言できる。インド北部を歩き回っていたとき、この修道会の指導者たちの一部と知り合えたことは幸運だった。そして、彼らを介してキリストのメッセージが広められるときの犠牲的精神と愛情とに、わたしは強く心を打たれた」

 

「わたしがガンジス川のほとりで説教をしていたときのことである。ひとびとはサンヤシとしてのわたしは好きだが、わたしのメッセージは嫌いだといった。そして、近くに住み、多くの群集を引きつけていた、偉大なヒンドゥー教の伝道師を訪問してほしいといった。わたしは三日間、群集が多すぎて彼に近寄ることができなかった。

 ある日、わたしはひとりでいる彼と会うことに成功した。わたしは自分がキリストの弟子であることを告げたとき、彼はわたしを抱き締めて<兄弟よ、わたしたちは同じ活動をしているのだ>といった。このあいさつに驚いたわたしが、彼がキリストの教えを説いている姿は一度も見たことがないというと、彼は次のように答えた。

<地を耕さずに種を蒔く農夫がいるだろうか。わたしは最初に聞き手の精神的価値観を呼び覚ますことを心がけ、正義への渇望感が生まれたときを見計らって、彼らの前にキリストを差し出すのである。わたしはこの古代の川のほとりで、これまでの一二ヶ月間で一ニ人もの教養あるヒンドゥー教徒に洗礼を施した>

それから彼は鞄を開け、いつも携帯している聖書を見せてくれた・・・」

 

「今の時代に最も必要なことは、教会が広い視野を持つということである。キリスト教徒たちは、宗派や教義の制限を超越し、いかなる形式のキリスト教精神であれ、容認する心構えでいなくてはならない。秘密のサンヤシ・ミッションはキリストの祝福を受けており、わたしたちにはなじみのない形式を取ってはいても、この国で偉大な活動をおこなうことができる。それを共に喜び、伝統的なキリスト教会の範囲を超えた多くのひとびとの心に、光を注いでいる明かりをこの国に植えつけ給うた主をほめたたえましょう」

以上

 

 

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P300

 

 サンダー・シングは、北インドで出会ったあるパンディット(学者)の話を次のように伝えている。この人は、インドの聖典について説法することを常としていたが、あるとき、次のような言葉で話を結んだ。「ヴェーダ聖典は罪の贖いが必要であることを明らかにしている。しかし、贖う者はどこにいるのだろうか。ヴェーダの語るプラジャパティ、彼こそが罪人の代償として生命を与えたキリストなのである」。聴衆がこの言葉に動揺を見せると、彼はこう語った。「わたしは、あなた方以上にヴェーダを篤く信奉している。それは、ヴェーダが明らかにしているその人、イエス・キリストを信じているからである」

 サンダー・シングは、同じ思想を次のようにいい換えた。「東洋の博士たちは、ベツレヘムへの星に従って旅立った。しかし、彼らがベツレヘムに着くと、もはや星は必要ではなくなった。義の太陽であるキリストを見たからである。太陽が昇るとき、星はその輝きを失う。インドには、まことの真理の探究者が数多くいる。彼らは、自分の星に忠実に従っているが、彼らを導くのは星明りでしかない。キリストこそが太陽である。ヒンドゥー教と仏教は水路を掘ってきたが、そこに流れる生ける水を持たなかった。この意味において、わたしは、キリストから生ける水を受けるように整えられたのである。ヒンドゥー教を満たすものがキリストである」

 

 

 

 

21.熱い飲み物を一息に飲み乾した

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P120

 

父は、好きな食物を申し出てくれるようにいったが、サードゥーは、好き嫌いはないと答えた。それでも父が強いていうので、サンダーは、ミルクであれ紅茶、コーヒーであれ、飲料はできる限り熱くしてほしいと答えた。それで、わたしたちはできるだけ熱いまま飲物を運んだ。飲物の入った銀製のタンブラーは、サンダーにも持てないほど熱いものだった。ところが、彼はターバンの端を使ってそれを持つや、素手で持てぬほどの熱さの飲物を一息で飲み乾した。彼の大好物はエンドウ豆で、ライスはほとんど食べない。果物は生のものも乾したものも好きで、ナッツもよく食べる。紅茶やコーヒーよりミルクを好み、コーヒーよりは紅茶を好んだ。

 

 

 

 

22.黒豹

 

徳間書店/林陽編訳/サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P36

 

 

 

ミルトス/AJアパサミー/『インドの聖者 スンダル・シング』/P43

<信じがたい光景―豹も犬のように>

 

数年にわたって英国YMCA幹事を務めたショーラン・シンガ氏は、当時の奇妙な出来事について書いている。

「ある晩のことです。みんなが床に就く直前、谷間で明かりが動いているのに気づきました。男たちが豹を追いかけているのだろう、とサドゥはわたしに説明しました・・・

真夜中をかなりすぎて、部屋の中に動きがあって目覚めました。サドゥがベッドから起き上がり、扉に向かっていました。家の外にある木の階段の上で、その扉は開いています。木の軋む音から、彼が段を降りているのは明らかでした。サドゥが夜中に何時間も祈ることを知っていたわたしは、さして驚きもしませんでした。しかし三十分ほどすぎても帰って来ないので、不安になりました。谷間の豹のことを考えて、心配になったのです。

そこでベッドから出て、化粧室へ行き、窓から森のほうを覗いてみました。家から数メートル離れたところで、サドゥが深い谷を見下ろすように座っているのが見えました。それはとても美しい夜でした。星は明るく輝き、風がそよそよと木々の葉を揺らしています。じっと動かないサドゥの姿を、わたしはしばらく見ていました。

 そのとき、彼の右側に何かが動いているのに気づいたのです。動物が一匹、彼のほうへ向かっています。近くまで来ると、それが豹だとわかりました。わたしは恐怖で息が詰まり、窓辺で身じろぎもせず、ひとを呼ぶこともできずに立ち尽くしていました。ちょうどそのとき、サドゥは動物のほうへ顔を向け、手を伸ばしたのです。すると豹はまるで犬のように寝そべり、頭を差し出して撫でてもらおうとしました。

 それは奇妙な、信じがたい光景ええ、どうしても忘れることができません。その後しばらくすると、サドゥは部屋へ戻ってきて、すぐ眠ってしまいました。しかしわたしは、この男に猛獣を手なづけるこのような力をもたらしたのは何なのかと、横たわったまま考えていました。」

 

 

 

 

23.暴徒が鎮まる

 

徳間書店/林陽編訳/サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P123

 

シンガポールでは、梅森豪勇(ごうゆう)という日本人宣教師が、サンダー・シングと知らずに彼をもてなした。そのときの体験を、日本聖書神学校校長で、戦前にサンダー・シングを日本に紹介された故金井為一郎博士が紹介している。梅森師

は、売春婦が圧倒的な数を占めていた地区で司牧していたが、きく耳持たぬ者ばかりで、すっかり気持ちが腐り、伝道に行き詰まっていた。

 ある日のこと、夫人とともに二階にいたとき、階下の教会堂に、見知らぬ宣教師風の男が来たので上に招いた。このとき、出迎えた夫人が「あっ!」と驚きの声を上げた。キリストかと思うような姿の青年だったからである。相手はテーブルにつくと、英語で話し始めたが、意味がまったくわからない。しかし、きいているうちに、心の中にいい知れぬ歓喜を感じてきた。それは、初めての体験であった。また、相手の顔からも、すっかり汚れた衣の裾からも、光が放たれているような、不思議な感じを受けた。そのとき、この光のようなものは相手の人格からくるものと感じた。話の終わりに、青年は、毛布と聖書を指差し、この二つだけを持って地の果てまで宣教し、日本にも行くというう身振りをしたが、持ち物がそれだけとは信じられなかったため、自分の思い違いだろうと、そのときは考えた。

 青年は、記念に聖書に幾つか聖句を書き入れ、「サンダー・シング」と署名を残し、外に出た。このときに、驚くべき光景を見た。外の広場で喧嘩か何か、大騒ぎをしていたベンガル人労働者たちが、一斉に水を打ったように静まり返り、この青年の前に跪いた上、組み手を額から胸へと下ろす、インド特有の最敬の礼拝をし始めたのである。この見しらぬ青年は、一方の手にバイブル、他方の手に毛布を高々と掲げ、静かに彼らの間を歩き去った。「まるで波の上を歩くキリストを思わせた」と梅森師は回想している。これまで礼拝堂の中に入り込んで暴力行為を働いていた、これらの手に負えぬ無頼漢たちを、一言も語らずに跪かせてしまうこの不思議な訪問者に、梅森師は非常に驚き、心の中に宣教への熱い思いが込み上げてくるのを感じたのであった。

 

 

 

 

24.集会に集まった人々全員が跪いて祈る

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P148

 

サンダー・シングは、講演をききにきた人々、個人的に接した人々に、計り知れない影響を与えた。ロンドンの聖ブライド教会では、集会に集まった人々全員が跪いて祈ったが、このようなことは前代未聞のことであった。参加者は口々に、「まるで別世界から来訪者が語りかけているようだ」といったものである。上は女王陛下から大哲学者、神学者、下は一般庶民、盗賊、人殺し、病人、子供、通りがかりの物乞いに至るまでが彼との出会いで人生に大きな変化を見た。

 

 

 

25.サンダー・シングの記録

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P50

 

1912年以降のサンダー・シングの事績については、パンジャブ州ルジアーナで発行されていたキリスト教週報『ナー・アフシャム』、ならびにサンダー・シング自身がウルドゥー語で執筆した『行脚録』に詳しい。『ナー・アフシャム』は、サンダー・シングを最初から助けてきたアメリカ長老派教団フェリー博士がウルドゥー語で発刊したものであり、サンダー・シングは、特にチベット・ヒマラヤでの出来事を毎号、手記の形で詳細に報告してきた。

 

これらの記録の重要な点は、どれもサンダー自身が出来事が起きた直後に認(したた)めたものであるということ、その点で新鮮で正確な報告になっていることである。サンダー・シングは、いまだキリストの教えが届かぬこの地方に人々の注意を特に喚起したいと考えていたため、これら雪と氷に閉ざされた秘境山岳地域での、困難を極める伝導旅行の各場面を生き生きと書いてきた。

 

 

 

26.チベット

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P37

 

1908年の初めに、彼はポンペイ、インド中央部を伝道旅行し、夏期にモラビア派宣教団の山岳拠という彼点のあるポーに退いた。ここで二か月感、宣教師の一人と伝導旅行を実施、辺境部の地理に通じてから、雪と氷に閉ざされた秘境チベットに踏み込んだ。チベットは、以来、彼の宣教の中心目的地となる。彼がチベットに引かれたのは、一つにはほとんどキリストの教えが伝えられていないこと、また、インドの教会にとって、チベットを回心させることが特別な義務と感じたからである。チベットのラマ教は、土着信仰と仏教とが混淆(こんこう)したもので、ラマ僧は宗教ばかりか政治面でもあらゆる位置を占めていたため、宗教改革には真向から対立していた。ここでの伝道は非常な困難を伴ったが、サンダー・シングの伝道への情熱はますます燃え上がった。寒さと氷雪の中で苦しみ、熾烈な迫害を受け、殉教すれすれのところにまでいくことも度々であったが、このようなことは、キリストの受難を共にしたいという彼の気持ちをなおいっそう強めるのであった。チベットの苛酷(かこく)な自然条件を知った彼は、半年をここでの伝道に当て、冬場はインドで活動することに決めた。

 

 

 

27.奇蹟

 

 

サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P362

 

先日、わたしは、チベットのある寒村で伝道していたときの経験をお話ししました。人々はいいました。「この国に入ってはならないと、最三命じたにもかかわらず、あなたは何度も入ってくる。今回は、生かしては帰さない」。ラマはいいました。「殺しても無意味だ。カータル・シングの死は、逆に大きな影響を人々に与えてしまった。森の中に縛っておけ」

そこで、彼らは、わたしを深い森の中に連行し、鉄製の重い鎖で木に縛り付けました唯一の所持品である毛布と聖書も、彼らに奪われました。鎖に錠がかけられたため、わたしは身動き一つできませんでした。その晩は寒さが厳しく、非常に辛い経験となりました。助けてくれる人は誰もいません。しかし、わたしには、キリストがいてくださるだけで十分でした。寒さのため、夜は一睡もできず、朝には体が冷えきって、死を予感しました。しかし、わたしはいい知れぬ歓びと平和を感じました。わたしにとって、それは地上天国でした。キリストが生けるキリストでなければ、主が神でなくただの人であれば、苦しみの最中にこのような平和と歓喜を与えることはできなかったでしょう。その平和と聖霊の火をいただいた瞬間に、わたしは苦しみと寒さを忘れ、二、三分まどろみました。それから物音がして、目を覚ましました。木の上には熟した実がなっていたのですが、その一つが、音を立てて落ちてきたのです。気がつくと、鉄の鎖は落ちて、わたしは自由の身になっていました。辺りには人ひとり見えません。わたしは、目の前に落ちた果実を食べると、ふたたび村に行き伝道を始めました。人々は、大変に驚きました。死んだと思った男が生きていたのです。彼らは錠を調べに行きましたが、鎖は錠がかかったままでした。しかも、それを開ける唯一の鍵は、ラマが持っていたのです。ここには、二つの奇蹟があります。迫害の最中に味わったたとえようのない平和、そしてわたしが自由の身になったという事実です。それは、生けるキリストの力によるものです。主は、常に、信じる者とともにおられるのです。