主は真理の中におられる

 

 

 

天界と地獄350

 

 真理と善とのために真理と善とを愛して者は凡て天界に受け入れられ、それゆえ賢明な者と呼ばれる者は多く愛した者であるが、単純な者と呼ばれる者は僅かしか愛さなかった者である。天界では賢明な者は多くの光の中にいるが、しかし単純な者はそれほど光の中にはおらず、各々善と真理とに対するその愛の度に従っている。真理と善とのために真理と善とを愛することはそれを意志真理と善〔欲し〕、行うことである。なぜなら意志し、行う者は愛するが、しかし意志もしないし、行いもしない者は愛さないからである。善と真理とは主から発しているため、これらの者はまた主を愛し、主から愛される者である、そして善と真理とは主から発しているため、主もまた善と真理との中におられ、従って主はまた、善と真理とをその生命〔生活〕の中に意志し、行うことにより受け入れられる者たちのもとにおられる。人間もまた、その人間自身において観察される時は、その人間自身の善と真理以外の何ものでもない、なぜなら善は彼の意志に、真理は彼の理解に属しているからである、そこから、人間は、その意志が善から形作られ、その理解が真理から形作られるに応じて、主から愛されることが明らかである。愛は相互的なものであるため、主から愛されることはまた主を愛することである、なぜなら愛される者に主は愛することを与えられるからである。