主は祈られる
1.スウェーデンボルグ
2.マリア・ワルトルタ
3.ヴァッスーラ
マルコ1・35
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所に出て行き、そこで祈っておられた。
1.スウェーデンボルグ
天界の秘義2535
祈りはそれ自身において観察されるなら、神と語ることであり、そのとき祈りの事柄を内的に観察することであって、それに対し心の中へまたは思考へ注がれる流入のようなものが答えられ、それで神に向かって人間の内部が或る程度開かれるが、しかしそれは人間の状態に従っており、また祈りの主題の本質にも従って相違しているのである。もしその人間が愛と信仰から祈り、ただ天界的な霊的なもののためにのみ祈るなら、そのときその祈りの中に希望、慰安、または或る内的な喜びにかかわる啓示のようなものが生じて、その啓示は祈っている者の情愛の中に明らかに示されるのである。「祈る」ことがその内意では啓示されることを意味しているのはこのことから来ている。それは祈ることが主を意味している予言者について言われているここでは尚更のことであって、主の祈りは神的なものとの内なる談話であり、また同時に啓示である。啓示があったことはルカ伝に明白である―
「イエスが洗礼を受けて祈られた時、天が開くようになった」(ルカ3.21)。
同書に―
「かれがペテロとヤコブとヨハネを連れて、祈るために山にのぼられるようになった。かれが祈られていると、その御顔のようすが変わり、その衣服は白く輝くようになった」(ルカ9・28,29)。
ヨハネ伝には―
「かれが祈られて、父よ、あなたの御名を栄化してください[御名に栄えあらしめたまえ]、と言われたとき、天界から声が聞こえた。わたしは栄化してきた、さらに栄化しよう[わたしは栄えあらしめたが、さらに栄えあらしめよう]」(ヨハネ12・27,28)。
ここに主が「祈られたこと」は神的なものと話されたことであり、また同時に啓示でもあったことが明白である。
天界の秘義2580
「アブラハムは神に祈った」。これは啓示を意味していることは以下から明白である。すなわち、『祈ること』が主について述べられているときは、その意義は啓示されることであり、アブラハムの表象は主であり、そのことは前にしばしば示したところである。ここには文字の意義では二人の者がおられ、すなわち、祈った方と祈られた方がおられる、なぜなら『アブラハムは神に祈った』と言われているからである。しかし内意では二人はおられないで、一人しかおられないのである。なぜなら主はエホバからみごもられたもうため、啓示を与えられたものは主における神またはエホバであられたからである。それでも主は母から来た人間的なものにぞくしたものを持たれるに正比例して、他の者であられたのである。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P195
「私が何を望んでいるか?おまえのために人間になったことが無駄であったと言わなくていいようにとだけ望んでいる。しかし、おまえはもう他の父を持っている。他の国の者で、他のことばを話している・・・ああ、我が父よ、あなたの子、私の兄弟であるこの男によって、神殿がこれ以上汚されないようにするには、どうすればよいのでしょうか?」
イエズスは御父に向かって、顔色は青ざめ、涙とともに祈る。
マリア・ワルトルタ/受難の前日/P167
「ユダ、どんなことでも最後の瞬間まで変えることができる。私に人間として最後の涙を流させるのですか・・・ユダ、友よ、考え直してくれ。天は私の祈りを聞いておられる。それなのにあなたは・・・私の祈りを無駄にしたいのですか。あなたのために祈っているこの私が何者か、よく考えなさい。イスラエルのメシア、御父の子です。ユダ、私の言うことを聞きなさい、わずかでもまだ時があるうちに・・・」
「いやです、聞きたくありません!」
イエズスは顔を覆い、草原の端に膝を折って、かすかに肩を震わせ、声もなく泣く。
(中略)
『私をゆるしてください。それだけを望みます』とさえ言えばよい。そう言えば、私はあなたを救い上げよう」
イエズスは立ち上がって、両腕でユダを抱く。神なるイエズスの涙はユダの毛髪の中に散ったが、それでもユダには、その言葉が言えない。口は閉ざされたままである。
3.ヴァッスーラ
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P53
‘89・11・29
(再び一晩中、聖霊が私のために絶え間なく祈っておられるのが聞こえました。そしてついに朝早く、この祈りをくり返すようにと聖霊は頼まれました:”Pere
aide mor, carTa Puissance est Amour”。フランス語で与えられましたが、このような意味です:「御父よ、お助け下さい、あなたの力は愛だからです。」)
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P21
‘90・11・11
娘よ、神のうちに生きるのがどんなに素晴らしいかを知ったなら 霊魂たちは誰も そう簡単には失われないであろう。 ユダのように自ら進んで 失われてしまわない限り。 彼は滅びへの道を選んだ、私から一歩ずつ離れて行くのを見ていて 我が心は悲嘆のあまり溶けだした。 彼のためにどれほど祈ったか。 そして彼のためにどれほど目を泣きはらしたか。 あれほど多くの小道を開いて、どの道も私に通じていたのだが、その道が彼のために用意されたと分かるや 歩み始めた道を抜け出してしまった、私の王国が この世の栄光をともなう地上の王国でないと気づき、彼の神 私に対する、悪口を心につのらせ、罪の上に反逆の心を加えたからだった。 彼は心を閉ざし 絆を断ち切り すぐさま私をうとんじるようになった。 正義か否かにたいする感覚は 闇のうちに閉ざされ まわりの世界を支配する者に従った。
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/6巻P137
‘92・9・14
イエス?
私です。 あなたのためにどれほど 御父に祈ったか知らないであろう、御母も勿論そうされたが! この世の犯罪を前に 私の目は日々涙が溢れてくる・・・寛大な霊魂たちを探し求めて 目は疲れ果てた ♡ 私は心が悩み 全身痛みでうち震え そのすえ我が杯が溢れ出さないかと この時代の罪を見下ろすのさえ差し控えるに至った。 私は新しい愛の讃歌(*)をつくって あなた方にうたって聞かせ 天からどの心にも届いて救い上げ 一人ひとりに抱く永遠の愛を呼び覚まそうとしている。
*これらのメッセ―ジ