願わくは御名の尊まれんことを

 

マリア・ヴァルトルタ/「手記」/渡邊義愛訳/天使館/P114

‘43年7月7日

 

御名の尊まれんことを』。

セラフィムたちと諸天使の全合唱の動きそのものをもって、彼らと共に、彼らと一つになって、永遠者の名を誉め称え、聖人たち聖なる御者への喜ばしい感謝に満ちたふさわしい讃美を繰り返しなさい。あなたたちよりも前に、わたしの子が、最高の崇敬と最高の愛をこめてそれを言った、そのわたしを思いつつそれを繰り返しなさい。喜ぶ時も苦しむ時も、光の中にある時も闇の中にある時も、平和の時にもそれを繰り返しなさい。どんな時も、いかなる出来事においても、のことを露疑わず、『あなたの御名は祝されよ』と、彼に言うことを知る子らは幸いである!

 

 

主の祈り/マリア・ヴァルトルタの「手記」より/天使館

1943年7月7日

 

願わくは御名の尊まれんことを

 

 熾天使(セラフィム)たちと、天使たちすべての合唱に合わせて、共に神の御名を誉め称え、至聖なる御者に対して、この喜ばしい感謝にみちた賛美を繰り返しなさい。神の子である私のことを思いながら、この賛美の祈りを繰り返しなさい。私はあなたたちより前に、最高の崇敬と最高の愛をこめて、この賛美の祈りを唱えていたのだ。

 喜びの時も、悲しみの時にも、光の中にあっても、暗(やみ)の中にあっても、平和な時にも、戦争の時にも、この賛美の祈りを繰り返しなさい。

 父なる神を決して疑わない子供らは幸いである。また、どんな時にも、どんな出来事にあっても、「御名の祝されんことを」と御父に祈ることができる子供らは幸いである。

 

 

増補『主の祈り』/マリア・ヴァルトルタの「手記」より/天使館

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音第3巻中/天使館

1945年6月28日        

 

『あなたの御名が尊まれますように』

おお!あらゆる他の名に勝る聖なるまた甘美な名、罪を犯した者の恐怖が、別の一つの名の下にベールで覆うようにとあなたたちに教えた名。いいや、その名アドナイは最早ありません。神です。その超過分な愛によって人類を創造した神です。その時以来、人類は、わたしが準備した洗浄によって清められた唇でその名で呼ぶように。知恵の充満をもってこの理解不能な御者の真の意味を理解することを自分のためにとっておきながら。この方と融け合う時、人類はその最良の子らのうちに、わたしが設立しに来た王国に到達するでしょう。

 

 

天界の秘義2009[]

 

 十戒に―

 

  あなたはあなたの神の御名をみだりに[いたずらに]口に上げてはならない、エホバはその御名をみだりに口に上げる者を咎のない者とはされないからである(出エジプト記20・7、申命記5・11)。

 

 ここに『神の御名をみだりに[いたずらに]口に上げる』ことは御名を意味しているのでなく、神から発しているものをことごとく全般的にもまた個別的にも意味しており、それで神礼拝にぞくしているあらゆるものを全般的にもまた個別的にも意味しており、そのいかようなものも軽蔑してはならないのであり、ましてや冒涜したり、汚れたもので不潔なものとしてはならないことを意味しているのである。主の祈りに―

  

  あなたの御名がきよめられますように、あなたの王国[御国]が来ますように、あなたの後意志[みこころ]が、天におけるように、地にも行われますように(ルカ11・2)。

 

 ここにもまた『御名』により御名が意味されているのではなく、愛と信仰とのあらゆる事柄が意味されているのである、なぜならこれらは神または主のものであって、主から発しており、そしてこれらのものは聖いものであるため、それらがそのようなものとして考えられるとき、主の王国は来て、その御意志は天界におけるように地にも行われるからである。

 

 

天界の秘義2724

 

 しかし『神の名』により礼拝のあらゆるものが、すなわち神が拝せられる源泉である愛と信仰のあらゆるものが意味されているため、それで主の祈りにおける『あなたの御名が崇められますように』という言葉に意味されていることが明白であり(マタイ6.9)、

 

 

天界の秘義6887〔3〕

 

 モーセの書には―

 

 見よ、わたしはあなたの前に一人の天使を遣わして、あなたをその道で守り、わたしの備えた所へあなたを連れて来よう。その顔に注意し、その声に聞きなさい、かれはあなたの咎を忍びはしないからである。わたしの名はかれの真中に在るからである(出エジプト記23・20、21)。

 

『エホバの天使』によりここでは神的な人間的なものの方面の主が意味されていることについては6831番を参照されたい。神的な人間的なものは神的なものそれ自身の性質であるため、それで『エホバの名はかれの真中にある』と言われているのである。主の祈りの中でもまた、

 

天にいます私たちの父よ、あなたの御名が崇められますように、

 

により神的な人間的なものの方面の主が意味され、また主を拝する手段である凡てのものの一つの総合体が意味されているのである。

 

 

 

神の摂理230

 

 聖い物の冒涜は十誡の第二の誡命の『あなたはみだりにあなたの神の御名を語ってはならない』の語により意味され、冒涜してはならないことは、主の祈りの『あなたの御名が崇められますように』の言葉により意味されている。