聖母を見る・理解する

 

 

1.マリア・ワルトルタ・・・あなたたちは、完全な学問のあるところに至った時はじめて、マリアを理解するだろう

2.アグレダのマリア・・・理解できても言葉で言い表せない

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ・・・あなたたちは、完全な学問のあるところに至った時はじめて、マリアを理解するだろう。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P8

 

 マリアの胎に勝る最大の成聖の完璧さがあるのは、の懐のみである。彼女は、三一のの次に、聖人たちの中の聖女である。

 もしわたしが、死すべき存在であるあなたたちに、マリアその人の美を見ることを好意的に認めるなら、あなたたちは恍惚のうちに聖化されるだろう。わたしのが何者であるかをあなたたちに語るために比較に耐えるものは宇宙にはない。あなたたちは聖なる者でありなさい。そうすれば彼女を見るだろう。

 

 そしてを見ることが至福者たちの喜びであるなら、マリアを見ることは全天国の喜びである。なぜなら彼女において天使たちの合唱と聖人の群集のみが喜びに浸るのではなく、聖霊が彼女を、その愛の三位一体のこの上無き作品として凝視するのであるから。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P87

 

 人類はすべて罪人である。被造物のなかではただ一人だけが、罪の苦い味とは言わないまでも、罪の苦い匂いを味わわなかった。あなたたちのあいだに肉となり、あなたたちの肉を贖うためにわたしが後にした天国への望郷の念をわたしに抱かせなかった女人マリア、わたしのいとも優しきであった。というのもマリアのうちにわたしは、にある永遠の純白と光り輝く愛を見出していたからだ。彼女のうちに住み、彼女を被造物のなかの完全存在としていつくしみ、聖霊彼女をそので貫いて、処女にし、彼女の周りに天使の群れは集まり、一被造物のなかの三位一体を礼拝した。

 

 マリアの胎内! マリアの心臓! いいや。神にもっとも心を奪われた頭脳といえども、純粋と愛のこの二つの完全さの奥底に降りることは出来ず、頂点にまで登ることは出来ない。わたしはわたしの親しい人々の中でも最も親しい人々のためにマリアの胎内と心臓とを照らす。ただしあなたたちは、完全な学問のあるところに至った時はじめて、マリアを理解するだろう。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P213

 

そして、無限の憐れみは、血と、火と、迫害と、死の嵐に押し倒されている哀れな人びとを憐れみ、血と恐怖の海の上に、その再臨の先駆者となるであろう清らかな海の星マリアを輝かせるであろうし、この新しい福音宣教者たちは、実は、四福音史家使徒たち弟子たち皆からあまりにも日影に放置されていたが、彼女にかかわるより広汎な認知は多くを教化し、多くの転落を防止したマリアを福音宣教するだろう。なぜなら彼女共贖者であり、女教師なのだから。家にいても、当時の人びとと共にいる時も、純潔で、謙遜で、忠実で、慎重で、思いやりに富み、敬虔な人生の女教師である。幾世紀にもわたって、常に、世界が泥と闇に降りて行けば行くほど知られるに値し、闇と泥でないものに向けて世界を再び導く、もっとも模範とするにふさわしい女教師である。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/5巻下P11/346・3

 

 イエズスは、皆が話すのを聞いていて、言う、「皆、よく言ってくれました。シモン・ぺトロの言うとおり、人は彼女を『マリア』だから愛する。カイザリアへの途上で、あなたたちに言いました。完全なる信仰を完全なる愛に結びつけた者だけが、次の言葉、すなわち『イエズス・キリスト、御言葉、神の子、人の子』の本当の意味を知るのだと。しかし今、もう一つ含みのある名を言う。それは、私の母の名前です。完全な信仰を完全なる愛と一つにした者だけが『マリア』、神の子の母なる名前の本当の意味が理解できる。その本当の意味が真の信仰者、真の愛を知る者に明らかになるのは、苦難の時、産みの母が、その子と苦難を共にする時、母なる救済者救済者と共に全世界の目の前で未来永劫に人類を救済する時です」。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/5巻下P13/346・4

 

彼女が最大の犠牲を、と共にのために、また世のために払うとき、本物の愛を知る人は、彼女の名前の本当の意味が分かるでしょう。そして未来永劫に、本当の愛を知る忠実は信仰者はだれでも、その意味を知ることを許されるのです。偉大なる母聖なる養育者の意味を。聖なる養育者は、キリストの子らを天の命へと育て上げるために、ご自分の涙で養われます。

 

 

 

 

2.アグレダのマリア・・・理解できても言葉で言い表せない

 

アグレダのマリア/神の都市/P64

 

いと高き御方は私に説明なさいました、「神人の母となられるべき御方の業は完全そのもので、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セラフィムができる全てに勝る。汝は理解できても言葉で言い表せない。この世の巡礼に於て至聖なるマリアを汝の喜びの第一番としなさい。人間的なもの、見えるもの全てを諦め棄てる荒れ野の旅の間、マリアについて行きなさい。汝の力と才能の限りを尽くしてマリアを模倣しなさい。マリアを導きの星、監督にしなさい。マリアは汝に我が意思を伝え、御手によってマリアの心に書かれた聖なる律法を見つけなさい。マリアが取り次によりキリストの人性という巌を打つ(民数20・11)と、恩寵と光の水がほとばしり出てきて、汝の乾きを癒し、理解を深め、意志を燃え立たせるであろう。マリアは汝の行く手を照らす火の柱(出エジプト13・21)であり、情欲の熱さや敵の猛攻に打ち勝つ陰と憩いを与える雲である。」