神的真理
天界の秘義8241
「エホバとその僕モーセ」。これは神的な善の方面の主と主から発出して仕える神的真理の方面との主を意味していることは以下の事実から明白である、即ち、聖言の『エホバ』により主が意味され(1343、1736、2921、3023、3035、5663、6281、6303、6945、6956番を参照)、実に神的な善〔神の善〕の方面の主が意味され(2586、2769、2807、2822、4402、6905番を参照)、モーセの表象は主から発出している神的な真理〔神の真理〕である(6752、7010、7014、7089、7382番)。『神的な善の方面と神的な真理の方面の』と言われているのは、神的な善は主の中に在り、神的な真理は主から発しているからであり、神的な善が神的な真理に対する関係は太陽の火がそこから発している光に対する関係に似ており、光は太陽の中には無くて、太陽から発しているのである。『僕』の意義は仕える者である。かれが奉仕するところの、かくて仕えるところの『僕』と呼ばれていることについては、7143番を参照されたい、そのため主は世におられた時は、その神的な人間性〔神の人間性〕の方面では、聖言に『僕』と呼ばれ給うているのである、3441番、なぜなら主御自身もまた以下のように言われているように、主はその時仕えられたからである、『たれでもあなたたちの間で偉大なものになりたい者はあなたらに仕える者とならなくてはならない。たれでも最初のものとなりたい者はあなたらの僕とならなくてはならない、まことに人の子も仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのであり、そのようにならなくてはならない』(マタイ20・26−28、マルコ10・43−45)。