主が引用される手紙類

 

 

1.主が引用される手紙類

2.ヨブ記

3.スウェーデンボルグが引用する手紙類

 

 

1.主が引用される手紙類

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P252

 

弟子―主よ、信じる者たちの体験する慰めと歓びは、思考と観念の所産にすぎないという者たちがいます。それは真実でしょうか。

 

キリスト―1.信じる人々が内にもつあの慰めと絶えざる平和は、彼らの心に住むわたしと、聖霊の満ち満ちた影響力とによるものである。このような霊的歓びが心の想いの産物にすぎぬという者たちは、物事の本質に目をつぶり、見ようともしない。彼は冬になる度、暖をとろうと日向に出て坐る習慣があった。あるとき、太陽の熱についてどう思うかと尋ねられたとき、彼は太陽のごときものなど有りはしないと、断固否定してこういった。「自分が今外で感じているこの熱は自分の体から発するもので、強力な思念の力以外の何ものでもない。空に巨大な火の塊がぶら下がっているなどというのは愚の骨頂だ」。そのように、「人のいい伝えとこの世の幼さによる、空しい騙し事の哲学に」とらわれないよう注意せよ(コロサイ2・8)。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P232

‘88.6・2

 

我が聖心のヴァッスーラ、あなたは耳に私が囁くのを聞いた、あなたの時代の終わりの日々について預言されているすべてを、テモテ一書と二書で示したいと思う、我が被造物は堕落し ソドムの人びと以上に低くまで落ちてしまった、暗やみがサタンから送られ、死のヴェールように覆った。サタンは今日、哲学者のように見える多くの偽教師や偽預言者を送りあなたの主である私からでない教理(ドグマ)を教えている、そして私の子どもたちは無知によって眼を覆われ、サタンが仕掛けた罠に陥っている、テモテ書のこの部分を 警告として公に読んでもらいたい、一テモテ4・1−16、6・20−21、二テモテ 2・14−26、これらの預言は特にあなた方の時代のために成されたものだ ♡ それから二テモテ3・1−17ではあなたの時代に、今見受けられるような状態を予見する、今は時の終わりを迎える最後の日々だからだ ♡

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P235

‘88・6・4

 

主よ?

私です、決して失望はさせない、教会の中にある混乱についてさらに教える、私の声を聞くように努力しなさい、そして聖なるロザリオを祈って私を喜ばせなさい、奥義を感じ、あなたの聖なる母の目を通してそれらを見るように、あなたの時代が理性で片づけようとする奥義を ♡ 娘よ、彼らは未だに分からないでいるが 私は子どものように、純心で、幼子の−ような−信仰を持つのを望んでいる ♡ 我が教会には、富と栄光のうちに、多くの霊魂、全ての民を養う、奥義を豊かに与えてきたが、あなた方の多くはそれらの神秘を受け入れない、今日の我が民は謙遜、素朴さを欠いている、純粋な信仰もなく、あなたのこの時代はすべてを理性で片づけようとしている、私の奥義でさえも!!(*) 彼らの神である私の覆いを取り除くことができるなどと どうして彼らは信じられようか? 私の奥義を理性で説明しようとして。 この者たちは 娘よ 種蒔きと烏のたとえ話で教えようとしていた「烏」のことだ(ノート24:57−59頁、‘88・5・16)。信仰を失ったこれらの烏は 人間の知性に合う独自の理論を打ち立てようとして、メディアを喜ばせようとする、しかし、実は、私にたいする信仰を失ってしまったのだ ♡ 私の奥義は純粋さを保ったまま 変えてはならない ♡ これらの「烏」は我が教会に誤りを持ち込み、真理と、みことば、たとえ話による豊かな収穫を、腐敗させた。 みことばと我が奥義は最終的で変更すべきでない ♡ 教会は今日暗やみと混沌の中にあり、これが私の聖所に侵入した異端であり、多くの司祭たちを誤謬に導いている ♡ 聖霊は諸教会に呼びかけ語っている: 偽りに反論し、誤りを正し、従順を命じなさい、しかしすべてを忍耐と、教える目的で行いなさい(**)、時が到来した。 健全な教えに満足するかわりに、人びとは最新の 目新しいものに貪欲となり自身の好みに合う教師の一団を周囲に集め、真理に耳を傾けるかわりに、神話(***)のほうを向く ♡♡ 教えてほしい ヴァッスーラ、聖書は切り離し ばらばらにすることができようか?

 *神はあっけにとられたご様子でした(私たちの愚かさに対し)

 **二・テモテ4・3(イエスは、聖書を開いてこれらのページを書くように頼まれました。)

 ***二・テモテ4・3−5

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P14

‘88・8・20

 

♡ ヴァッスーラ、サタンは死に物狂いで あなた方を混乱させて 互いに敵対するように 皆をしむけている、そのやり方に気づきなさい。 皆を 混乱させようとしているのだ。 私のわざが多くの人を救うのを知っているため それと戦って 妨害したがっている、私はいつもそばにいる、使徒行録二章を読みなさい、我が霊は 上から多くの者に与えられている、しかしいつものように、それを笑い飛ばしてしまう者がいる、その神秘が説明できないために。 繰り返し述べてきたが、人類すべてに我が霊を注ぐ あなた方は預言し、若者は幻視を見る(*) 老いた者は夢見、最も小さな者(**)にも我が霊を注ぐ、天には予兆を 下界の地にはしるしを現す、被造物よ! この預言を真に理解しているか?知恵の御わざを信じない我が教師たちには厳かに求める、譬えの隠れた意味を探し求め 先祖たちの全ての知恵を 探求するようにと、我が名の偉大さを理解するようになるために 願って 理解に霊に満たされなさい。 サタンの罠に警戒するように、その悪意を警告してきた、我が子よ、私 主は限りなくあなたを愛し 決して失われてほしくはない、

   私たちの時代で幻視を見るのは子どもたちです:メジュゴリエ、ファチマ、ガラバンダルなど。

   *たとえば、無に等しい私に。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P60

‘89・12・6

 

♡ ああ 我が子よ! あなたの世代に謙遜が欠けているため わずかな人しか私の声を聞かないであろう。 弱い器を通して我が子たちに近づくたびに、私自身の者たち、私自身の者たちの多くは、我が声を覆い隠してしまう。 娘よ 彼らの賢明さは不賢明となっている 私の神的わざの果実を認めないで 信じようとしないために。 しかし以前にも言ったように、彼らは私の羊でないために信じない、私の羊は我が声を聴く、私は彼らを知っており 彼らも私を知っていて後について来る。 そこで彼らの場合これらの預言が成就している: 「終わりの時に、宗教を嘲る者たちが現れて、不信仰な欲望のままに生活するであろう。 彼らは分派を作り、この世のいのちだけに生き、霊を持たない者たちです(*)。♡」そして「あなたが生きているというのは名ばかりで、じつは死んでいる。」言っておくが、「目を覚ましなさい」「残りの者と力づけなさい:死にかけている。」彼らは死んでいるだけでなく倒れた今 天からのパンを我が子どもたちが食べるのを 阻止したがってもいる、私が彼らを治めているとも 望む者に我が恵みの霊を注いで人類の中の最も低い者を高く揚げるということも忘れている。 極悪のさ中 彼らは私を前にして戸を閉ざした。 この世代からすべての希望(のぞみ)を一掃し 我が天使たちを憤慨させる、ファリサイ派の人たちが私を地上であしらったと同じように 恵みの聖霊をあしらっている。 我がヴァッスーラ、我が霊魂に愛された者よ、勇気を出しなさい、教えてあげよう: 私の平和と愛の十字架を分かち合うように あなた方皆を(**)私の道筋においた。 

   ユダ書1・18−19

   *何らかの方法でこのメッセージをひろめることに加わっているすべての人びと。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P248

‘90・10・10

 

聞きなさい、まこと愛する人びとよ。 聖書に書かれてある: 「十字架の教えは、滅びてしまう者にとっては馬鹿らしいことですが、救いの道を歩いている私どもにとっては神の力です(*)」私が教えに訪れたのはこの言語です、我が学舎で耳にするのは この愛の言語です、そしてあなた方、喜んで学ぼうとするあなた方は、祝福を受け、強く 幸せでいなさい。妨害はきっとやって来ようが、怖れないで、私に頼っていなさい。 しかしそれを置く者たちは災いです、裁きの日には私に答えなければならなくなろう!

 *1コリント書1・18

 

 

2.ヨブ記

 

マリア・ヴァルトルタ/天使館第4巻上P141

 

 わたしはあなたたちに、ヨブの、あるいは真理の探究者たちの言葉を言います。『獣に尋ねるがよい、教えてくれよう。空の鳥もまたお前に告げてくれるだろう。地を這うものに語りかけてみよ。教えてくれるだろう。海の魚もまたお前に告げてくれるだろう』と。

 

 

3.スウェーデンボルグが引用する手紙類

 

真の基督教675

 

「イエス・キリストに在りては割礼を受くるも割礼を受けぬも益なく、ただ愛によりてはたらく信仰と新たに造らるることのみ益あり」(ガラテヤ5・6。6・15)

 

 

真の基督教683

 

 現実性の無い名前は反響、夢見る者の声、または風、海あるいは機械の騒音の如く空しい音響である。称号はそれに結び附けられている職能を伴わないならば虚栄に過ぎない。野蛮人のように生活し、基督の律法を破る基督教徒は洗礼の際、金糸を以てキリストの御名が織り込まれたその御旗の下に、自らを置かないで、悪魔の旗の下に置くものである。基督の印を受けた後、その礼拝を嘲り、その名を愚弄し、彼を神の子として認めず、ヨセフの子と認める者達は、反逆者であり、弑逆者であり、その言葉はこの世でも、また次の世でも赦されることの出来ない聖霊に対する冒瀆である。彼らは聖言に噛みつき、これを千々に引裂く犬のような者である。これらの者はイザヤ書(28・8)およびエレミア記(48・26)に従えば、その凡ての食卓は嘔吐と汚穢に満たされている者である。しかし主イエス・キリストは至高なる神の子にて在し(ルカ1・32、35)、独子にて在し(ヨハネ1・18、3・16)、真の神にして永遠の生命にて在し(ヨハネ第一書5・20)、その中には神性の完全性は尽く身体を成して宿り(コロサイ2・9)、ヨセフの子ではないのである(マタイ1・25)。

 

 

真のキリスト教687

 

洗礼を受けた者、即ち、再生した者は、「創造されし者」(マルコ16・15.ロマ8・19−21)および「新に創造られし者」(コリント後5・17.ガラテヤ6・15)によって意味されている。何故なら、創造られし者という言葉は、再生を意味する創造から由来しているからである(「黙示録の啓示」254番)。