ソロモン

 

 

 

1.ソロモンの知恵

2.ダビデは来り給う主を、ソロモンはその来り給うた後の主を表象した

 

 

 

 

1.ソロモンの知恵

 

 

天界の秘義5223[2]

 

しかし『賢人』と呼ばれた者たちはそのようなことをかえりみないで、困難な問題と解き、自然的なものの原因を教えたのである。こうした物から当時の知恵は主として成立し、それに通じることが『知恵』と呼ばれたのであり、このことは列王記上巻でソロモンについて述べられていることから明白であるー

 

 ソロモンの知恵は東の凡ての息子たちの知恵にも、エジプトの凡ての知恵にもまさって増し加わり、かくてかれは凡ゆる人間よりも、エズラ人エタンよりも、マホルの息子たち、ヘマン、カルコル、ダルダよりも賢かった。かれは三千の箴言を語り、その歌は千五百首にもたっした。さらにかれはレバノンにある香柏から壁から芽生えるヒソプに至るまでも、木について語り、また獣と鳥、這うものと魚についても語った。それゆえ凡ての民の中でソロモンの知恵を聞くために来た者があり、かれの知恵を聞いた地の凡ての王たちからも来た者がいた(列王記上4・30)。

 

 また同書にシバの女王について述べられていることからも明らかである―

 

 彼女は困難な問いでかれを試すためにきた。ソロモンは彼女にその問いについて凡て語り、王からかくれて彼女に言えないものは何一つなかった(列王記上10・1、3)。

 

 

 

天界の秘義5224[3]

 

こうした理解の明確でない状態は古代人の間には決して存在しなかったのである。内的な事柄を涵養し、かくして理解のみでなく意志の能力を完全なものにし、そのことにより霊魂の幸福に備えることがかれらの知恵であったのである。古代人はこうした事柄に注意を払ったことは今でも存在しているかれらの文書から明らかであり、また凡ての者がソロモンに聞こうと願ったことからも明らかである―

 

 それゆえソロモンの知恵を聞こうとして凡ての民から来た者がおり、地の凡ゆる王からも来た者がいた、かれらはその知恵を聞いたからである(列王記上4・34)。

 

 それゆえシバの女王も来て、彼女はソロモンの知恵を聞いて心に覚えた幸いから以下のように言ったのである―

 

 何と祝福されたことでしょう、あなたの家来たちは。何と祝福されていることでしょう、これらのあなたの僕たちは。かれらは絶えずあなたの前に立って、あなたの知恵を聞いています(列王記上10・8)。

 

 

 

 

2.ダビデは来り給う主を、ソロモンはその来り給うた後の主を表象した

 

 

神の摂理245

 

「ソロモンは偶像礼拝を確立することを許された」。

 

これは彼が全世界の種々の凡ての宗教とともに、主の王国、または教会を表象するためであった、なぜならイスラエルとユダの人々の間に建てられた教会は表象的な教会であり、それゆえその教会の凡ゆる審判と教令とは教会の内なるものであるその霊的な物を表象し、民族そのものは教会を表象し、王は主を表象し、ダビデは来り給う主を、ソロモンはその来り給うた後の主を表象したからである。

 

そして主はその語られたように(マタイ28・18)、その人間性の栄化の後、天と地とを統べる権能を持たれたゆえ、主を表象するソロモンは栄光と壮麗を着せられ、知恵では地の凡ての王にまさり、また神殿を建設したのである。さらに、ソロモンは、世界の種々の宗教体系を表象した多くの異国の宗教を許し、また自ら、それらを設けた。彼の七百人の妻と妾とはそれに似た意味を持っていた(列王記上11・3)、なぜなら聖言の妻は教会を意味し、妾は宗教的な確信を意味するから。今や何故ソロモンは主の神的人間性と教会を意味する神殿を建てることを許されたか、何故彼は偶像礼拝を確立し、非常に多くの妻と結婚することを許されたかが明らかであるに相違ない。聖言の多くの所でダビデにより世に来られるはずの主が意味されることは「新エルサレムの主の教義」に見ることが出来よう(43、44)。