聖母

 

 

1.主の母性                                                                     

2.聖母は主の中に神を見ていた

3.聖母は聖櫃のそばに現存される 

4.聖母被昇天          

5.なぜ主はマリアを焼き尽くすことがなかったのか

6.月              

7.女王                        

8.聖母の勝利  

9.主は聖母を尊んでおられる 

10.聖母の謙遜

11.使徒の先頭に立つもの

12.上智の母

13.あがないの協力者・教会の母

14.聖母は主へ導く

15.私と一緒なら

16.聖母のご出現

17.すべての女に勝って偉大

18.彼女に来る者は主を見つける

19.星

20.女のすえ

21.聖母は私たちを正しい道に導いてくださる

22.メモラレ

23.主は聖母を喜びおどって叫ばれる

24.主は聖母に何を教えなかったことがあろうか?

25.苦さ

26.聖母のスケッチ

27.世界はいまだに彼女によって救いを得る

28.聖母の準備期間

29.理解できても言葉で言い表せない

30.イエスが再び地上を支配するために来られるのも、聖母マリアを介してです

 

 

 

1.主の母性

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P115

 

そう、これこそ一人の女性にとっての真の母性である。何も願わずに自身を与えること、見返りを何も期待することなく救うこと、ちょうど母親が自分の子供たちにするように! ああわが娘よ、あなたの父親であり母親であるのは私である。だから私から召された人々も私のようでなくてはならない!

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/2巻下P79

 

 神様は常に手を差し延べておられ、そのみ心は常に注意深く、またあれこれと世話をやいてくださるお母さまでもあられ、永遠の存在、とご自分を呼ばせることにふさわしい唯一の方でいらっしゃいます。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P80

 

それは、神の事とその表現のすべては聖なるものであり、また人間を聖なる者とするので、まことの父であると同時にまことの母であられる至高の聖性に人を参加させることになるのである!

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/5巻P67

 

あなたにとって私は 母のよう、子どもの心配をする神経質過ぎる母のように 護る者、私はいる(I am)のです。

 

 

 

2.聖母は主の中に神を見ていた

 

 

聖母から司祭へ87.8.21

 

わたしは、地上で生活していたとき、イエズスのうちに神をみていました。神がこわれやすい弱い人性のヴェールにかくれておられたにしても、時間のうちに人間的な成長の規準に従って、その人性は、しだいに成長していったのです。

 

 

 

3.聖母は聖櫃のそばに現存される

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P89

 

私の母は、あらゆるミサ聖祭の犠牲が捧げられるとき、全ての司祭のそばに実在している。司祭たちは、母の胎内の中にいる子どものように私の母から守られ、この聖なる洗礼盤の中で支えられている。

 

 

 

4.聖母被昇天

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/3巻上P188

 

ゲッセマニからもっと上のところで起こりました。そこから天使たちが、私の処女のからだを取り、天の栄光へと上げたのです。(中略)

清さ、寛大、愛において非常に私のおん子イエズス似通っていたヨハネは見ました。そう望まれたのは神様のご意志でした。それは、いつも忠実な僕として留まった彼への報酬でした。

 

 

 

5.なぜ主はマリアを焼き尽くすことがなかったのか

 

 

スウェーデンボルグ/新エルサレム304

 

神的なもの[神性]が主の人間的なもの[人間性]の中に受胎のときから存在されなかったら、その人間性は、神性それ自体がその中に存在している無限の愛の灼熱のために、神性それ自身に結合することは出来なかったであろう(6849番)。それでいかような天使も神性それ自身には遠方からでない限り、またヴェールをかけられない限り、決して結合することは出来ない。もしそうでないなら、彼は焼き尽くされるであろう(6849番)。神的愛はこうした性質を持っている(8644番)。ここから主の人間性は他の人間の人間性のようなものではなかったことが明らかとなるであろう(10125,10826番)。

 

 

 

スウェーデンボルグ/真の基督教135

 

父なる神には何人も決して近づく事は出来ず、また彼は無限であり、エホバなる彼自身の存在の中に住み給う故、自ら如何なる人間の許にも来たり給うことは出来ません。若し彼が自らの存在のまま人間に近付き給うならば、丁度火が木を焼き尽くしてこれを灰とするように、人間を焼き尽くしてしまうでしょう。このことは彼が彼を見ようと願ったモーセに語り給うた所によって、すなわち何人も彼を見て生くることができない(出エジプト33・20)という言葉によって明らかであります。そして主は父の懐にいます子を除いては何人も未だかつて神を見たことが無く(ヨハネ1・18、マタイ11・27)、また何人も父の御声を聞いたこともなく、その御形を見たこともない(ヨハネ5・37)と語っておられます。モーセはエホバを顔と顔とを合わせて眺め、顔と顔とを合わせて彼と話を交わしたと実際言われていますが、しかしこれはアブラハムやギデオンの場合と同じく、天使を通して見たのであります。しかも、父なる神は彼自らにおいてはこの様な性質をもち給う故、人間性を取り、この人間性によって人間を彼自らに受け入れ、かくして人間と語ることを欲し給いました。神の子と呼ばれ、調停し、執成し、宥め、償う所のものはこの人間性であります。それ故、私は父なる神の人間性について用いられたこの四つの言辞の意義を説明しましょう。

 

 

 

ベルナルド/聖母の歌手/P133

 

そのような理由から、天使はマリアに「聖霊が、あなたの上に、“更に”臨み、いと高き者の力が、あなたを覆います」と言ったのです。「いと高き者の力が、あなたを覆います」とは、どんな意味なのでしょうか。それは知る人ぞ知るのです。いと高き者の力で、自分が覆われるということを、自分の体で、じかに体験するという大きな恵みをいただいたマリアだけが、そのことを知っているのです。すなわち、御言葉の受肉の際、だれも近づくことのできない光[御言葉]が、どのようにして、おとめマリアの清いご胎の中に忍び込んだのか、どのようにしておとめマリアは、この永遠の光[御言葉]との接触に耐えることができたのか、また、おとめマリアがそれに耐えることができるようにと、聖霊はどのようにマリアの体の一部分を取って、それをご自分に一致させ、こうして御言葉の肉体を造り、それを生きるものとしたのか、更にどのようにして、マリアの体の他の部分を、ご自分の力で、ちょうど影のように、ベールのように、覆い隠したのか ― このような幽玄な神秘の過程を、自分の知性で理解し、識別できる者は、それをじかに自分の体で受け止めたマリア意外にはだれもいません。

「いと高き者の力が、あなたを覆いましょう」と天使はマリアに言います。

 これから行われようとしている御言葉の受肉の神秘は、聖なる三位一体の神が、ただマリアと二人きりで、ただマリアのうちでだけ行いたいのです。だから、それを理解できる者はただ、その過程を自分の身で、じかに体験する者、すなわち、マリアだけである、ということを天使はマリアに納得させたいのです。

「聖霊が、あなたの上に、更に臨みます」と、天使はマリアに言います。天使はこう言いたいのです。 ― ああ、おとめマリアよ、聖霊の全能の力によってこそ、あなたは身ごもるのです。“いと高き者の力が、あなたを覆いましょう”と、わたしは申しました。その意味は、聖霊の働きによって、あなたが身ごもるそのマナーは、キリストという名の神の力、神の知恵によって、受肉の神秘の濃い影の中に、秘密のベールで深く覆い隠されているのです。そのため、御言葉のこの受肉の神秘はただ、キリストとあなただけが知ることができるのです。

 つまり、天使はマリアに、こう答えたいのでしょう。 ― おとめマリアよ、どうしてあなたはわたしに、ご自分がまもなく体験しようとしておいでになることを、お尋ねになるのですか。まもなくあなたは、受肉の神秘のマナーを知ることになるのです。まもなくそれが理解できる幸せに巡り会うのです。受肉の神秘がどのように行われるかは、それをまさに行おうとしておられる方が、あなたに教えてくださるのです。わたしですか、わたしはただあなたに、処女懐胎を告げ知らせる使命しかいただいておりません。あなたの処女懐胎を実現する使命はいただいておりません。処女懐胎に関しては、それを実現してくださる方だけが、あなたに実現のマナーを教えることがおできになるのです。また、それが、ご自分の身に実現されるあなただけが、それを教わる資格があるのです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P88

 

 神の幻視の日が近づいてくるように聖マリアは思いました。見えない火に焼かれましたが、ただ照らされているだけでした。天使たちに尋ねました、「私の友だち、教えて下さい。今、夜の何時ですか? 全てを照らし、生かす正義の太陽はいつ上りますか? 」 天使は答えました、「いと高き御方の浄配、汝の望む光と真理は近くに来ています。」この時、天使たちの姿が見えました。以前のように視覚に頼らず見えます。天使たちは聖マリアに光を当てました。光は以前、仕事や不安で興奮していた聖マリアの心を鎮めるためでした。新しい恩恵により、この天の元后の能力は更に高められました。その時、神は御姿を現わしました。このイメージは直感的ではなく抽象的で鮮明でした。聖マリアは愛すべき御方の腕に抱かれ(雅歌8・5)、高みを目指す鷲が元気を得たように、神の侵すべからざる神の領域に飛び立ち、全人類の到達し得ない高見に達しました。この幻視により、聖マリアは神の奥義を知り、神に告白し、神を礼拝しました。神を知れば知るほど、聖マリアはもっと謙遜になりました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P96

 

結婚してから御言葉の御受肉までの六ヶ月間と十七日の間、聖マリアの愛徳、謙遜と信心や施しの忙しい生活は、いと高き御方の御目に叶ったのです。人間の言葉で表現すると、神は大喜びで、聖マリアに駆け寄り、両手を差し出し、世界開びゃく以来の最大の奇蹟を行なうことになります。すなわち、御父の御独り子がこの婦人の汚れなき胎の中で受肉されるという奇蹟です。そのため、その前九日間、神は聖マリアに準備させました。神の川が激流となってこの神の国の中に流れ込みました。私はこの奇蹟を目の当たりにして、人間には到底書き表せないと考えます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P118

 

 聖マリアはいと高き御方の命令に従い、以前の習慣の通り真夜中に起き上がり、神の神秘を何時間も黙想しました。眠る時間もとり、自分の体調に合わせました。仕事と休息を続けながら、新しい恩恵、啓示、高揚や愛を主から受けました。この三か月間、神の幻視を何回も見ました。降臨により人性と一致した御言葉の幻視が一番多くありました。聖マリアに示された秘儀により、この高揚された貴婦人の霊魂は広大にふくらみました。主の御力によって強くならなければ、愛の激しさのため、何回も聖マリアは燃え尽き果てたかもしれません。

 

 

 

6.月

 

 

グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/85/P107

 

マリアは、太陽ではありません―その先があまり強すぎて、わたしたちの弱い眼を眩惑させる太陽ではありません。マリアは、月です。美しくやわらかい光を、おだやかに地上にそそぐ月です。マリアはキリストという名の太陽から強烈な光を受けてそれをご自分において、わたしたちの弱い眼にかなうように調整してくださる月です。マリアはたいへん、いつくしみ深いかたです。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P125

 

聖母:私の役目は、小さな子よ、あなたを神聖なおん子のところへ連れてゆくことですが、もはや主はあなたの中におられます。私の出現は二次的なことです。私はいつも上からあなたを眺めて守っています。

 

 

 

7.女王

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩上P135

 

私は天の女王ですが、あなたの母でもあります・・・

 

 

 

8.聖母の勝利

 

 

聖母から司祭へ1995.10.7

 

わたしの勝利は、わたしの子らみなの心の中で、起こります。この子らはわたしの汚れなき心に奉献し、わたしから幼子のように養育されるまま、導かれるままにしています。

わたしはこの子らの心を純粋な愛に開かせ、あらゆる形のエゴイズム、憎しみ、暴力に勝利を収めて、神の愛の芳しい香りをいたるところに放つことができるのです。

―わたしの勝利は、わたしの助けをえて、あらゆる形の罪と戦い、これに打ち勝つ人々のものとなります。

 

 

 

9.主は聖母を尊んでおられる

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/1巻P362

 

ヴァッスーラ:イエス?

主:私です、

ヴァッスーラ:イエス、私は聖母に対して言われたすべての侮辱を贖いたいと思います。あなたの被造物たちから聖母に対してなされた侮辱の言葉を聞くに耐えないのです。特にあなたに仕える者たちからの。私は死んでも聖母をお守りしたいのです。

主:ヴァッスーラ 愛がそれらの侮辱を聞くに忍びず いかに苦しんでいるかを分らせてあげよう。

ヴァッスーラ 私 主は 御母を尊んでいることが知られるように、御母を侮辱する人たちは 御母が天の元后であり、私 主が御母の頭に、十二の星からなる冠をおいたことを知るように。 御母は治めておられる、愛する者よ そしてこれもみことばの中に書かれてあることです。 私は御母を尊んでいる そして私と同じようにあなた方も御母を尊ぶべきです。 愛している、御母も私もともに あなたを祝福する。

 

ヴァッスーラ:主よ、主任司祭は御母を私たちの聖なる母として否定したのです。そして私たちが御母を尊ぶべきだということを、それで、あなたがそれを十字架の上からおっしゃったとお伝えすると、この司祭は言いました。それはヨハネにたいしてだけおっしゃったので、聖書のどこにも御母は私たちの母親でもあることは書かれてないと。それに、私たちが御母の子どもだとも書いてないと言われます。

 

主:しかし もう一度言う 娘よ、私の母は本当にあなたの母でもある、あなた方は御母の子どもたち、それはみことばの中に書かれてあり 私はそれを知らない人たちのために繰り返し言う、聖書に書かれてある、

ヴァッスーラ:どこですか 主よ?

 

主:黙示録の中で、サタンが私の母を追うのに失敗したとき、非常に怒ってほかの彼女の子どもたちに対して戦いをいどんだと、すなわち、十戒を守り、私の証をする人たちすべてに対して。

ヴァッスーラ:ありがとうございます。主イエスよ、お助けくださって。

主:ヴァッスーラ 言ってあるが、あなたの前に私はいつもいる。

 

 

 

10.聖母の謙遜

 

 

マリア・ワルトルタ29・10/天使館1巻P240

 

わたしは、神が私に知らせようとなさったことのみを一途に知ろうとし、自分自身に、あるいは神に対して、自分に言われたこと以外何一つ尋ねず、暴飲暴食、知識欲、所有欲に打ち勝ちました。何やかやと詮索せずに、わたしは信じました。わたしが快楽の暴飲暴食に打ち勝ったのは、味覚に耽溺することを一切拒否したからです。わたしは自分の肉を足の下に置きました。サタンの道具である肉を、天に上る階段とするために、わたしはサタン諸共踵で踏みつけました。天! それはわたしの目的です。神が在したのはあそこです。わたしの唯一の渇望です。食い意地ではなく、神に祝福される必然の飢えであり、彼はわたしたちが彼に飢え渇くことを望んでおられます。

色欲にわたしは打ち勝ちました。色欲は大食に至る貪婪です。抑制されない悪癖は、より大きな悪癖に導くからです。エバの貪欲は、すでにそれだけでも咎められるべきですが、さらに彼女を色欲へと導きした。一人で満ち足りるだけでは済まなくなりました。自分の犯罪を、計算された強度にまで押し進めようとし、伴侶の色欲の師となりました。わたしは状況を逆転させ、下降するかわりに常に上昇しました。わたしの連れ合いである誠実な男を、下降させる代わりに常に高みへと引き上げ、彼を天使にしました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P84

 

 悪魔なる龍は、聖マリアの勇気と誠実を知り、神の御助けを感じながらも、私たちの至上の隠れた知恵や賢慮について何も知りませんでした。それにも関わらず、誇り高い龍は神の国を攻撃しました。それはダイヤモンドの城壁を蜂の針が突くようなものでした。私たちの王女はあの強い女でした(箴言31・11)。彼女の飾りは堅忍でした(箴言31・25)。置き場は純潔と愛徳でした。汚い高慢な蛇はこの御方に対し、怒り狂い、殺そうとして大軍を率いて死力を尽して攻めましたが、失敗しました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P88

 

 神の幻視の日が近づいてくるように聖マリアは思いました。見えない火に焼かれましたが、ただ照らされているだけでした。天使たちに尋ねました、「私の友だち、教えて下さい。今、夜の何時ですか? 全てを照らし、生かす正義の太陽はいつ上りますか? 」 天使は答えました、「いと高き御方の浄配、汝の望む光と真理は近くに来ています。」この時、天使たちの姿が見えました。以前のように視覚に頼らず見えます。天使たちは聖マリアに光を当てました。光は以前、仕事や不安で興奮していた聖マリアの心を鎮めるためでした。新しい恩恵により、この天の元后の能力は更に高められました。その時、神は御姿を現わしました。このイメージは直感的ではなく抽象的で鮮明でした。聖マリアは愛すべき御方の腕に抱かれ(雅歌8・5)、高みを目指す鷲が元気を得たように、神の侵すべからざる神の領域に飛び立ち、全人類の到達し得ない高見に達しました。この幻視により、聖マリアは神の奥義を知り、神に告白し、神を礼拝しました。神を知れば知るほど、聖マリアはもっと謙遜になりました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P96

 

隣近所の人たちには聖ヨゼフが会っていましたから、聖マリアを知る人は少なく、その中でも少数の人たちが聖マリアと話しました。聖マリアと話せた幸せな人々は、聖マリアの神々しさに満たされ、聖マリアから来る光が自分たちを照らすことを表現しようとしました。聖マリアはそのことに気づいており、そのような光を照らさないように主に願いました。人々から忘れられ、蔑まれることを願いました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P98

 

第一日目の最後に聖マリアも地球の土から造られ、土に戻る人たちと同じ性質があることを教えましたが、聖マリアが土に戻るとは言いませんでした。この深遠な知識を与えられ、無の深い底にまで聖マリアは自分を低め、あらゆる惨めさを背負うアダムの子孫たちよりももっと自分を低めました。聖マリアの心の中に深い溝ができ、この溝が建物の基礎になるのです。この建物は神性が人性に降臨する所になります。神の母の威厳が限りないので、聖マリアの謙遜も相応して限りないことになります。徳の頂上に達しながらも、聖マリアは自分をそれほど遜らせたので、主はお喜びになり、おっしゃいました、「我が浄配なる鳩よ、人類を罪より救うという我が希望は強い。我が救済の降臨の時は待ち遠しい。この希望の成就のため、絶えず我に祈れ。平伏し、汝の熱願を中止するな。御父の御独り子の御受肉を我に願え。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P118

 

 手仕事の間も心の中で主にお願いし続けました。偉大なる女王は、先駆者聖ヨハネの産着や布団を縫いました。母である聖エリザベトは、この幸運を我が子のために謙遜に頼んだのです。聖マリアは驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さに於て聖マリアは誰にも負けませんでした。永遠の御言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリッピ2・6)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。この天の物語は、我々の誇りに対する戒めです。私たちは世間の評判を気遣い、理性をほとんど全部なくします。世間から名誉を受けなくなると、理性を完全に失い、気違いになります。

 

 

 

11.使徒の先頭に立つもの

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P143

 

主がマリアのことを:

「そうです。いまは母も一人の弟子として加わったので、ここまで連れてきたのです。加わったのは最後ですが、忠実な使徒としては先頭に立つものです。わたしが生まれる前にもう私のことを伝道してくれていました・・・」

 

 

 

12.上智の母

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P273

 

ヨハネが幼いヤベに:

「いいえ。こわがらないで。それに、きょう試験があるわけじゃないから。ニ、三日でもお母様と一緒に過ごせば、律法学士よりも深い知識を得られます」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P271

 

「“まことに生きるものとして!!”何と深いことばでしょう」バルトロメオが驚嘆する。

イエズスはほほえんで謙虚に、

「マリアは上智の母でした」と言う。

 

「でした・・・と言われるが、ほんの、三歳ではないですか」

「そうです。でもマリアの懐胎の瞬間から、三位一体の神として、私は母の中に息づいていました」

 

欄外の注釈。“三位一体の神の、いとも清い神殿であったマリアは、上智である神のみことばから離れたことはない”

 

 

 

 

マリア・ワルトルタ41・12/天使館第1巻P369

 

学者たちの女王であるマリアへの教えをもって、学者たちへの教えを終わります。

 

 

 

マリア・ワルトルタ38・8/天使館第1巻P340

 

幼いイエズスがおじのアルファイに:

 

ぼくは言う、『知恵に耳を傾け、彼らの住まいを知恵の住まいの傍らに建てる者は幸せである』。知恵の書が言うように、ぼくの母の友である者は幸いだし、ぼくの愛する者たちが母の友であるのを見てぼくは幸せです。

 

 

 

13.あがないの協力者・教会の母

 

 

聖母から司祭へ1980.7.13

 

私は、私のおん子のあがないのみ業に協力するあなたがたの、完全なもはんとなっています。

私は、イエズスの母です。だからこそ、イエズスのあがないに親密にむすばれたのです。

私のおん子は、あなたがたのために亡くなられるご受難の偉大な苦しみのすべてに、母を完全に結びつけようとお望みになりました。私が、十字架のもとに立ったことじしん、それを示しています。

 

十字架は、イエズスの死刑台となりました。そして、私の汚れなき心の苦しみは、祭壇のようになりました。この祭壇の上にこそ、私のおん子は、おん父に、新しい永遠の契約のいけにえをおささげになったのです。

 

 私は教会の母です。そのためにこそ、あがないの完成に親密に協力するようにと、イエズスにきめられたのです。

 

 あがないの完成は、歴史の流れのなかに実現していきます。

 私がその協力者に召されたのは、この救いを受けられる可能性を、すべての人に与えるためです。

 

 こうして救われる人の数が多ければ、それだけ神的愛の傑作である[救いのみ業]が実現されることになります。

 私の母としての役目は、私の子らがみんな救われるように、あらゆる手段を使って助けることです。そうです、私の役目は、こんにちでも、やはり、わたしのおん子イエズスのあがないにひじょうに独特な方法で協力することです。やがて、まことの母としての、またあがないの協力者としての、私の役目は、すべての人に明らかになるでしょう。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩下P346

 

イエズス:「母は、私と同じ贖い主ですから知っています。母を見て、倣いなさい」

 

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/2巻P173

1899年10月24日

 

「自分が苦しくとも、愛はもっと重い鞭を与えようとする。人間が自分の存在が何かを理解し、駄目になった自分を反省するには、これ以上強力な方法がないから。私の正義に同意しなさい。私のことを愛していればこそ反対し、私の苦しむのを見たくないのも分かっています。

 私の母はどんな人間よりも私を愛してくれました。母は何とも比べようがない。それでも霊魂たちを救うために正義に同意し、私がこんなに苦しむのに甘んじた。もし私の母にできたのだから、あなたにもできるでしょう。」

 

 

 

14.聖母は主へ導く

 

 

聖母から司祭へ/1997.1.1

 

 母としてわたしの役目は、あなたがたの神であり救い主であるイエズス・キリストのもとに、あなたがた皆を導くことです。こうしてのみ人類は、平和というこのうえなき貴重な善を楽しむことができるでしょう。

 

 

 

15.私と一緒なら

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P126

 

 現代、罪はあなた方の心のもっとも深い部分まで食い尽くして、あらゆるところに広がりつつあります。憐れみの主が送られる十字架を受け入れ、態度を変えることを通して、神を選ぶように、人々を招きなさい。

 私と一緒なら、悪のうちに過ごされた生活習慣を変えることは、難しいことではありません。悪魔は、欺きや悪口を通して混乱を起こそうと努めていますが、私は私に従うことのできる人達には、平和を与える用意があります。

 

 

 

16.聖母のご出現

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/5巻下P130

 

マリア:まさに今こそが、多くの聖なる預言者たちが夢見た時期なのですよ。犠牲と祈りをもって耐え忍ぶように願います。

御父のご計画が、私の出現を通して実現しつつあるからです。

 

 

 

17.すべての女に勝って偉大

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P158

 

神の御旨を知る彼は、何世紀をへてなお幼稚な民をご自分の胸に近寄らせ、神における大人にするために、神の知恵の乳をもって養われる。こうするために、イスラエルの一人の女の胎内で彼は肉体を取られた。この女は神と人間の前に、他のすべての女に勝って偉大である。彼女は雌鳩の動機をもって神の御心を捕らえた。その心の美しさは、いと高き御者を捕らえ、こうして神は彼女をご自分の座となされたのである。

 

 

 

18.彼女に来る者は主を見つける

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P158

 

彼女に来る者は主を見つける。

 

 

 

聖母から司祭へ/1973.11.1

 

以前にもまして今こそ、私を見いだす人は生命を見いだし、主から救いを得るでしょう。

 私の敵はそれだけを恐れています。それで悪魔は、信者の心をもっと私から遠ざけ、教会の中で私をもっとぼんやりと不明瞭なものにしようとあらゆる努力をするでしょう。悪魔は私との激しい戦い、どちらかが決定的に打ち負かされる天下分け目の戦いに取り組んでいます。

 

 

 

19.星

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P158

 

全く清く、罪がなく、美しい彼女は、神の星である。生まれてから日暮れまで、星と月であるがためにすべて美しく輝かしく聖なる彼女は、主を見つけるために人間の光となった。

 

 

 

20.女のすえ

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P159

 

「女のすえは蛇の頭を踏み砕く、・・・見よ、乙女が身ごもり、一人の子を生み、それをエンマヌエルと呼ぶ、・・・エッセの株から新芽が出、その根からひこばえが出、その上に主の霊が宿る・・・この女は私の母である。律法学士よ、知識があるなら、本のことばを思い出し、このことを理解しなさい」

 律法学士は何と答えてよいか分からない。そのことばは彼らによって何千回も読まれ、真理と言われたものである。今それを否定できるか?

 

 

 

21.聖母は私たちを正しい道に導いてくださる

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P180

 

 主が女弟子たちに:

「最後に忘れてならないのは、私の母に対してはいつも娘のような気持ちで接することです。母はあなたたちをいつでも、どんな時にも、正しい道に導いてくださいます。母は、その体験によって、また超自然の知恵によって、どんな身分の人でも、娘でも、やもめでも、母親でも、どんな人でも導くことのできる人です。聖なるマリアは、ヨゼフの妻であったので、結婚にとって一番大切なのは心の一致で、その土台の上に結婚が成り立つことを知っていました。彼女は生命の木です。神の生きる箱舟です。

 

 

 

22.メモラレ

 

 

マザー・テレサ/愛と祈りのことば/PHP文庫/P120

 

慈悲深き童貞マリア、御保護によりすがりて御助けを求め、

あえて御取次を願える者、一人として捨てられしこと、

いにしえより今にいたるまで、世に聞こえざるを思い給え。

 ああ童貞中の童貞なる御母、われこれによりて頼もしく思いて

走せ来り、罪人の身をもって、御前になげき奉る。

 ああみ言葉の御母、わが祈りを軽んじ給わず、御あわれみをたれて、

これを聴き給え、これを聴き入れ給え。アーメン。

 

 

 

23.主は聖母を喜びおどって叫ばれる

 

 

ゼファニア3・14,15,20

 

娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。

お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

わたしは、地上のすべての民の中で お前たちに誉れを与え、名をあげさせると 主は言われる。

 

 

 

黙示録解説880

 

ここでも同じように、主と主から発する教会とが取扱われ、この教会を主なる『イスラエルの王が楽しみ喜ばれ、喜び躍って叫ばれ』、その愛の中に『憩われて』、彼らを『地の凡ゆる民に対する名と賛美(されるもの)として』与えられるのである。

 

 

 

24.主は聖母に何を教えなかったことがあろうか?

 

 

マリア・ワルトルタ7・9/天使館1巻P63

 

イエスス・ベン・シラは、「知恵の泉はロゴスである」と言います。そうであるならば、子は母の唇にその知恵を語らせないでしょうか?

もし人びとに語るべき言葉を、ある預言者に託そうとしたロゴス、知恵が、この預言者の口を灼熱した炭火で清めたとするならば、愛は、ロゴスを身籠るはずの幼い花嫁の口に、もはや女児のように、次いで女のようには語らず、ひとえに、常に、神の大いなる光と知恵が融和した天の人としてのみ語るために、清められ、高められた弁才を与えなかったでしょうか?

奇跡は、あどけない年齢のマリアによって、そして後にはわたしによって示された超越した知性にあるのではありません。奇跡は、彼女のうちに住んでいた無限の知性を群集の肝をつぶさず、悪魔の注意を引かないような障壁のうちに収容することにあります。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/8巻P155

 

どんな秘密も あなたには隠さない、

 

 

 

25.苦さ

 

 

マリア・ワルトルタ22・13/天使館P182

 

聖母がマリア・ワルトルタに:

 

 わたしはマリアと呼ばれていました。その一つの意味である苦さは、いつも、神がわたしの心に流しておられる甘美さに混じっていました。そしてそれは、わが子の死に至るまで常に増大していきました。でも、マリアよ、神がその栄光のために犠牲としてわたしたちを召し出されるとき、おお! わたしたちの苦しみを、弱者を活気づけ彼らを天に辿り着かせることができるパンとなすために、挽き臼の中の小麦のように砕かれる幸せはいかばかりでしょう!

さあ、今はもうこれでたくさん。あなたは疲れているけれど幸いな人。わたしの祝福を受けてお休みなさい。

 

 

 

26.聖母のスケッチ

 

 

マリア・ワルトルタ52・3/天使館第1巻P468

 

カナの婚宴にて:

 

マリアは、皆が言ってくることに一つ一つ丁寧に耳を傾け、それからマントを脱ぎ、会食の準備の仕上げを手伝う。長椅子の位置をきちんと定めたり、花飾りを真直ぐにしたり、果物をより見栄えよく入れ換えたり、ランプの油は十分かどうか確かめたりして往ったり来たりしている。微笑を絶やさず、口数は少なく、小声で話す。それよりも人の言うことに忍耐強く耳を傾ける。

 

 

 

マリア・ワルトルタ52・5/天使館第1巻P470

 

婚礼の宴は始まる。皆、食欲旺盛で、杯を干す。わずかな痕跡を残している(*)のは、イエズスとその母だけで、母は口数も少ない。イエズスは彼女よりは話す。しかしあまり話さないといっても、顰(しか)めっ面をしたり、他を蔑むのではない。問われればにこやかに答え、話しかける人には関心を示し、自分の意見を述べるが、その後は、瞑想するのが習性になっているかのように、自分自身に沈潜する。微笑むが決して笑わない。あまりに軽率な冗談を聞くと、聞かないということを示す。マリアはイエズスを凝視して糧にする。食卓の奥の方に席を占めているヨハネもまた同様で、先生の唇の動きから洩らさずに聞き入っている。

 

少し食べ、少し飲む

 

 

 

27.世界はいまだに彼女によって救いを得る

 

 

マリア・ヴァルトルタ652/天使のたより第6号P20/天使館

 

U 司祭と信者たちの内に、福音書への、またキリストに拘るものへの生き生きとした愛を目覚めさせることです。そのすべてのことの中でも第一のことは、世界の救いの秘密である祈りのうちに、わたしの母に対する愛徳を新たにすることです。わたしの母、彼女は、あの呪われた龍に勝った勝利者です。彼女へのあなたたちの新たにされた愛と、新たにされた信仰と、彼女について言及されている知識をもって彼女の出力を助けなさい。マリアは世に救い主を与えました。世界はいまだに彼女によって救いを得るでしょう。

 

 

 

28.聖母の準備期間

 

 

聖母から司祭へ1979.3.25

 

 おん父の御旨に対する私の承諾が開花するまでには、沈黙のうちにおこなわれた、長い準備期間がありました。この準備の成果として、あの承諾が、私の魂の中で花を咲かせたのです。

 あなたがたの母が、あの言い尽くしがたい瞬間にとどりつくために、歩んできた道を教えましょう。

 その道は、これです。すなわち、謙遜、信頼、子どもの依託、沈黙、そして、神との親密な、深い一致の道です。すでに幼いときから、私は、完全に自分自身を、みあるじに捧げました。完全な貞潔、かくれた生活、そして祈りのうちに、私は、はしためのように、みあるじに仕えたのです。

 私の魂は、日毎に大きな光に向かって開かれ、私の存在は、あらゆる被造物から離脱する努力によって培われてきました。これは、私が主のみ旨をはたし、みことばを聞いて、完全な方法で、主を愛することができるためだったのです。神のみことばだけを探し、受け入れ、守りたいという望みだけが、私の心の唯一の糧でした。

 

 

 

29.理解できても言葉で言い表せない

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P64

 

いと高き御方は私に説明なさいました、「神人の母となられるべき御方の業は完全そのもので、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セラフィムができる全てに勝る。汝は理解できても言葉で言い表せない。この世の巡礼に於て至聖なるマリアを汝の喜びの第一番としなさい。人間的なもの、見えるもの全てを諦め棄てる荒れ野の旅の間、マリアについて行きなさい。汝の力と才能の限りを尽くしてマリアを模倣しなさい。マリアを導きの星、監督にしなさい。マリアは汝に我が意思を伝え、御手によってマリアの心に書かれた聖なる律法を見つけなさい。マリアが取り次によりキリストの人性という巌を打つ(民数20・11)と、恩寵と光の水がほとばしり出てきて、汝の乾きを癒し、理解を深め、意志を燃え立たせるであろう。マリアは汝の行く手を照らす火の柱(出エジプト13・21)であり、情欲の熱さや敵の猛攻に打ち勝つ陰と憩いを与える雲である。」

 

 

 

 

聖母から司祭へ1973.11.27

 

彼らが私について話すのは美しいことですが、私を生きるのは、もっと私の心を喜ばせます。

 

 

 

30.イエスが再び地上を支配するために来られるのも、聖母マリアを介してです

 

ジャック・ネランク/あなたは預言を無視しますか・現代の預言者ヴァッスーラに聞く/天使館/P131

 

それにまた、イエスが再び地上を支配するために来られるのも、聖母マリアを介してです。イエス・キリストによるこの世の支配は、聖霊のほとばしりにより、一人ひとりの心に築かれるでしょう。尊大な悪の力の冠は、太陽に飾られたマリアという女性と、すべての彼女の子らの足下で踏みにじられるでしょう。神は聖母マリアに、サタンとすべてのサタンの帝国に打ち勝つために十分な力をお与えになりました。聖母マリアはご自分のかかとで、サタンの頭を打ち砕いてくださるでしょう。