主のご受難についての黙想
ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/1巻P30
このようにイエスに勇気づけられた私は、主のご受難について黙想しはじめました。それは私の霊魂に非常な善をもたらしましたので、間違いなく私は全ての善はこのお恵みと愛の源泉から来た、と申すことができると思います。それからというもの、イエスのご受難は、ひしひしと同情を感じる私の心と魂の中だけでなく、そのおかげで私の身体全体もその高揚にとらえられ、ご受難そのものの痛ましい効果を感じるほどになったのです。私は自分が広大な光の海の中のようなもののうちに浸され、その燃えるような光線が、私のために多く苦しまれたイエスの愛をもって、私のうちに入り込んでくるのでした。そしてあの限りない光線のかずかずが、イエスが私への愛のために忍んで下さったその愛、従順、謙遜、忍耐などをはっきりと私に理解させてくれましたので、私は自分がまったく主とは似ても似つかぬ者であることを知っているため、すっかりへりくだったままでおりました。私のほうに押し寄せてくるあの光線は、私にとっては、黙って私に語りかける多くの叱責でした。そして私に「これほど忍耐強い神であるのに、おまえは? ・・・敵にさえ従われたこんなに謙遜な神だが、おまえは? 完全な愛である神はおまえのためにたくさん苦しまれているというのに、主への愛のためのおまえの苦しみはどこか?・・・」などと言っているようでした。